[風と共に去りぬ] | 力道の映画ブログ&小説・シナリオ

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ヴィクター・フレミング監督。マーガレット・ミッチェル原作。シドニー・ハワード脚本。デヴィッド・O・セルズニック製作。アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン撮影。マックス・スタイナー音楽。39年、アメリカ映画。

DVDにて再観。第12回アカデミー賞主要10部門受賞。昨今、コンプライアンス、黒人の扱いについて本作が特に本国で批判され、日本でも地上波は勿論、CSでも放送されなくなったことは残念でならない。視点の置き方が歪んでいる。アメリカ南部には黒人を奴隷としていたことは事実であり、それは近年のオスカー作品[グリーンブック]でも扱われたように今なお現存する問題なのだ。歴史的な事実をこの映画は原作も含めてそのまま描いたに過ぎないのであって、今さら何クセを付け、自分たちが生み出した財産を貶めても致し方のないことだ。そもそも、この映画はタラという大地と共に南北戦争という激動の時代を生き抜いたスカーレット・オハラという女性の壮絶な生き様描いたヒューマンドラマだ。黒人差別の映画でさない。視点の置き方そのものが間違っている。

映画評論家だった水野晴郎氏はこの映画が好きで39回観たと自慢気に水曜ロードショー初上映の時に語っていたことを覚えているが、沢山の評論家の方がベスト・ワンに推する人気映画であり、日本の初公開52年、戦争があったとはいえ、本国より13年遅れて初公開。それから、何度となくリバイバルされ、自分も新宿京王で観た。オリジナルは35mmなのだが、当時の最新技術で70mmで公開されるようになった。まず39年という時代にカラー作品。それだけ考えただけでも凄いことなのだ。上映時間はオープニングと中間とラストに音楽だけのこの時代の大作にはよくあるパターン。全編から格調の高さが伝わってくる。
 

アメリカ南部の農園で開かれたパーティーに、激しい気性と美しい容姿を持ち合わせた女性スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)が現れる。彼女は、思いを寄せていた幼なじみの男性アシュレーウィルクス(レスリー・ハワード)が従姉妹の女性メラニー(オリビア・デ・ハビランド)と婚約すると知り、彼をなじるが、その一方で、不遜な態度の見知らぬ男レッド・バトラー(クラーク・ゲーブル)に惹かれる。そこに南北戦争が勃発したとの知らせが届き、彼女は激動の時代に翻弄されていく…。

ウィルクス家やオハラ家、ロケで撮影された物もあるが、戦火に巻き込まれるジョージアの町、そこに並ぶ負傷者の山、ほとんどがセット、エキストラである。そして、衣装、これだけの物をアナログで作っていることは驚異としかいいようがない。バトラーがスカーレットを拾い、身重のメラニーを乗せた馬車がジョージアを脱出するシーン、後ろの巨大な建物が燃え落ちる大スペクタクルだ。映画はこのシーンからスタートして、まだその時点でスカーレット役が決まらず、吹き替えを絡めて撮影したという逸話が残っている。

スカーレット役に抜擢されたヴィヴィアン・リー。高慢でプライドが高く、負けず嫌い。だが、生命力に富み、生き抜くためには何でもするスカーレット役を実に巧みに演じており、本作でオスカーに輝いたことは当然、他にも名作を残してはいるが、ヴィヴィアン・リーと言えばスカーレット・オハラ、まさに代名詞といっていい。一部の最後にタラの大地から大根を引き抜き食べ、二度と植えに泣かないと誓う場面。
 様々な負の連鎖により、レットへの想いに気がついた時には遅すぎタラに戻る真っ赤な夕焼けに佇むスカーレット、どの場面も名場面として焼きついており、マックス・スタイナーの壮大な名曲と共に印象に深く残っている。

スカーレットの生涯面倒をみることになる家政婦マミー(バディ・マクダニエル)は初の黒人助演女優賞作品になったのだが、差別のため会場にすら入れてもらえなかったと。
 レットが信頼し、彼を慕う娼婦ベル・ワトリング(オナ・マンソン)、母の死を受け止めきれずおかしくなる父親ジェラルド(トーマス・ミッチェル)。脇役たちもいい役者を揃えてはいるが、この映画は主にスカーレットはアシュレーへの片想い、アシュレーはメラニーと結ばれ、それを知った上で二度の離婚と死別をしながら、強かに生き抜くスカーレットに同じ臭いを感じて求婚するレット。この四人の人間関係で紡がれるドラマであり、それだけ限定された人物で描かれているにも関わらず、本作は3起伏あるドラマが時間58分という時間を全く感じさせない。これは奇跡と言っていい。つまらぬ横槍など全く関係なく、やはり本作は映画史上に残る映画史上の傑作である。