黒澤明監督・脚本。村田喜代子原作。斎藤孝雄、上田正治撮影。池辺晋一郎音楽。91年、松竹、オライオン・クラッシックス配給。
スカパー日本映画専門チャンネルの録画にて再観。黒澤明第29作。村田喜代子の芥川賞受賞作[鍋の中]の映画化。第65回キネマ旬報第3位。本年度のカンヌ国際映画際のポスターに本作が選ばれたとのことで、久しぶりに三回目の鑑賞。
黒澤明らしい反戦映画だし、原爆(ピカ)を巡る加害者と被害者。希薄な子供たち、真摯に受け止めようとする孫達のそれぞれの温度差を問題提起としたファンタジー作品なのだが、表現方法が作り過ぎに感じて黒澤明作品の中で、苦手な作品だったのだが、見直す度に深い味わいのある映画だと感じ、黒澤明晩年の秀作の一本だなと感じた。
長崎の山村に住む祖母鉦(村瀬幸子)の元にハワイの農園に住む兄の錫二郎が余命が迫り、会いたいというエアメールが届く。彼女の代わりに息子の忠雄(井川比佐志)と娘の良江(根岸季衣)がハワイに飛び、四人の孫縦夫(吉岡秀隆)、たみ(大實智子)、みな子(鈴木美恵)、信次郎(伊藤充則)がやってくる。当初は忠雄からの手紙に祖母とハワイに行こうと浮き立妻孫たちは祖父が亡くなった八月九日の原爆の跡地である学校に行き、現実を知る。忠雄たちは日系のハワイの人に気を使い祖父のことは話さなかったがら縦男の手紙でその事実を知ったクラーク(リチャード・ギア)が来日するが…。
クラークは長崎で原爆のモニュメントにお参りにくるクラスメートたちの姿を見て、原爆忌に参加する。加害者が始めて知る現実、謝罪、和解。祖母の兄弟何遊んだという山奥の滝で子供達と遊ぶクラーク。スチールにもなった名シーンだ、だが、現実ではクラークの父で錫二郎の訃報、帰国を余儀なくされる。黒澤明はそうしたファンタジックな世界で終わらせることなく。クライマックスでは近づく台風にピカを感じた祖母のおちょこになった傘に原爆が被害者に与えた影響の深さを提示し、子供たちが歌うシューベルトの[野はら]を対比としている。縦男はそのためにオルガンを直すことを夏の目標にする。その歌は平和の象徴のように見せて、日本人が時代と共に忘れていく戦争の記憶と被害者に残された心の傷に言及しているのだ。
全盛期の黒澤映画のような派手さこそないが、唯一の被曝国である日本人に残された忘れてはならない戦争の体感を次の世代、孫たちにも受け継がねばならないという深いメッセージを残してくれた映画。
この機会に見直してみるべき作品だ。