こんにちは、リカです。


「まずは、自分の感情を整えよう」


昔の私は、


人間関係で何か起きるたびに、そう考えていました。

 

相手を変えることはできない。


変えられるのは、自分だけ。

 

だから、


嫌なことがあった日はノートを開きました。

 

何を言われたのか。


その時どう感じたのか。


本当は何を伝えたかったのか。

 

書き出せば、


感情が整理される。

 

自分を満たせば、


相手との関係も少しずつ変わっていく。

 

当時の私は、


本気でそう信じていました。

 

ノートは何冊も埋まりました。


自分の感情を表す言葉も、かなり増えました。

 

でも翌日、職場へ行くと、


相手の口調は昨日と同じでした。

 

嫌なことがあると、まず自分の中を調べました。

 

職場で強く言われた日。

 

人前で嫌味を言われた日。

 

相手の機嫌に振り回されて、


何も言えないまま帰った日。

 

私は家に着くと、


ノートを開きました。

 

今日、何が起きたのか。


私はどう感じたのか。


なぜ、こんなに傷ついたのか。

 

一つずつ書いていきました。

 

最初は、


「腹が立った」くらいしか書けませんでした。

 

でも学んでいくうちに、


もっと細かく感情を分けられるようになりました。

 

悲しい。


悔しい。


軽く扱われた気がする。


分かってもらえなくて寂しい。

 

感情の解像度だけは、


少しずつ上がっていきました。

 

ただ、


翌朝になるとまた相手の顔色を読んでいました。

 

書いた直後は、少しだけ落ち着きました。

 

ノートに書くこと自体は、


私にとって無意味ではありませんでした。

 

頭の中で何度も繰り返していた言葉を、


紙の上へ出す。

 

自分が何に傷ついたのか、


言葉にして確認する。

 

そうすると、


少し呼吸がしやすくなることもありました。

 

ああ、私は嫌だったんだ。


本当は納得していなかったんだ。


ただ謝りたかったわけではないんだ。

 

書いて初めて分かることもありました。

 

だから、


感情を書き出すことが間違いだったとは思いません。

 

問題は、


私はその先まで全部ノートに任せようとしていたことです。

 

書けば感情が整う。


感情が整えば、私の態度が変わる。


私の態度が変われば、相手も変わる。

 

かなり遠いところまで、


一冊のノートに担当させていました。

 

翌日、相手の態度は何も変わっていませんでした。

 

ある日、


職場で小さな確認漏れがありました。

 

私にも見落としはありました。

 

ただ、


事前に聞いていた内容と、


実際の指示に食い違いもありました。

 

相手はその場で、


かなり強い口調になりました。

 

「普通は分かるよね」


「どうして毎回こうなるの?」


「少しは自分で考えて」

 

周りにも聞こえる声でした。

 

私は何も説明できず、


「すみません」と答えました。

 

家に帰ってから、


その日のことを丁寧に書き出しました。

 

傷ついたこと。


人前で言われたのが嫌だったこと。


私だけの責任ではないと思っていたこと。

 

最後には、


「私は私の価値を相手の言葉で決めなくていい」と書きました。

 

きれいな文章でした。

 

でも翌日、


相手は何事もなかったように私へ仕事を振り、


少しでも返事が遅れるとまた不機嫌になりました。

 

私のノートは整っていました。


職場の関係は、整っていませんでした。

 

私は「現実が変わらない原因」まで自分の中に探しました。

 

それでも私は、


方法を疑いませんでした。

 

書き方が浅いのかもしれない。


まだ本音までたどり着いていないのかもしれない。


相手への執着を手放せていないのかもしれない。

 

現実が変わらないのは、


私の内面整理が足りないから。

 

そう考えました。

 

だから今度は、


幼い頃の記憶まで振り返りました。

 

なぜ私は人の機嫌を怖がるのか。


なぜ強い人に何も言えなくなるのか。


なぜ嫌われることを避けるのか。

 

掘れば掘るほど、


自分の中から理由は見つかりました。

 

理由が見つかるたびに、


少し理解した気になりました。

 

でも、


相手が私にだけ強く当たる現実は残ったままでした。

 

自分を理解することと、相手の行動を止めることは別でした。

 

私は長い間、


この二つを同じものだと思っていました。

 

自分の感情を理解できれば、


人間関係もうまくいく。

 

自分を満たせば、


周囲の扱いも変わる。

 

自分の思い込みを手放せば、


目の前の問題も消えていく。

 

そういう言葉を、


私は何度も見てきました。

 

