切り株 | アブエリータの備忘録

アブエリータの備忘録

Yesterday is history,
Tomorrow is a mystery,
Today is a gift.
That's why it is called "present".

 

ウチの三男坊のケンタ(犬太)の遺骨は庭の一隅に埋めている。

 

 

 

 

 

 

草葉の陰でひっそりと眠るケンタだったが下差し左側に灌木、右側にはアラカシ(粗樫)の木があって、お墓に影を作っていた。

 

 


ところが、このアラカシの木が高くなりすぎて、2階のベランダに取り付けてあるBSアンテナの電波を妨害するようになった。今までもBSが映らなくなって切ってもらったことが何回かあった。

 

 

どちらにしてもウッドデッキの日差しが遮られるし、特にメリットもない邪魔な木なので、ダンナは以前から切り倒すつもりだったそうだ。木というものはほおっておけばどんどん伸びていく。

 

 

息子たちにウチの木の世話などできるはずもなく、世話がかかる木は処分する方針となった。延び延びになっていたが、「WOWOWが見られなくなる!」と私が文句を言う前に着手してくれた。

 

 

ダンナ一人で梯子に登って、のこぎりを駆使して切り落としていった。太い枝は電動のこぎりを使い、幹の部分は持ち運べる重さに切って落としていた。〈落ちて怪我でもしたら…〉とヒヤヒヤものだったが、無事に作業を終えてくれた。

 

 

周囲の木まですべて丸坊主にしてしまって、白日の下にさらされたケンタのお墓左下矢印日陰もなくてさぞ居心地が悪かろう。両サイドにダンナがシモツケ(下野)の花を植えた。

 

 

 

また、玄関に植えられていたシラカシ(白樫)の木も背が高くなってきた。ほおっておけば20メートルの高さになるらしいのでこれまた切り倒してしまった。左下矢印

 

 

 

恐ろしいことに、この木の根っこが、通路として使っている隣の四角い巨大な石を持ち上げていて、浮き上がってきていた。

 

 

今は大きな切り株上差しになっているシラカシの木。いずれは根っこも枯れていって石も元の位置に戻るとのことだ。足元の悪いこんな所にはしごを立てかけて作業をしている間はずいぶん心配した。

 

 

シラカシの木が無くなって、玄関がずいぶん明るくなった。落ち葉の掃除もしなくていいのでありがたい。

 

 

外玄関へのアプローチの右側に植えられていたクジャクツバキ(孔雀椿)の伸び方がランダムになって通行の邪魔になってきた。そのうえ何の病気なのか、葉っぱに黒いカビが生えて汚らしくなった。

 

(3年前の写真)

 


これもまたダンナはバッサリ伐採。

 

 

 

シラカシが無くなって明るくなり、アプローチの邪魔だったクジャクツバキもなくなって玄関の風通しもよくなった。それに、木から落ちてくる毛虫を恐れることもなくなった。

 

 

家の裏の広縁側にある庭(のようなスペース)には、キンモクセイ(金木犀)の木があって、これも木が大きくなるにしたがって、塀の向こうの歩道に覆いかぶさるようになり、キンモクセイの花が歩道を汚すようになった。

 

(2年前の写真)

 

 

これも切り倒して切り株に左下矢印

 

 

 

手入れしてこその庭木。

 

 

誰も世話ができなくなることを見越しての伐採作業。ダンナは一人でよく頑張ったと思う。

 

 

ところで、切り株と言えばウサギを思い出したがなんだったっけ?調べてみると:

 

しゅしゅ-たいと【守株待兎】

いたずらに古い習慣やしきたりにとらわれて、融通がきかないたとえ。また、偶然の幸運をあてにする愚かさのたとえ。木の切り株を見守って兎うさぎを待つ意から。一般に「株を守りて兎を待つ」と訓読を用いる。

 

 

中国春秋時代、宋の農夫が、ある日、兎が切り株にぶつかって死んだのを見て、また、同じような事が起こるものと思って、仕事もせず、毎日切り株を見守ってばかりいたので、畑は荒れ果て国中の笑い者になった故事から。

 

 

そんな話だった!高校時代に漢文で習ったのかなぁ。半世紀以上思い出すことは無かった。