このブログは小さな家に暮らすアラカン主婦の日常を綴ったブログです。
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ケアマネジャー
整理収納アドバイザー
防災士
東日本大震災で多くの人や大切な物が失われました。
あの日の経験・教訓を次の世代につなげるべく、福島県内には震災の伝承施設12館があります。
その一つである奇跡の小学校と言われた「浪江町立請戸小学校」へ行ってきました。
あの東日本大震災では校舎の2階床上10cmの所まで津波が浸水しました。
2011年3月11日14:46東日本大震災発生
震度6強の地震が浪江町を襲い、沿岸部では15.5mの津波が家々を飲み込みました。
請戸小学校の児童、教員の的確な判断と、速やかな行動により当時通っていた全員が奇跡的に非難する事ができました。
震災前の請戸小学校と震災直後に児童らが逃げた大平山です。
震災後の町の様子です。
周りの建物が跡形もない。
実際に足を踏み入れるのが少し躊躇われました。
テレビや写真では数々の映像を見てきましたが、実際に自分の目で確かめたのは今回が初めてでした。
体育館は・・・
当時、校内にいた82名の児童は荷物も持たず上着を着る余裕もなく凍てつく寒さのなか大平山に走りました。
それが14時54分。
地震発生から8分後でした。
「とにかく高い所へ」
「大平山へ」
15時15分に児童たちは大平山に到着しました。
その間、一人学校に残った教頭先生は迎えに来る保護者へ
「児童は全員避難している。合流は大平山だ」と伝え保護者の来校が止まり校舎に誰もいない事を確認し教頭は車を使って15時25分大平山に向かいました。
当初は3mと発表された津波が、6mと修正され、その後10m以上と再修正されました。
この町に津波が到達したのが15時33分。
請戸小学校の児童らが頂上に着いた時間は16時。
津波で家々が流されていく様子を見て「もう戻れない」そう思ったそうです。
大平山に長くはとどまれないと判断し、避難先を役場に変更します。
奇跡的に通りかかったトラックの荷台に子供達全員を乗せてもらい国道6号線を通り役場に到着しました。
当時の子供達が恐怖と闘いながら逃げた様子を想像すると涙が溢れてきました。
「怖かったろう」
「寂しかったろう」
「寒かったろう」
実際に自分の目で見た震災の爪痕は衝撃でした。
多くの命が奪われたこの震災は後世に伝承していかなければならないなと深く思いました。
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