2022/08/12(わがまま) | ブログ.

ブログ.

事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.














朝早く
ベランダの手すりに
登っていたラテが









下を見て
鳴いていたので
玄関を開けてみたら









野良猫の
クロちゃんタヌちゃんが
来ていた










だから二匹に
ご飯をあげていたら
母が玄関の扉を開けてきて








6月に
ラテが脱走してから
わが家は








クロちゃんタヌちゃんが来て
誰かがご飯をあげているときは
ラテが脱走する
可能性があるから











気がついた人や頼まれた人が
玄関の開閉に問題が無いか
チェックする習慣になっていて









早朝が何時か
分からなかったが
家族に頼める時間では無かったので
気をつけて入ろうと
思っていたら









母が
「ラテとシオンは
一階のリビングにいて
ドアを閉めたから
玄関普通に入って来ていいからね」
と言ってくれた
















そして

クロちゃんタヌちゃんに

ご飯をあげて










じっと見ていたら

涙が溢れて

ずっと見ていたいと

思った











でもなぜか

母は何度もドアを開け

同じことを言い











その様子から

早くに家の中に入った方がいいのか?

と思った












でも

昨日長女と

布団を運んでいたときに

たまたま

ゴミ箱が倒れて来て









足の指先を打ち

少し怪我をし

痛くて涙が出た事を

思い出した









そして

それはもちろん

〝最善〟で

〝一つ(難が)終わった〟

と納得したのだが










でもふと

「普段無限を

ゆっくり丁寧に

生きているわたしだったが


有限をまだたくさん生きている

長女に合わせすぎて

怪我をしたこと」

が分かった













だから

心配をしていた

長女にも

それを伝えると

納得し









だから










〝ああ、わたしが

無限を生きることは

両者のためになり


だからわたしは

無限を生き続けなければいけない〟











腑に落ちたことも

思い出した






















だから

わたしは









元々小さい頃から

わがまま







 


心配症で常識的すぎる

母の言うことを

全て聞いていたら

何もできない

自分を貫いてきたところがあるが











でも

だんだんと











直感を大切に

それを信じて生きることは

大切だが










最近は

周りの心配や否定も

大切なメッセージだと

最近はそれらも一つ一つ

受け入れながら生きていた











だから

その時の母は

早く中に入って来て欲しそうな

様子だったので










ご飯を食べ終わって

わたしに甘えるタヌちゃんとの時間を

ほどほどにして

家の中に入ろうか

と思った



















でもふと

足の怪我のことを

思い出し










「ああ、もう

無限だけを生き始めたわたしの

この思いを躊躇なく

どこまでもわがままに

貫いていくときなんだ」

と思った











「それはもう完全に

わたしの喜びだけでなく


(相手は時間差があるかもしれないが

それは相手の問題だけとなったので)


相手の喜びになるんだ」









とわかったときは

本当に嬉しくて

発狂した











だから2匹に

ゆっくりたくさん

ご飯をあげて

2匹と1人でくつろぎ










でも結局母が

何度目かの玄関のドアを

開けたときに

びっくりして

2匹は帰って行ったのだが 笑













2匹が

じゃれあいながら

帰っていくのを

見送りながら











ああ、やっと

ここまで来た…










それは完全に

エゴが無くなった

他者がいなくなった

ということだ…









とまた

発狂した