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アブエリータの備忘録

Yesterday is history,
Tomorrow is a mystery,
Today is a gift.
That's why it is called "present".

 

日記のようなブログで毎日更新に努力している。

 

 

1月14日のスタートだったから、今日でまるまる1ヶ月続けたことになる。10年以上のブログ生活で30回以上の連続更新は初めてのことだ。

 

 

しかし、最近のブログで日常を綴っていても、未だ未解決のダンナとの問題がたまに頭をもたげてくる。

 

 

過去の記録の精査から、はたまた実家の母の証言から、あるレベルの納得には達した。最近は心乱れることもなく淡々とした気持ちで日常生活を送っているが、決してハッピーな心持ちではない。

 

 

ダンナとの44年近い結婚生活を振り返ったり、また様々な事件についていまさら書くのもどうなん?と自問自答しながら、やはり書いておこうか…という気がしてきた。

 

 

自分の整理のために書くのだが、人の目に入るブログという媒体なので、読んで下さる人たちに理解してもらいたいとも思う。書きなぐりではなくて、状況も感情も生ではなく、理性的に書いてみようと考えている。

 

 

そのためにブログテーマを新たに増やすことにした。その名も超ベタな【結婚生活】!71歳のバアサンのテーマとも思えないが…。

 

 

いわば、この家での精神史みたいなものだ。

 

 

今日はその第1回。結婚前の『最初のつまづき』

 

 

ダンナの会社社長の奥様と私の母が「見合いをさせよう」と決めて、ある吉日に二人だけで会うことになった。

 

 

平日だったので会社を休んで待ち合わせ場所に行った私は、仕事の昼休みのランチタイムを使って会いに来たダンナとJR駅で出会って、近くの喫茶店で1時間ほど話をした。お見合いはそれで終わり。

 

 

お見合い疲れしているのか、時間をかけないつもりでその方法にしたらしいが、私は同僚から「大安の日やからねぇ」とからかわれつつ会社を休んだのに…。

 

 

青年海外協力隊出身の人は大手商社に就職する人が多い中、家の跡継ぎなので地元に帰って小さな会社の営業社員として働いていた。印象は悪くなかった。

 

 

喫茶店の簡素な昼ご飯を食べながら、ダンナはモロッコで2年、私はイギリスで1年の海外生活について話した時に、「その経験は歳をとっただけだった」という感想が同じだったことに好感を持った。

 

 

その夜にダンナから電話がかかって、次回はゆっくり会うことになり、そうして交際がスタートした。交際中は結婚も決まらないのに、ダンナの幼馴染の友人たちに次々に会わされた。意見を聞いていたのだろうか?

 

 

交際中にダンナの家の複雑そうな事情を知った。婚約という話が出た時、ダンナは「貯金も無く、結納金は親に借りるので多くは出せない。婚約指輪を買うお金も無い」という。

 

 

離れの家を改装してそこに住む予定なので、キッチン周りからの工事に費用もかかるとのこと。私は「婚約指輪は無くてもいいので、新生活の準備に回してください」とダンナに言った。

 

 

ところが、私のその言葉をダンナが義母に伝えた所、烈火のごとく怒ったということだった。ダンナが「ワシは仕事やけど家へ謝りに行ってくれ」という。何を謝ればいいのかわからないが、とりあえず一人で出かけた。

 

 

義母は玄関で仁王立ちになって、義姉もその後ろに立って、玄関先で謝る私に「お金が無いと思ってバカにするな」とか「この縁は無かったんや」とか…私には理解できないことを言われて泣いて謝るしかなかった。そして玄関払いされた。

 

 

実家の両親に言えば必ず破談になるに違いないという事でダンナは「黙っていよう」と。私もここまで来てダンナの人となりが理由ではないのに、破談になるのもバカらしいので家族には言わなかった。

 

 

婚約指輪は結局もらわなかった!結納金も当時の相場の最低額だったので、父が「ワシの娘はたったこれだけの価値か!」と嘆いていた。

 

 

ちなみに数年後に婿養子になった下の弟は、私の20倍以上の結納金と高級車ソアラで迎えられた。

 

 

しかし、父はその結納金の15倍以上をかけて私の嫁入り道具を調えてくれた。ウチも貧乏な家だったが嫁ぎ先のレベルに合わせようと、そのために借金してくれたようだった。

 

 

立派な家柄とは言いながら、ダンナの家庭には複雑な事情があり、決して裕福ではなかったことは交際中にも気づいていた。

 

 

私一人で謝りに行かせたり、ウチの両親に内緒にしたりしたことなど、その頃は仕方がないと思っていたが…???。

 

 

この時に、≪この結婚はやーめた!》と、諦めれば良かったのかもしれないと、後になってよく思い出していた。

 

 

私は、(当時の)結婚適齢期を過ぎていて(27歳)、両親も早く嫁がせたいと思っていた。父が喜ぶ家柄であるし、「やっぱりええとこへ嫁がはった」と田舎の人たちが納得する結婚が必要だったし…と、私自身の打算も働いたから自業自得ということになるかなぁ。

 

 

とにかく女がそんな年齢になると田舎の家に居るのは針のムシロ。一人暮らしが許されるはずもなく、合法的に家を出るには結婚しかなかったのだ。

 

 

第一回終わり

 

 

今日も湖岸を散歩。旅立ったと思っていたカモさんたちはまだたくさん残っていた。

 

 

何羽かが突然バタバタと動きが激しくなって左下矢印

 

 

 

その後、列を作ってゆっくり同じ方向へ向かって行った。

 

 

 

今日のショータくん: 目と鼻がついたモップだね左下矢印