このブログは小さな家に暮らすアラカン主婦の日常を綴ったブログです。

 

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自己紹介を兼ねて家族のことを書きました。

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昨日の「蒸発した両親の過去、子供が追う記憶」最終回ではコメントや質問を頂きました。

 

いつもはそのままコメントをお返しするのですが長くなりそうなのでこちらからお返事させて頂きます。

 

 

ひよさん

 

はじめまして。

私は現在60歳の女性です。

 

RINさんのご両親の話を読んで私と同じような経験をされた方がいるんだと驚きました。

 

私の父は私が小学生のころいわゆるサラ金に手を出し蒸発しました。

子供のころは電気も水道も止められ、食べるものがない生活を味わいました。

 

あの頃は法律が整備されていなくて夜中でも借金取りが家に来ていました。

母はパートで何とか生活費を稼ごうと必死でした。

 

でも、中学の制服もかばんも買えなくて私は学校に行くことができませんでした。

叔父が見かねて助けてくれ何とか高校まで通うことができました。

そんな父が私が結婚する頃に現れて何故か母が許して家に戻ってきました。

 

私はどうしても許せなかったです。

父を許した母も許せなくなっていました。
 

もう両親ともに亡くなっていますが、父のことは最期まで許すことができませんでした。
 

RINさんのブログを読んで「あのとき父を許せていたら」と思いましたが、やはり今でも許せない気持ちがあります。

 

RINさんはどうして許せたんでしょうか。

私はいまだに両親のお墓参りに行っても母にしか話しかけられないんです。

 

「お父さん」と声に出すことができません・・。

 

私事を長々と申し訳ありません。

 

ひよさんも幼いころから辛い体験をされましたね。

 

子供は親を選べません。

そして働く事もできないので自立もできません。

 

私も何度もこの辛い暮らしから逃げ出したいと思いました。

しかし子供の力、出来る事なんてたかがしれています。

 

借金取りの電話が怖くて電話が掛かってきても取る事ができない。

家に借金取りが来ると怖くて布団の中に隠れていた事を思い出します。

 

今のようにインターネットが使える便利な世の中だと、もっと早い段階でSOSが出せたのかもしれないなと思う事もあります。

 

早く大人になり働きたい。

そればかり思って日々暮らしていました。

 

ひよさんは叔父様に恵まれましたね。

私の場合は、叔父叔母もいましたが日々の生活にやっとだったり、大病したりして頼る事ができませんでした。

親の資産を食いつぶした父親への反感もあったでしょうしね。

 

最後の質問

「RINさんはどうして許せたんでしょうか。」

 

大人になり、自分の努力で掴んだ幸せな生活。

そんな生活を送っていても心の奥底では両親の闇があったんですよね。

 

自分の中の真の幸せを見つけるためには、父親との関係における古い感情や傷を癒すことが必要だと思いました。

 

過去の辛い出来事に囚われずに、

心を軽くして、

父親を許すことが、

自分自身を愛し、

心からの幸福を見つけるための大切な一歩だと。

 

父親を許せなければ自分自身は本当の意味で幸せになれないと思ったんです。

 

思いは人それぞれです。

環境も違えば相手との関係性も違います。

 

私はいつも様々な選択で迷った時は、

自分自身が笑顔でいられる方を選べば間違いないと思って行動しています。

 

ひよさんのこれからの人生が心軽やかに過ごせる事を願っています。

コメントありがとうございました。

 

 

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