[街の灯] | 力道の映画ブログ&小説・シナリオ

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チャールズ・チャップリン監督・脚本・製作・主演・音楽。ローザント・トザロー、ゴードン・ボロック撮影、アルフレッド・ニューマン音楽。31年、アメリカ映画。


市販のDVDにて再観。製作に三年を要したチャールズ・チャップリンの長編映画であり、盲目の花売り娘と放浪者のラブ・ストーリーを情感豊かなに描く、代表作の一本。サイレントの申し子だったチャップリンはトーキーを嫌い、本作は擬音と後に音楽を付けたサウンド版として公開された。


オープニングの式典で、彫像に上で寝ているチャップリンのパントマイムで始まるのだが、花売り娘との出会いのシーンに342回のNGを出したり、彼の完璧主義が伺える。自殺しようとする富豪を救おうとする場面、有名なボクシングの場面など、いつものことながら、チャップリンの体当たりの熱演は素晴らしい。特にボクシング場面のレフェリーを挟んだ対戦相手の攻撃を交わすギャグは三人のいきが合わないとできない芝居で、絶妙なバランスを保っており感心させられてしまう。


ある都で盛大な銅像除幕式があった。像を覆っていた幕が引き下されると、この像の上には一人のみすぼらしい放浪者(チャールズ・チャップリン)が眠っていた。人々の驚駭と叱声の中に、この放浪者は狼狽して逃げ出した。宿をも失われたこの浮浪者にとっては身投げでもするより外にすることがない様に思われた。その彼の目の前に現われたのは、酔っ払いの富豪(ハリーマイヤーズ)だった。自殺しようとする彼を放浪者は救うと、富豪の家に招待された。この金持ちは酔うと、やア親友と、叫んでは浮浪者の彼の首っ玉にも跳びつく癖のある男だが、ただ残念なことには、酔いがさめると、もう全然酔中のことは忘れているのであった。この浮浪者が、計らずも、街角で花を売る娘(ヴァージニア・チェリル)を見て胸を踊らせたのである。放浪者は、この盲目の娘の花を全部買い面倒をみた。娘は彼の手を握っては感謝の言葉を述べるのであった。彼女が家賃を請求され、目の手術ができるようになったことを知った放浪者は、働いて金を儲け彼女を助けたいと考えた。そして、まず街の清掃作業員になった。金が入ると、彼女の家へ堂々として紳士らしく訪問していき、いじらしい盲目の娘が、つつましく彼と話をしたり、やさしく微笑んだりするのを眺めては、思慕の情をやっていた。だが、恋というものは、仲々成らぬものである。彼は職を失い、その上に娘は病気になった。大切な恋人の病を癒す大金がいる。そこで彼は賞金目当てにボクシングに飛入りした。が、所詮は素人の小男の彼だった。リング上を修羅の如くに荒れ廻りはしたが、遂には彼は手痛く叩きのめされてしまった。絶望した彼はトボトボと街を歩いた。すると、その彼の目の前にあの酔っ払いの富豪が現れた、また酔って彼に1000ドルくれるのだが、その夜、富豪の家に泥棒が入り…,。


この酔っ払ってと仲良くなり、素面に戻るという富豪役は冒頭の水に飛び込むシーンを最初にキャスティングされたヘンリー・クライプが拒否したことで、ハリー・マイヤーズにヒロインのヴァージニア・チェリルですら、わがままで一度は交代させられている。撮影以外の全てをこなすチャプリンだけにそうした権限を全て持ち、映画を製作しており、ギャグのタイミングなども完璧。何度もやり直したことが窺われる。


愛、笑い、ペーソス、それを作品の中で自らの身体を張って体現しているチャップリンだが、本作はその中では他のクールな作品と比較するとメロドラマになっており、珍しいのだが、シンプルだが感動を誘う映画であり、評価も高い。


チャプリンの作品は73年に東宝東和による『ビバ!チャプリン』というリバイバル上映で再び注目を集めたのだが、自分のその後、名画座に下りてきたときにほぼ劇場で何本立てかで鑑賞できているが、久しぶりに鑑賞しでも色褪せない普遍的な作品であることを改めて確認できた。


チャールズ・チャップリン。『独裁者』など。