この記事は2022/8/30に

限定記事にしていましたが

日付はそのままで2024/4/25に全体公開します。



24時間 100キロマラソン

笑顔溢れる 兼近大樹さんの走る笑顔に

感動しました。


ゴールした時 

テレビの前で 涙が出ました。 

心から感動しました。




今まで 全く気づかなかったのですが

翌日の兼近さんの特集を見て…


若い頃の

お兄ちゃんに

似てる( ゚д゚)


今までも あれこれと色々な俳優さんを

言われていたようですが

わたしの中では 

どれもよく分からなくて…😅


兼近さんを見て 以前から

なんでこんなに親近感を感じるんだろう…

思っていたら

兄と目が似ている事に気づいて

少し驚きました。


今更!?という感情まで笑い泣き


それに気づくと

マラソンの特集している兼近さんが

兄にしか見えなくなり

色々と重ねながら

思い出していました。


今回は兄の事を記録します。




クローバー


わたしの中で 母の存在は昇華されて

として根付いていますが

兄はどうか…

それは本人ではないと分からない所があります。



コミュニティの洗脳下にあった母は

家庭をかえりみず留守にしていたので

子供の頃は 兄はその寂しさを

わたしにぶつけていました。


わたしは体の感覚がなくなるほど

毎日のように兄に殴られました。

アザの数を数えた事などありませんが

アザの上に

また新たなアザができるという感じでした。

痛くてしばらくは立てない事はよくあり

身体を守る仕草は

大人になっても

なかなか消えませんでした。


痛いよ…止めてよと訴えても

母は助けてくれず

仲良くしなさいとだけ言い

家にいませんでした。



兄の大きな反抗期が来た頃

父は入院中でした。


意思疎通ができない母に対して

兄は爆発しました。

ガラスをわり

テーブルや食器棚をひっくり返し

家の中は 毎日ひどい荒れようでした。

兄は罵声し

母は毎日、アザが出来て血まみれになりました。


母の食事を食べないので

兄の食事や部屋の掃除はわたしがしました。


兄が高校生になった頃

アルバイトをしたお給料から

食事や部屋の掃除や買い物のバイト料だと

中学生のわたしに

時々お小遣いをくれました。


兄はわたしをパシリに使い

怖かったのですが

兄の怒りや寂しさは

世界中で

わたししか理解できないと思っていました。

お兄ちゃんをひとりにしてはいけない…

いざという時に守るのはわたしだけ。

兄が家で暴れる騒音で

近所のどなたかが通報し

警察の人が訪ねてくるたびに

そう思うようになりました。

お兄ちゃんは悪くない!

それはわたししか伝えられない言葉でした。


一方で

兄には時々こう言いました。

お兄ちゃんがお母さんに言いよる事

全部 うちも そうやと思っとる。

何も間違っとらんと思う。

お母さん 何もわかっとらんよね!

やけどね

お兄ちゃんがお母さんを殴ったら

お兄ちゃんが悪くなるんよ?

お兄ちゃんの話を誰も聞いてくれんくなるよ?

もったいないよ。

悪いのは お母さんやん?

殴ったら全部お兄ちゃんが背負うやろ?


うん…


なにもかも反発する兄でしたが

この時の話は静かに聞いてくれました。

兄がわたしの言葉に傾けてくれる表現を

こどもなりに考えて言葉にしてうったえました。



クローバー



中三のある日

わたしはマーチングバンドのコンクールが迫り

ドラムの練習をするために

クッションを机の上に並べて

スティックで叩いていました。


リビングで

兄と母は いつものように喧嘩。

わたしはそこから意識を飛ばすように

練習に集中していました。


すると兄が

ドラムの練習をするわたしに

うるせー!

扉を開けて罵声してきました。

お兄ちゃんとお母さんの方が

毎日うるさいよ!

うちはコンクールの練習しよると!

その言葉にキレた兄は

目の前にあった重たい目覚まし時計を

顔に向かってぶん投げ

近くにある本やペンなど全部投げ

ボコボコになるまで

わたしの顔を👊グーで殴りました。 


不思議な事に

痛みはその時 感じる事はできませんでした。

パン グチャ…と

生ぬるい水分を含む音が体内に響きました。

人からこんな音がするんだな…

人の70%は水分で出来てるからかな?

そんな事も頭の片隅に思いました。

避ける事や

屈んで身を守る姿勢を取る隙もなく

お人形のように無抵抗な状態でした。


痛覚よりも

こんなにも激しく

攻撃をする事へのショックが大きく

兄の心の痛みが

わたしを殴る事で形として見えたと

思いました。

お兄ちゃんはこれだけ辛いって事なんだな…と

殴られながらも、兄の精神状態を察しました。


わたしは視界が狭まるほど腫れ上がり

原形がわからなくなるほどでした。

プロのボクサーでなくても

こんなに人の顔は変わってしまうのだと

知りました。


鼻血や口も切れて

畳には わたしの血があちこちに飛びました。


わたしは大きな声で

真っ白な壁に向かって泣きました。

お父さん お兄ちゃんが大変だよ

言葉にも出てこない 心が叫んで

父が入院している病院の方向の壁を見つめて

泣きました。


どこに哀しみを向けたら良いのか?

だれがここから助けてくれるのか?

この生活はなんなのか?

いつ終わるのか?


大丈夫?という

安易な母の言葉は

わたしを余計に混乱させました。


泣いているうちに

だんだんと身体の痛みを感じるようになり

そのまま 落ち着くまで畳に寝転びました。


何度も殴られたり

脅されてきましたが

この時が一番大きな損傷でした。

母は病院に連れて行くことも

手当をしてくれることも

ありませんでした。

わたしはじっとして痛みに耐えました。

母はいつもと変わらず

その日も翌日もその次の日も

休む事なく依存している

コミュニティへ行きました。



学校へ行き、顔が変わって心配されても

誰にも言えませんでした。

そんな事を言ったら

誰が兄の味方になるんだ?

