お盆の週は整骨院もお休みで比較的ゆっくり過ごせた。
16日の最終日が過ぎれば少しは混雑も緩和されるかと、17日に大学病院へ採血に出かけた。
お盆明けにも関わらず病院内は空いていて、採血してくれた看護師さんによると、お盆中はガラガラだったそうで、市内の道路も混雑していなかったということだった。
待つこともなく採血が済んだものの、なぜか会計が長蛇の列。職員のお盆休みがまだ続いていたようで、係りの人数がいつもの半分だった。
会計待ちの列で、同じように採血にだけ来ていた京都人の女性と二人で、「お盆が済んだから…」と考えていたのが「大誤算!」と悔やむことしきり。
帰りの道路はもっと予想外の混み具合で、合流地点の真ん中の道路は信号が変わっても進めないほどぎっしり詰まっていた。先の方で一車線になるところでは右からも左からも割り込まれて一向に進まない(右からも左からもそのように進むしかないのだが…)。早くから並んでいる車は本当に気の毒。誰か交通整理したらいいのに…。
採尿と採血は5分で終わったのに、会計、支払、道路の渋滞…で想定外の時間がかかり、その日の予定を変更して寄り道することにした。
前置きが長くなった。
家から車で15分もかからない所にあるのだが、わざわざ行く気になれなかったこの歴史館大学病院への往復でいつも気になりながら、時間が無かったり、休館日だったり…でなかなか機会が無かったのだが、採血からの帰り道に思い切って入館した。
渡来人歴史館 → http://t-rekisikan.com/30_hall/index.html
出土品とかの陳列物は少なく、日本と朝鮮との関係の歴史がわかり易く説明されたパネルが展示されている。テレビの韓国ドラマは歴史的背景など意識せずに観ていたのだが、こうして朝鮮視点の歴史を辿ってみると知らなかったことが多く、ずいぶん認識を新たにした。
近江は、大和・河内とならんで、渡来人の居住が多く、大津北郊や愛知郡(えちぐん)とその周辺に集中している。近江の古代豪族の約30%は渡来氏族と考えられる。(歴史館のパンフレットより)
古代の近江の渡来系氏族
「近江は朝鮮半島からの渡来文化の宝庫」で、滋賀県下には由来の地名、社寺、史跡、文化財などが多くある。東近江市にある百済寺(ひゃくさいじ)もその名が示すように、朝鮮の百済(くだら)との深い関わりを示すものだ。
江戸時代、李氏朝鮮から国書を携えて江戸に赴くために来日した朝鮮通信使が通ったルートが滋賀県内にあり、その辺りは今でも「朝鮮人街道」と呼ばれている。この街道筋にある近江八幡市の郷土資料館には朝鮮通信使の資料(行列の模型、接待の膳を再現したもの等々)が展示されている。
渡来人歴史館では、館員がそばに居るでもなく、誰一人出入りの無い中で、私一人が歴史館を独占し、1時間以上見学させてもらった。いやーあ、とても勉強になった!
滋賀県は京都、奈良に続いて国宝や重要文化財の建造物が多く、寺院の数は全国1位だとか。全国都道府県制覇もいいが、地元の滋賀県探訪も面白そうだ。
歴史館で販売している本や資料の中に『千字文』があり、開けてみれば漢字とハングル文字が並んでいた。韓国語を勉強している友人に役に立つかも知れないと思って、自分用と2冊買い求めた。【千字文】のなんたるかも知らずに…。
調べてみると、「千字文は、子供に漢字を教えたり、書の手本として使うために用いられた漢文の長詩で、1000の異なった文字が使われている」ということだった。
四字句×250=千字
天地玄黃(テンチゲンコウ)宇宙洪荒(ウチュウコウコウ)
てんはくろくちはき、うちゅうはこうこうなり。
天は玄(くろ)く地は黄色。宇宙は果てしなく広い。
日月盈昃(ジツゲツエイショク)辰宿列張(シンシュクレッチョウ)
じつげつはみちかたむき、ほしぼしはならびひろがる。
日はのぼり西に傾き月は満ち欠けする。星は星座に宿りが並び広がる。
寒來暑往(カンライショオウ)秋收冬藏(シュウシュウトウゾウ)
さむさきたりあつさゆき、あきにおさめふゆにたくわう。
寒さが来れば暑さは去る。秋に穫り入れ冬に蓄える。
韓国語学習中の友人は果たして喜んでくれるでしょうか?それにしてもなんで自分用に買ったのだろう?
お盆の混雑の余波で思いがけず朝鮮史に触れた日となった。