告別式という名のお別れの会が朝も早々からあった。
昨晩帰って、まだ何時間かしかたっていない道をまたたどる。
お葬式は泣いていい席なのだけど、泣けないんだよね。
わたし・・。
喉元までぐっとくるのだけど、真っ赤に泣きはらすってことはないような気がする。
それは「この子がいなくなったら生きていけない!」という愛犬を荼毘にふすときも、1人で愛うさを荼毘に伏したときも。
年始に友人の葬儀で友人代表の弔辞を述べるときも・・・。
悲しくないわけではないのだけど・・。
そして、今日は仲の悪い妹たちもきていて、この人らは来た時から泣いているというね。
最後のお別れのとき。
わたし自身の大叔母との想い出を振り返るというよりも、この人の一人娘のハトコのねえさんが黙って涙を流しながら母親の冷たくなった頭をなでている姿とか・・・
もう、80を過ぎて耳も遠くなり、歩くのも杖が必要な大叔父が、ほんとうに最後の一輪の花を妻の胸に置きながら・・・
「これが最後だよ。」
とつぶやく姿に家族の別れをみて胸がいっぱいになった。
50年以上連れ添って自分のほうが先に逝くと夫は思っていたのに、現実は妻に先立たれてしまった。
自分もいろいろ体調不良を重ねながら、妻の病床にかよい、遠くなって聞こえない聴覚の世界にいるのに、
一生懸命、格式ばった言葉を思い出しながら喪主のあいさつをする大叔父。
とにかくお葬式をあげるまでは!と気をはっている姿がわかり、残されたこの人のほうが心配になってしまうのが妻が先立つパターンだ。
鈴母や鈴叔母たちは戦後?の混乱期を千葉の田舎でこの大叔母を含めた従兄弟たちと一緒にすごしたらしく、もう叔母と姪というより姉妹に近い関係なので、ものすごく落ち込んでいた。
順番的には、そろそろ、私たちが今度は送る側になる年齢で・・・
はたして実親を送るとき、わたしはどんな気持ちでいるのだろうか?
それは想像できない。
葬儀の段取りをやらないといけない立場になると、悲しんでいる時間もないのも実情だし・・・
切々と「お葬式ロシアンルーレット」の順番が近づいてくるような気がした。
最近は、お葬式か法事でしか会わない親戚付き合いがおおく、今回は少ない会葬者だったのだが、さすがに親の従兄弟までは把握できずに知らないおじさまがいて、何気に話してみたら、立派な方だったり・・・・
この方とも曽祖父母は同じ方だという血縁のミラクルもある。
お葬式というのはどれだけ故人が生きている間に人と交流があったかの通信簿みたいなもののようだ。
最近の家族葬なんてのは、さらに縮図のようになっている気がする。
(昔の方が付き合いで会葬する人も多かったと思うし・・・)
まあああ、とにかく今日も灼熱の暑さだ。
でも、斎場や火葬場はキンキンに冷えている。
この暑いとキンキンを出たり入ったりしていると、生きている人間のほうがフラフラしてくるのであった。
亡くなったら、暑さも関係ないのでね・・・・。
お葬式が多くなる。
そんな年齢なのかもしれない。
それでも人生100年時代っていわれるとまだリターンできていないのだけど・・・
後半の人生というのは送る人生なのかもしれない。
鈴. 真由