と思ったからでした。



りもちゃん 顔どうしたとー?

うけろー?

マンガの続きをどうしても見たくて

でも帰らんといかん時間で

自転車に乗りながらマンガ読んでたら

壁にぶつかったんよ!

めっちゃびっくりしたー🫢

そんなに読みたかったん?

りもちゃんらしい!

っていっても、腫れすぎやろ!

そーやろ?
殴られたみたいな顔やろ?
ボコボコすぎて自分で引くわ🤣
あははは ウケる!



顔が元の状態に戻るまで

1ヶ月半くらいはかかったかな…

もっとかな…


クローバー



その日以降

兄とは話ができませんでした。

兄も わたしの顔が変わりすぎたので

声をかけられなかったのだと思います。


数ヶ月〜一年くらいたったある日

寝ているわたしのところに来て

このTシャツいる?小さくなったけんやる

パープルのSTÜSSYのTシャツを

わたしが寝てる布団の上にポンと置きました。


その数日後

バイクの後ろに乗る?

といい、ニケツして夜に走りました。


兄なりの謝罪だと思いました。


はじめて乗ったバイクは

とても寒くて ガタガタと口が震えました。

夜に家をこっそり抜け出し

風の匂いや 風の音 エンジンの音

バイクの振動を全身に感じました。


わたしはそれに応えるように

タイミングをみて

赤いTシャツをプレゼントしました。

この時 わたしは高校生になっていて

バイドで貯めたお金で買ったものでした。



クローバー


兄は正義感が強く

わたしの事で わたしが全く気にしていなくても

わたし以上に怒りを出す事は

頻繁にありました。

その度に

いや…もう それが一番面倒なんやけど

わたしがいいんだからいいと。

損するとか そういうのどうでもいい。

平和にしようよ…?

と何度説得をしても

りもの代わりにおれが言う!!

何かしら 噛み付くような所もありました。


兄は 親の代わりに

妹を守らないといけないという気持ちが

育ちすぎていました。


兄の行きすぎた正義感は

わたしを狭めました。


わたしが入院中に

ペースメーカーの説明を受けた数日後

母は仏花を病室に持ってきました。

それに深く傷ついて

兄にこの話をしてしまいました。

すると

今から あいつを◯しに行く!

◯◯もっていくからな

あいつらに家から出るなっていっとけ

と 電話で叫びながらうったえ

それは本当に突撃したようでした。


残念なことに

こんな日々は何年も

ほとんど毎日のように続きました。


兄の言葉は ひどくわたしを収縮させ

母の支離滅裂な言動は

わたしを冷静な大人にしました。


振り返っても

あの時のわたしは

どこへ助けを求めたらよかったのか

大人になっても よくわかりません。


自分だけが助かりたいわけではない。

だからこそ

見つけられないわけです。



クローバー


随分と月日がたち

大人になり 結婚し

わたしは関東で暮らしはじめました。


3.11の日。

兄はわたしを心配し

こっちに避難するよう声をかけてくれました。



わたしは主人を東京に残し

長男と一緒に兄夫婦の家へ行きました。


福岡は平和すぎるほど平和で

別世界でした。


兄の自宅につき 

何気ない会話の中で

まだ あの時あげた

仲直りの赤Tシャツを

今だに持っていてくれた事を知りました。


びっくりして鳥肌が立ちました。

どんな想いでこのシャツをもっていたんだろう。


兄は自分が家族に何をしてきたのか

実は何も覚えていません。

どんな状態だったのかも

なにもかも忘れてしまいました。

ですが

わたしを激しく殴った事や

わたしが伝えた事は

なんとなく覚えていました。


兄が忘れてしまったのは

それほど精神が限界だった事を

示すものでした。

兄は自分を失わないといけないほど

辛かったんだよね。


忘却本能は人を前に歩かせる。

兄は前を向きたかったんだなと

思いました。

忘れないと生きれなかったのでしょう。


兼近さんのマラソンを見て

兄の事を深く考える時間を頂きました。




兼近さん

本当に有難う御座います。


お兄ちゃんが忘れてしまっても

お兄ちゃんの事はわたしは覚えているよ。

お兄ちゃんがとてもやさしい人だという事も

とてもよくわかっているよ。

だから

もっともっと忘れて

全部忘れてたくさん笑顔でいてください。


お兄ちゃん 心配しなくていいんだよ。

わたしはもう全部愛になったよ。

全部なにもかも素晴らしかった。


お兄ちゃんも 楽になってね!

心から愛しているよ。



伝える事はないけれど

伝わる想いだと思って記しました。



【2024/4/24追記】

この限定記事を投稿した数日後 

他愛もないラインが

兄から時々来るようになりました。


限定なので見えない記事で 

わたしがこんな事を思っているなんて

知りえないのに

やはり 伝わるのです。


人のもつ想いの力というのは

ここまで現実を変える。

距離 場所 言葉 会えていなくても関係なく

通じ合う。

愛が届いているから

あちらから連絡がくる。


自分を極上に癒し

編み物をするように愛していく。

出来事 出逢い 物 なにもかもを

愛を練っていく事で

あらゆる事は明らかになるものです。



UMAくんりもっちママのあるがママなすがママ。

⭐︎咲かせた花


⭐︎ざっくり自己紹介


⭐︎赦す事に理由はいらない


⭐︎二元論は遠ざける


⭐︎この場所の話を。