2022/01/22(食 1.・肉体のアセンション) | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.













酷かった頭痛は
一旦楽になったのだが











また昨日から
痛くなってきた


















  


そして

最近便秘も酷くなったので

これは

からだが変化のときだな

と物凄く楽しみになり










昨夜は  

腸マッサージや

洗腸など
ありとあらゆる事をして

腸内をスッキリさせてから










最近ずっと

白湯やレモン水などの

水分をたくさん摂っているが










今日も

水分だけはたくさん摂り 

夜まで何も食べず

ずっと横になっていたら









6日前の

頭痛や吐き気があり

断食状態だったときも

そうだが










約3年前の

このときのように

意識も肉体も

覚醒し









肉体はスッキリし

意識が

物凄くハッキリして

びっくりした























それは

エネルギーの濃度が

濃くなったような

感覚だった










それは

いつも見ている景色でも

全く違う景色を見ているようで










視覚的にというより

感覚的に

見える景色が

濃くなったようで










次元が変わるって

こういうことなのか…?

これが肉体のアセンションか…?

と思った
























そして今夜も

長女と次女と

パーティーで 笑指差し飛び出すハート











二人が

買ってきてくれたり

作ってくれた物が

たくさん並び

本当に美味しそうだったが










わたしは

今日はとりあえず










母が作ってくれた

具なしの茶碗蒸しや

自分で作った

味噌汁の汁と

りんごのすりおろしなど

ほぼ液体だけにしたのだが


あまりにも美味しそうだったので

長女が作った〝餅と明太子のアヒージョ〟の一欠片と 笑

次女が買ってきたポテトチップ4枚という

超個体の居酒屋メニューは少し食べたけど 笑











6日前から

ずっとそうなのだが









どんな物を食べても 

今までの10倍も100倍も

美味しく感じるようになり

今日もそうで

本当に幸せで









約1年前の

このとき

思いだした










だから今

意識だけでなく

からだも

別次元に入ってきたようで










それは

別次元という

非日常的な感覚なのに










物凄く

地に足が着いた

日常の感覚で









ああ、これが

本来のわたしだ

という感覚で








そうしたら

最近ずっと

頻尿で

膀胱炎気味だったのも

スッキリし

びっくりした


父方は腎臓系が弱いようで

わたしも20歳前後に膀胱炎で一度受診し

薬を飲んだことも一度あり

その後もたまに膀胱炎になったり

腎盂炎になったこともあるが

ほぼ病院には行かず体質改善をしてきて


でもここ10年くらいは 

多分数値に出ないくらいの

軽い慢性の膀胱炎、頻尿がずっと続いていた


(でも、何であれ、出る症状は良いと思っているし、頻尿の場合は、学校生活などでかなり我慢していた反動だと思っていたので、感情と同じで満足するまで出し切ったら良いと思っていたので、無理に治さず、自分にやれることをして、自然に症状から卒業する時をずっと待っていた(わたしの場合は、いつでもトイレに行けるようにし、他人の目を気にせず何回でも行くようにし、他は瞑想や今を生きることや、自分を無限に愛し満たすことなどで、症状を卒業していけるように波動を上げ続けていた))


















そして

約1年前にも

酷い頭痛と断食状態と

意識と肉体の覚醒という

似たようなことが起こったことを

思いだし










これから

不食に入っていくのか

今くらいの少食なのか

また食べるようになるかは

本当にわからないが


今は何を食べても発狂するくらい美味しいが

全く食べなくても発狂するくらいスッキリしている

という状態で

でも便秘や膀胱炎気味なのはもう治る時だと思うし

意識も肉体ももう喜びと安心の状態であれば

食べるかどうかはどちらでも良いと思っている







でも

1年前はまだ

「食べないと死んでしまう」

という恐怖が少しあったが










今回は

『食べても食べなくても人は生きられる』

ということがわかり











それは

死への恐怖が無くなってきた

ということで

やはりエゴの死を感じ










それは

感覚的にはわかっていることだが

わたしの肉体を通じて

それを感じられたことは大きく











わたしはただ 

左脳が喜ぶ安心と

右脳が喜ぶ喜びがあれば

もう何でもいいので










これからの

どんな変化も

楽しんでいこうと

思っている
























(微食、不食日記:白湯、レモン水、具無し茶碗蒸し、味噌汁の汁、りんごのすりおろし、アヒージョ一口、ポテトチップ4枚









食 2.