わたしは
小中学生時代は
真面目な良い子
だったと思う
背も高く
生まれ順が一番だから
何でも先頭で
成績も良い方で
器用な方で
信頼もされていたのか
6年間全て
推薦で学級委員で
中学校の3年間もやり
先生にも
可愛がられ
お友だちにも
大切にされ
男女ともに嫌いな子
仲の悪い子は
一人もおらず
特別支援学級の友だちの
お手伝いも
友だちとわたしの
係だった
そして
周りの
わたしのイメージも
良い子だったと思うが
わたしも頑張って
良い子で
必要以上に
良い子で
今思うと
普通にしていても
良い子だったのだと思うが
必要以上に他人の目を
気にしており
だからか
いつも緊張をしている子どもで
楽しかった記憶が
あまりない
でも一方
家ではわたしは
〝欲求を満たす〟
という欲が
物凄く強かった
だから
母や姉にはいつも
わがまま
だと言われ
それは
ただのわがままの時も
あったが
わたしは頑固に
その欲求を持ち続け
やりたいことを
やり続けた
だからその結果
小学校の高学年では
新聞の広告を見て
ハウスメーカーなどの
設計図面や
家やインテリアに
興味を持つようになり
「わたしなら、ここはこうするな」
「ここには、こんな家具を置きたい」
といつも想像し
大人になったら
建築士やインテリア関係など
家の仕事をしたい
と思うようになった
そして
高校を決めるとき
先生からは
県内有数の
進学校に入れる
と言われたが
わたしはもう
頑張ることが
嫌だったため
市内の
進学校と言われる
学校に入った
そして
最初はそこでも
上位にいたが
段々限界がきて
わたしは
頑張ることより
良い子でいることより
〝楽しいこと〟を
選ぶようになった
だから
元々全日本のバレーボールが
大好きだったから
男子バレーボールの
マネージャーになり
それが本当に楽しかった
そして
最初は大学に入って
小さい頃から好きだった
建築士になろうと
思ったり
デザインなどが
好きだったため
美術の先生には
美術の教師を勧められたり
洋服を作ることも
好きだったので
短大の被服科に入ることも
考えたが
もう
座って勉強するのは
嫌だったので
インテリアの専門学校に
進んだら
それが本当に楽しかった
課題が
これでもかこれでもかとあり
それは
徹夜ばかりだったが
わたしは
作業が大好きだったので
本当に楽しく
夫ともそこで出会った
そして
就職の時期になり
当時はバブルだったので
就職先には困らなかったが
自分が
周りと同じように
頑張って
面接を受けた企業は
落ちた
そして
どうしようかな
と思っていたら
専門学校には
写真科があり
以前モデルを頼まれた先生から
また声をかけて貰い
就職が簡単に決まり
あるメーカーで
システムキッチンのコーディネーターをし
またそれが楽しかった
そしてわたしは
洋服やインテリアショップや
お洒落な飲食店が
大好きだったので
夫によく
連れて行ってもらい
彼はドライブが
好きな人だったので
それが本当に楽しく
まさかそんなに早く
結婚するつもりもなく
夫と結婚の話も出たこともなく
この人とは結婚しない
と思っていたのに…
そして
1年後に結婚し
5年くらいゆっくり二人で
楽しもう
子どもが出来ないなら
二人で生きるのもいいし
と思っていたら
半年で長女が授かった
それは
本当に予想外だったが
わたしは嬉しくて
号泣し
わたしは
つわりが酷く
切迫早産で入院したことから
その半年後に退職した
そして
専業主婦となり
周りに助けて貰いながら
子育てを楽しんだ
こんなに可愛い生き物が
この世に存在することに
感動しながら…
そして
すぐに二人目が欲しくなり
その二年後に
今度は
と思ったらでき
わたしは子どもに
水遊び、泥遊び、雪遊びなど
外遊びをさせることが
本当に大好きだったから
それを
一日中公園にいた
そして
自分が絵本にはまったので
あらゆる古本屋さんを巡り
絵本を300冊くらい集め
毎日
一日に何回も読み聞かせをし
子どもと楽しんだ
そしてわたしは
可愛い子ども服を着せることが
大好きだったので
それを着せ
作ることも大好きだったので
娘たちにお揃いの洋服を作ったり
息子にはセーターを
編んで着せたりした
そして
二人の娘が
幼稚園に入園して
さあ
息子と二人でこれから
ゆっくり遊ぼうと思った矢先に
そして
衝撃的で運命的な出会いをし
息子の為もあるが
わたしは
自分がやりたくてそれをやり
またそれが楽しくて
仕方がなかった
大変で大変で
気が狂いそうだったが
人はここまで全開に
明日の事を考える
余裕もなく
一生懸命に
今を生きられるのだ
ということを知り
本当に楽しかった
そして
その世界を
知り尽くした頃
子どもたちには
何をしてあげるかも大切だが
わたしが
どれだけリラックスをしているか
幸せか
が大切なのではないか
と気づき
3人の人から同時に同じ
勧められ
ずっとそれは避けてきた
世界だったが
もう避けられないと思い
その扉を開けたら
それが本当に楽しかった
小さい頃からの疑問の答えが
ここに全てあって…
そして
その世界が一段落した頃
ジャニヲタとして
Twitterデビューもし
これが本当に本当に楽しく
わたしは学ぶことも
大好きだったので
そのやり取りで
言葉の使い方を学び続け
そして
九州から北海道まで追っかけもし
Twitterのヲタ友さんと
各地で会ってきて
それが本当に楽しかった
そして
それが落ち着いてきた
と同時に
息子の絵に夢中になり
それをサポートするため
環境を整え続け
それも本当に楽しく
そしてなぜか今夏
赤ちゃんが
産みたくて育てたくて
たまらなくなってきたとき
突然我が家にやってきて
それが楽しくて
たまらなくて
そして
息子の絵画展を
全力で全力で楽しんでいたら
猫のシオンがやってきた
そしてわたしは
スピリチュアルや
自分を愛することを知った
10年くらい前から
日記を書き続けていて
それが
10冊くらいになった
7、8年前から
ブログを始め
その後
Facebook、Twitterを始め
書くことは
わたしになくてはならないもの
となった
だから
息子の絵に出会ったのも
わたしが
大好き、楽しいを
やり続けてきた結果で
その楽しいことは
決して楽しいことだけではなく
苦しくて辛いことも
たくさんあったが
それは
楽しいことに
付随してくる苦しさだから
乗り越えられて
だから
これからも変わらず
こうして
大好きなこと
楽しいことを
やり続けていくのだろうと
思っている