わたしが
息子が障害を負った
17年前に
運命的に出会った
なぜ
限界を感じたか
それは
それは貴重な経験だったし
障害児クラスと
健常のベビークラスがあり
そのやり方には
共通するものもたくさんあり
とても素晴らしいものだった
でも日本の
公立の幼稚園や学校に通う
娘たちの教育とは
あまりにもかけ離れていて
だからわたしが
研究所のやり方と
一般社会のやり方を
長年両立することが難しく
それより
健常も障害も
研究所も一般社会も
アメリカも日本も
共通な育て方があるのではないかと
思い始めたからだった
また
障害を負った息子だけでなく
健常の娘たちや自分も
観察してきた結果
最初は
リハビリや
息子を良くすることや
三人の子どもたちを
育てることが
目的だったが
わたしはだんだんと
わたしがどう生きるかが
中心で
目的で
だから
息子の変化や
三人の子どもたちの成長は
その結果ではないか
と気づいたからだった
そして
親がどう生きるか
という情報が少ないと
気づいてからは
子どもに
何をしてあげるかと共に
親が
母親が
どう生きるかを学べば
解放されるのではないか
と思った
そして
そして先生とは
芸術と子育てという
ジャンルの違う世界を
40年以上探究した者同士で
会ったばかりだったが
生徒や子どもと
関わりながらも
結局は
指導者や親が
いかに生きるか
に尽きる
という
人間としての原点を
共有することができ
ああ
自分を信じて
進んできたこの道は
間違っていなかった
と思った