こんにちは、リカです。
「ちゃんと説明すれば、分かってもらえる」
昔の私は、
かなり長い間そう信じていました。
誤解があるなら、順番に説明すればいい。
相手が怒っているなら、まず話を聞けばいい。
こちらにも落ち度があるなら、そこは認めればいい。
そうすれば、
最後には少し落ち着いて話せると思っていたんです。
でも、
何を説明しても聞いてもらえないことがありました。
一つ答えると、
また別の不満が出てくる。
一つ謝ると、
今度は過去の話まで持ち出される。
そのうち私は、
何について話していたのか分からなくなりました。
あとになって気づきました。
あの人は、
私の説明を聞きたかったのではなかったのかもしれません。
自分の中に溜まっていたものを、
誰かに向けて外へ出したかっただけだったのかもしれません。
私は、質問されたら答えるものだと思っていました。
ある日、
職場で処理した仕事について呼ばれました。
「どうして、こうしたの?」
そう聞かれたので、
私は理由を説明しようとしました。
途中で指示が変わったこと。
別の人にも確認して進めたこと。
私なりに判断した理由があったこと。
もちろん、
確認が足りなかった部分は認めるつもりでした。
だから最初に、
「そこは確認不足でした」と伝えました。
そのうえで、
経緯を説明しようとしたんです。
すると相手は、
私の話を途中で止めました。
「だから、それは言い訳でしょ」
「何で素直に謝れないの?」
私は少し混乱しました。
理由を聞かれたから、
理由を答えようとしただけでした。
でも相手が欲しかったのは、
理由ではなかったようです。
質問の形はしていても、
答えを求められているわけではありませんでした。
答えるたびに、話題が増えていきました。
私は、
まだ誤解があるのだと思いました。
もっと短く話せばいい。
余計なことを言わず、事実だけ説明すればいい。
そう考えて、
もう一度伝えようとしました。
でも、
私が一つ答えるたびに、
相手は別の話を持ち出しました。
今回の仕事の進め方。
以前の確認不足。
普段の返事の仕方。
周囲への気配り。
最後には、
私の性格の話まで広がっていました。
「いつもそうだよね」
「本当に周りが見えていない」
「そういう考え方だから駄目なんだよ」
最初は一つの仕事について話していたはずでした。
ところが途中から、
私という人間全体が問題になっていました。
私は何とか話を戻そうとしました。
「今回の件については……」
そう言うと、
また言い訳をしていると言われました。
問題解決の話し合いをしているつもりだったのは、
たぶん私だけでした。
私は、会話を成立させる責任を一人で背負っていました。
相手の声が強くなるほど、
私は丁寧に話そうとしました。
刺激しない言葉を選ぶ。
相手の話を遮らない。
まず自分の落ち度を認める。
感情的な返し方をしない。
私が落ち着いていれば、
相手も少しずつ落ち着くと思っていたからです。
でも実際には、
私が冷静でいようとするほど、
相手はさらに言葉を続けました。
私は相槌を打ち、
何度も謝り、
できるだけ穏やかに返しました。
話し合いの技術だけは、
かなり真面目に投入していました。
相手側の参加意思については、
なぜか一度も確認していませんでした。
会話がうまくいかなければ、
私の聞き方や伝え方が悪い。
そう決めていたからです。
相手の言葉を、全部改善課題として持ち帰りました。
その場が終わったあと、
私は相手から言われたことを一つずつ思い返しました。
周りが見えていない。
確認が甘い。
言い訳が多い。
人の話を素直に聞けない。
どこを直せばいいのか考えました。
手帳に書き出したこともあります。
返事を早くする。
説明を短くする。
先に謝る。
確認回数を増やす。
相手がその場で口にした言葉を、
私は全部、正式な評価だと思っていました。
まるで精密な分析結果を渡されたように、
一つずつ真剣に受け取ったんです。
でも、
相手は本当に私を分析していたのでしょうか。
落ち着いて事実を整理し、
必要な改善点を選んで伝えていたのでしょうか。
今振り返ると、
そうではなかったように思います。
その時に浮かんだ苛立ちを、
勢いのまま言葉にしていただけだったのかもしれません。
私は感情の勢いで投げられた言葉まで、
自分の人格評価として保管していました。
謝ると、次の不満が出てきました。
私は早く話を終わらせたくて、
何度も謝りました。
「そこはすみませんでした」
「次から気をつけます」
「不快にさせたなら申し訳ありません」
一つ認めれば、
そこで話が区切られると思っていました。
でも相手は、
「分かっているなら、前の時もそうだったよね」と続けました。
そこでまた謝ると、
今度は別の日のことが出てきました。
謝罪が話の終点ではなく、
次の不満を出す入口になっていました。
私は謝るたびに、
少しずつ話を収めているつもりでした。
実際には、
もっと話していいと伝えていたのかもしれません。
当時の私は、
その違いに気づきませんでした。
相手は少し落ち着き、私は動けなくなりました。
一通り話し終えると、
相手の声は少し静かになりました。
「次から気をつけて」
最後は、
そんな言葉で終わりました。
相手は自分の席へ戻り、
しばらくすると普通に仕事をしていました。
私は席へ戻っても、
しばらく画面を見たまま動けませんでした。
何から手をつければいいのか分からない。
さっきまでしていた仕事の続きも思い出せない。
頭の中には、
相手の言葉だけが残っていました。
相手は話し終えて少し軽くなり、
私はその重さを受け取ったまま座っていました。
それでも私は、
話を聞けてよかったと思おうとしました。
相手も言いたいことを言えた。
これで関係が少し良くなるかもしれない。
そんな期待をしていたんです。
同じことは、また繰り返されました。
しばらくすると、
また似たことが起きました。
相手が不機嫌になる。
私が理由を聞く。
