わたしが
子どもの頃から
他人にも自分にも
無意識、意識的に
ずっと強く強く
求めていたものは
〝理解〟だった
だから
誰かに
理解されたとき
小さい頃でも
思わず涙が溢れた
記憶があり
それは
『知る』ことは〝愛〟
だということを
どこかで
分かっていたから
だと思う
そのとき
愛を感じたから
だと思う
だから
息子りんが21年前に障害を
負ったとき
日本や地元の
病院や療育機関で
「様子をみましょう」
「わからない」
と言われたり
絶望的な情報しか無く
悶々とする中
世界一ハードだと言われる
アメリカに本部を持つ研究所の
リハビリを通じて
絶望と共に
希望のある
息子が知れたことは
何より嬉しかった
だから
その後
と
漆黒の宇宙の中で
小さなダイヤモンドを
探すかのように
必死に
諦めず
狂ったようにでも
宇宙の流れには
乗りながら
息子の
爆発的な芸術的才能にまつやま絵画教室に
出会い
息子を
知ったときも
涙が止まらなかった