自叙伝 14.そしてわたしたちはそのリハビリで運動面のプログラム知性面のプログラム生理面のプログラムを学び聴覚触覚視覚を通して息子の脳にあらゆる刺激を与え始めたそれは刺激により傷ついた脳の代わりに眠っている脳を動かし傷ついた脳の機能を肩代わりさせるというものだった 更に栄養や呼吸のプログラムで脳の栄養である酸素を取り込むようにも働きかけそれは分刻みの目が回るような忙しさだったがわたしは息子にしてあげる何かがあることが嬉しくそしてこんなに自分に力があることに驚き楽しくて仕方がなかったそしてリハビリを本格的に始めて10ヵ月近く経ったある日 そんなわたしたちに研究所から一通の手紙が届いたそれには〝初診の準備が整ったので2003年2月24日(月)にフィラデルフィアの研究に来てください〟とあり それはわたしが待ちわびた初診の案内だった でもわたしは最初それが何のことかわからなかったというのもその日が息子の4歳の誕生日だったからだった自叙伝 1.『自叙伝 1.』息子が生まれたのは助産所だった1999年の冬助産所の畳の上で4歳の長女2歳の次女夫わたしの母が見守るなか息子は生まれたそれはまるで儀式のような静寂で二人の娘た…ameblo.jp自叙伝 13.自叙伝 15.