羽黒神社(大子・上金沢)
どうもおはようございます、そしてお久しぶりですりんですm(_ _)m茨城県久慈郡大子町上金沢128羽黒神社(はぐろじんじゃ)一の鳥居社号標手水場二の鳥居拝殿本殿への階段岩場本殿狛犬境内社神輿蔵仏像墓石(権大僧都法印宥覺)創建は延暦17年(798)1月、坂上田村麻呂が出羽羽黒山より勧請田村麻呂が東征の途上、上金沢の山に登り北方を見渡すと不思議にも眼前に一つ登り峰が浮かび、その形が今自分が居る山に似ている東征で実際に羽黒山を見てみると、上金沢で浮かび上がった峰は羽黒山だと確信これこそ霊験あらたかなものとし、帰路上金沢に立ち寄り、山上に羽黒神社を祀り山名を羽黒山とした永禄2年(1559)、この地の豪族・大塚大膳太夫により再興明治6年(1873)、村社列格明治35年(1902)、台風により社殿倒壊明治36年(1903)、山下にあった神輿殿を改造し拝殿とし、この後は山下が拝殿となる御祭神は倉稲魂命こちら大子町西部の山中に鎮座する神社でして…狛犬見たさに雨上がりで足場の悪い中、山を登ったのが思い出されますσ(^_^;)さて、鎮座している羽黒山ですが剣ヶ峯とも呼ばれていて「剣ヶ峯神社」とも言われており、棟札には「剣ヶ峯神社羽黒大権現」とある「大子の伝説」石井良一著によると創建がちょっと違くて延暦14年(795)、坂上田村麻呂の東征の折に近江坂本より分霊を勧請近江坂本という事は日吉大社からと考えていいだろう…が、上中下のどの神を勧請したのかは不明また、僧都の墓石があることから別当寺があった事は確実なので、その寺院が天台宗か真言宗ならば羽黒山の関係が深い事は間違いないが、天台宗であったとしても日吉大社絡みが当てはまるかと?延暦20年(801)、坂上田村麻呂が出羽羽黒神社の分霊を勧請と書かれており、いくつか説が出てきてましてどれがそうなのか悩みますねσ(^_^;)そんな訳で茨城県神社誌では東征の帰り、大子の伝説では行きに日吉大社からで帰りに羽黒神社より勧請したという事になります。関東や東北には坂上田村麻呂が関西から勧請した神社が多いので、そのうちの一社ですまぁ…あまりにも多いので、本当に坂上田村麻呂当人が勧請したのか?と言われると断言出来ないのが本当のところではあります(;^_^Aとにかく、坂上田村麻呂の勧請という神社の1つとして参拝するのも良いかと?まぁ、私的には狛犬がおすすめであります(笑)記事を書く気力がないまま時間ばかりが過ぎ、この辺りでブログを止める事も考えましたが…とある寺院で御朱印待ちをしていたところ、一緒に待っていた方からブログかSNSをやっているのかと聞かれたので教えたところ「しばらく書いてないみたいですけど、いつまでも待っています」という有り難い言葉をいただきましたそんな訳で続けようかと(´>∀<`)ゝ))エヘヘそれに、下書き状態の寺社記事が100ヶ所を超えているのでそれを捨てるのももったいないかなと(笑)