わたしは
小学校高学年くらいから
胃腸の調子が悪くなり
病院に行った記憶は
小中では曖昧で
市販の胃腸薬などを
飲んでいた記憶があり
高校生の時に
学校に行くのも
辛くなったことから
母に病院に連れて行ってもらうと
そこで初めて
ストレスが原因の
過敏性腸症候群だと
診断された
そして
病院に
行ったのは
1、2回だけで
薬も
一時期飲んだだけ
だったが
高校生の後半は
ずっと辛く
それは
進路が決まったら
ほぼ学校に
行かなくなった
くらいで
当時は
インターネットも無く
子どもだったことから
どうしたらいいか
わからず
両親は
具合が悪くなれば
病院へ行くか
市販の薬を飲むか
という視点しかなく
その後も
特別何かをすることを
しないまま
スッキリしない
という生活を
送っていた
そして
20歳頃
元夫と
付き合い始めたら
彼の叔父が
東洋医学の会社を
経営していて
彼の家族も
それを
取り入れていた
ことから
わたしは
初めて
病院や薬以外の
治療法がある
と知り
体質改善や
食事療法や
血液浄化などが
大切だと知った
そして
わたしは
過敏性腸症候群
以外にも
ずっと
風邪を
引いていたり
たまに
寒冷蕁麻疹が
出たり
からだが
重くて重くて
朝なかなか起きられない
という症状などもあり
それを
家族には
いつも
精神的に弱い
甘えている
気のせい
自己管理が悪いなどと
言われていて
今思うと
確かに
そんな部分もあったし
それらの症状も言葉も
全て浄化で
最善だったなと
思うけれど
そんな環境も含め
わたしは辛くて
悶々とした
だから
叔父に
それは
気のせいではないし
甘えているわけではない
と言われたとき
ああ
わたしが
悪いわけではなかった
と
長年の
靄が晴れて
涙が止まらなかった
そして
それを
きっかけに
わたしは
東洋医学という
視点や選択や
その療法を
今までの反動から
狂ったように
取り入れるように
なっていった
そして
元夫と結婚し
三人の子どもが
生まれてからも
わたしは
その療法を
続けていた
そして
入った
育児サークルは
自然療法
自然育児などを
学び
実践する人が多く
学んだから
というだけでは
なかったが
わたしは
なるべく
子どもたちを
自然な食べ物や
環境のなかで
育てていた
だから
子どもが熱を
出した時なども
病院に行くことも
あったが
なるべく
薬に頼らず
症状を
出し切らせたり
熱取りに
野菜を頭に被せたり
していて
その時に
腸が原因で
熱が出た場合は
浣腸がいい
と叔父に聞いたことが
わたしにとっての
洗腸との
初めての
出会いとなった
そして
息子が
障害を負い
世界一ハードだと
言われる
脳障害児の
リハビリに
出会ったときも
脳障害児はほとんどが
腸に問題を抱え
それが彼らの
生きることや表現力にも
大きな影響を与えている
ことも知り
食べ物や運動や
サプリメントなどで
息子の腸の改善を図っていて
また
腸の大切さを
学んだ
そして
その後は
スピリチュアルや
精神世界に
出会い
様々な
思想や
療法や
代替療法に
出会い
自分を
愛すること
大切にすることや
浄化や癒しが
当たり前に
なっていったが
特別に
腸に焦点を
当てることなく
過ごし
でも
症状はほぼ
無いものの
スッキリという
ことも無く
気づいたら
過敏性腸症候群と
診断されてから
30年以上が
経っていた