父の最期(令和6年3月3日②)
母、弟、甥っ子、夫、娘と待合室で待っていました。どのくらいたったのでしょうか。そんなに待ってはいないように思います。救急の処置室から男性の看護師に呼ばれたと思うのですが、まずは弟と私だけ入り、当直の医師から話がありました。呼吸器をつけて、機械で心臓マッサージを続けているが、かろうじて微弱な反応があるのみで、本人は意識がなく、おそらく戻らないだろう、心肺停止の状態が長かったので脳に酸素がいかず、このまま続けても時間の問題ですとの事でした。どうしますか?と言われても、いやいや、「助けてください」と私は言いましたが、どうしますか?の後、弟は号泣しうなづいていました。え?何でそんな反応なの?助けてもらおうよと思い、もう一度「助けてください」と言ったと思います。でも医師は神妙な顔をするだけで、他の返事を待っているようでした。弟が泣きながら「分かりました」と言いました。私も心の奥では、あぁ、機械を止めるのね、と、そうなのねと。。もうこのあたりから、ふわっとした、父が死ぬのかな?とか現実とはわかっていてもどこか他人事のような、悲しいけどほんとかな?といった変な感情が続きます。父の最期の日を、ここ何年も色々想像して、私は気を失うのではないか、号泣しすぎておかしくなるのではないか、とても耐えられないだろうと、思っていました。そういえば父は、父の妹の息子に、「私が死んだら、娘は大変だろうから、その時はよろしくね」といつだか飲んだ席で言っていたなぁ。とにかくパニックになると思っていたので、とても不思議な気持ちだなぁと、どこか自分を俯瞰してみていた気がします。