そして
静養の為に
久しぶりに
訪れた
家から
車で2、3分に
ある
育児サークルに
入っているときからの
友人が営む
わたしの
欲しかった
全てが
想像以上に在る
涙が出るほど
素晴らしい
天国だった
そこは
先生から
聞いた
アーティストにとって
必要な全てが
日常にある
稀有な場所で
だから
オーナーの
友人も
4人の子どもたちも
皆が常に
アーティストで
表現者だった
だから
彼女は
いつも
自分自身や
自分が
生み出したものを
常に
自然に
見せ続けていて
彼女の存在も
生み出す物も
一瞬で
躊躇なくて
直接的で
そこには
健常や障害という
言葉はなく
ただ
爆発する個性
という状態が
あるだけだった
だから
それは
人間としても
教育としても
最新でありながら
原点で
わたしは
彼女の存在や
生き方や
子どもと共に生きる姿で
わたし自身も
息子のことも
どんどん
癒されていった
そして
わたしは
彼女から
生み出す物に
触れるたびに
一瞬で
喜びが爆発し
そして
自然や
森や緑が
大好きなわたしは
はんなりが
整備された
森と公園の
横に位置し
彼女も
子どもたちも
その広大な森を
庭のように
楽しんでいることや
住宅地に
あるのに
まるで
原生林のような
剥き出しの
はんなりの庭を
いつも
彼女が
まるで
太古の存在のように
まるで
動物のように
まるで
雑草のように
そこに根を張り
どこにでも根を張り
わたしの
見えない目線で
たくましく
美しく
しなやかに
自然を
大地を
地球を
味わい尽くし
それらを
わたしにも
いつも
無償で
与え続けてくれたことにも
癒され続け
でも
それは
もう
癒しを
通り越し
革命だった
だから
わたしは
静養後も
一年三ヶ月
はんなりや
彼女や
子どもたちと
お互いの家を
行ったり来たり
しながら
時には毎日
時には一晩中
曜日も時間も予定も
関係なく
食も音楽も
生き方も性もお金も
全てを
共有し
共に生きながら
自然に
創造のために
自分を
破壊し続けた