相手が不満を話す。
私が受け止めて謝る。
その日は静かになる。
でも、
数日後には別のことで同じ状態になる。
私は、
毎回きちんと向き合っているつもりでした。
相手の話を聞き、
必要なら謝り、
自分なりに改善していました。
それなのに、
関係は一向に落ち着きませんでした。
そのたびに私は、
まだ聞き方が足りないと思いました。
まだ相手の本音を理解できていない。
まだ信頼関係ができていない。
だから、
また丁寧に話を聞こうとしました。
今思うと、
かなり真面目に同じ入口を開け続けていました。
私は「聞くこと」と「引き取ること」を混同していました。
人の話を聞くことは、
大切だと思います。
相手の感じ方を知ること。
自分には見えていなかった点を教えてもらうこと。
関係を調整するために話し合うこと。
今でも、
必要なことだと思っています。
ただ、
話を聞くことと、
相手の感情を全部引き取ることは違いました。
相手が怒っている。
だから私が落ち着かせなければならない。
相手が不満を持っている。
だから私が原因を見つけなければならない。
相手が苦しそうにしている。
だから私が最後まで受け止めなければならない。
私は、
そんなふうに考えていました。
話を聞くたびに、
相手の状態を自分の課題へ変えていたんです。
話し合いには、相手にも話し合う意思が必要でした。
あとになって、
当たり前のことに気づきました。
話し合いは、
一人では成立しません。
相手の話を聞く。
事実を確認する。
自分の思い込みがなかったか考える。
お互いに調整できる場所を探す。
こちらだけではなく、
相手にもその意思が必要です。
私が話すと遮る。
理由を説明すると言い訳扱いする。
一つ謝ると別の不満を追加する。
事実ではなく人格へ話を広げる。
そういう状態を、
私はずっと話し合いだと思っていました。
でも、
少なくとも私が望んでいた対話とは違いました。
相手は問題を整理したいのではなく、
自分の中にあるものを出したかったのかもしれません。
質問の内容より、質問のあとを見るようになりました。
以前の私は、
質問されたらすぐ答えようとしていました。
「どうして?」と聞かれたら理由を説明する。
「何を考えていたの?」と聞かれたら考えを話す。
でも今は、
少しだけ相手の反応を見るようになりました。
こちらが答えた時、
相手は内容を聞こうとしているか。
事実が分かったら、
話を整理しようとしているか。
それとも、
答えに関係なく次の責め言葉を探しているか。
質問の形だけを見ていると、
私はいつまでも答え続けてしまいます。
でも、
相手が答えを受け取るつもりがないなら、
説明を重ねても会話は深まりません。
私の説明力の問題ではない場面もありました。
相手の言葉が全部「本音」とは限りませんでした。
私は以前、
感情的な時に出た言葉ほど本音だと思っていました。
強く言われた言葉。
勢いよく否定された言葉。
何度も繰り返された言葉。
それだけ強く言うのだから、
きっと本当にそう思われている。
そう受け取っていました。
でも、
感情が大きい時の言葉には、
その場の勢いも混ざります。
相手の疲れ。
別の場所で感じた苛立ち。
うまく処理できていない不安。
何が混ざっていたのか、
私には分かりません。
ただ、
その瞬間に投げられた言葉を、
全部正確な自己評価として受け取る必要はなかったんです。
相手が大きな声で言ったことと、
その内容が正しいことも同じではありませんでした。
私は、相手を落ち着かせる方法を探しすぎていました。
当時の私が考えていたのは、
いつも相手を落ち着かせる方法でした。
どんな相槌なら安心するか。
どの順番で謝れば納得するか。
どんな言い方なら怒りが収まるか。
相手の感情を、
私の対応で何とかしようとしていました。
でも、
相手の中に溜まっているものを、
私の言葉だけで消すことはできませんでした。
その人が抱えている不満。
焦り。
自信のなさ。
別の人への怒り。
何があったとしても、
私が全部処理できるものではありません。
それでも私は、
相手が落ち着かないたびに自分の対応を直していました。
できない仕事を、
ずっと自分の担当だと思っていたんです。
会話が成立していない時まで、話し続けなくてもよかった。
以前の私は、
途中で話を終えることを逃げだと思っていました。
最後まで聞かないのは失礼。
相手が怒っているのに離れるのは無責任。
誤解があるなら、その場で解かなければならない。
そう思っていました。
でも、
話し合える状態ではない時に、
無理に話し続けても整理は進みませんでした。
相手の感情が大きすぎる。
こちらの話を聞く余裕がない。
論点が次々に変わる。
そんな時は、
そこで全部解決しなくてもよかったんです。
今は整理できない。
事実を確認してから話したい。
今回の件だけに絞りたい。
そう考える選択肢もありました。
当時の私は、
相手が満足するまで受け止めることしか知りませんでした。
分かってもらえないのは、説明不足とは限りません。
もし今、あなたも、
何度説明しても言い訳だと言われる。
一つ答えると、
また別の不満を持ち出される。
話し終わった相手は普通に戻るのに、
自分だけが長く疲れている。
そんなことが続いているなら。
あなたの説明が足りないと決める前に、
少しだけ相手の目的を見てみてください。
相手は、
事実を知ろうとしているでしょうか。
あなたの話を受け取り、
一緒に整理しようとしているでしょうか。
それとも、
答えに関係なく感情を出し続けているでしょうか。
言葉が交わされているからといって、
必ずしも会話が成立しているわけではありません。
少なくとも私は、
その違いが分からず、
聞き方と伝え方ばかり直していました。
相手の感情を受け止めることと、
その感情の置き場所になることは違います。
何度話しても自分だけが消耗する時に、
見直しておきたかったことをこちらにまとめています。