2歳に
なったばかりの息子が
最初
全盲だった
視力が
見え方は
普通ではなかったが
少しずつ戻り
ホッと
するようになった
ある日
何ヶ月も
息子にかかりきり
だったので
小学一年生に
なったばかりの長女と
幼稚園の年中に
なったばかりの次女と
わたしは
遊園地に
遊びに行くことにした
そして
市内に住む
わたしの両親に
息子を
預けるため
チャイルドシートに
座った息子と
二人の娘たちを乗せた
車を走らせ
ふと
息子を見ると
息子は
静かに
涙を流していた
わたしは
その時すでに
息子のリハビリの
準備を進めており
その
グレン・ドーマン博士の著書を
片っ端から
読んでいた
そして
世界一の
脳障害児のための
リハビリ機関で
世界一の
脳障害児の情報を持つ
といわれている
研究所が
どんなに重度で
昏睡状態の
脳障害児でも
彼らの多くは
表現するという
アウトプットに
問題があるのであって
インプットには問題がなく
だから
わたしたちは
天才でない脳障害児を
見たことがない
だから
リハビリを行うときは
子どもたちから
何の反応がなくても
必ずきちんと説明をしてから
始めてください
と言っていたことを
思いだした
そして
そのとき
息子は
市の療育判定では
と診断されており以前の
息子とは
生まれ変わったと
思うくらい
変わってしまっていて
わたしは
何が
正しいか
正しくないかは
わからなかったが
愛に溢れ
涙が出るほど
純粋に
脳が傷ついた
子どもたちに向き合う
その研究所の言葉が
ただただ嬉しく
療育判定の結果と
共に
その
一般的にはありえない
研究所の言葉にも
耳を傾けるように
なっていた
だから
息子の涙を
見たとき
ああ
息子は
わかっている
と思った
それは
わたしが
何も説明をせずに
息子を実家へ
預けようとしていたことや
自分だけ
祖父母と
留守番をすることかも
しれないし
わたしの
長女と次女の気持ちを
大切にした行動が
嬉しかったのかもしれないし
全く
違う理由が
あるのかもしれないが
息子には
理解力がある
そう思った
だから
わたしは
息子の
変わってしまった
ところばかりに
目を向けていたが
もしかしたら
息子は
何も変わっていない
のかもしれない
ふと
そう思い
そして
今
あのときの
息子には
理解力だけでなく
感受性も
感じ
それは
障害を負う前には
特別に
感じたことの
ないものだと
思った