役に立つ場面は、


確かにあると思います。

 

自分の気持ちが分からないままでは、


何を選びたいのかも分かりません。

 

ただ、


自分を理解することと、


相手の行動が変わることは別でした。

 

私が自分を満たしたからといって、


相手が感情的に怒鳴らなくなるわけではありません。

 

私が過去を癒したからといって、


相手がこちらの話を聞く人になるわけでもありません。

 

当時の私には、


その違いが分かりませんでした。

 

ノートの中でだけ、私は少し強くなれました。

 

書く時の私は、


現場にいる時よりずっと冷静でした。

 

「その言い方は受け入れられない」


「私だけの責任ではない」


「一度、事実を整理してほしい」

 

ノートには、


かなりまっとうな言葉を書けました。

 

ところが職場で、


相手の眉間にしわが寄った瞬間、


その言葉は全部引っ込みました。

 

紙の上の私は、


境界線も引けるし、落ち着いて意見も言えました。

 

現場の私は、


相手の声の強さだけで謝っていました。

 

この差を見るたびに、


私はさらに自分を責めました。

 

書けるのに、なぜ言えないのか。


分かっているのに、なぜできないのか。

 

まるで、


知識を持っている分だけ失格点が増えていくようでした。

 

私は、ノートの中で相手との関係まで処理していました。

 

嫌なことがあっても、


私は相手に何かを伝えるより先にノートへ向かいました。

 

その日の感情を書き、


相手にも事情があると考え、


最後には自分なりの学びへ変える。

 

「今回のことで、自分の課題に気づけた」


「相手は私に鏡を見せてくれた」


「この出来事にも意味がある」

 

そう書くと、


少し立派な経験に見えました。

 

でも現実には、


私は嫌だと言っていませんでした。

 

人前で強く言われたことも、


仕事が偏っていることも、


相手の機嫌で扱いが変わることも。

 

ノートの中では何度も扱いました。

 

現実の関係では、


ほとんど何も扱っていなかったんです。

 

感情を整えるほど、我慢を続けられてしまいました。

 

書き出すと、


その日の苦しさは少し軽くなりました。

 

少し眠れるようになる。


翌朝、何とか職場へ行ける。


また笑顔で相手に挨拶できる。

 

私はそれを、


前向きになれた証拠だと思っていました。

 

でも別の見方をすると、


また同じ場所へ戻れる程度に自分を回復させていただけでした。

 

状況は変わっていない。


相手の態度も変わっていない。


私の役割も変わっていない。

 

ただ、


私だけが自分を整えて、また受け止める側へ戻っていました。

 

感情整理が役立たなかったのではありません。

 

役立ったからこそ、


私は長く我慢できてしまった部分もありました。

 

このことに気づいた時は、


少し複雑でした。

 

「自分を変えれば現実が変わる」に逃げていました。

 

自分を変える方が、


私には扱いやすく感じられました。

 

本を読む。


ノートを書く。


考え方を見直す。

 

全部、一人でできます。

 

一方で、


現実の関係を見るのは怖いことでした。

 

相手は、話し合うつもりがないかもしれない。


私がどれだけ変わっても、態度を変えないかもしれない。


距離を取る必要があるかもしれない。

 

その可能性を認めると、


何かを選ばなければいけなくなります。

 

それより、


自分の内面にまだ課題があると思う方が楽でした。

 

次にやることが決まるからです。

 

もっと書く。


もっと学ぶ。


もっと自分を整える。

 

私はかなり真面目に、


変えられないものまで自分の内側で変えようとしていました。

 

私にも、見直した方がいいことはありました。

 

ここで、


全部相手が悪かったと言いたいわけではありません。

 

私にも確認不足はありました。


曖昧な返事をしてしまうこともありました。


嫌だと思っても何も伝えず、


突然距離を取りたくなることもありました。

 

自分の反応を振り返ることは、


今でも必要だと思っています。

 

ただ、


私に改善点があることと、


相手が感情をぶつけていいことは別でした。

 

私が言葉に詰まることと、


人前で人格まで責められることも別です。

 

自分の課題を見ることと、


相手の課題まで引き取ることは同じではありません。

 

ノートに書く時、


私はこの境目をほとんど見ていませんでした。

 

書く目的を、少し変えるようになりました。

 

今でも、


頭の中が混乱した時に書くことはあります。

 

ただ以前のように、


自分の中から原因だけを探すためには書かなくなりました。

 

私は何を感じたのか。


私に改善できることは何か。


相手の責任として残すものは何か。


この関係で繰り返されていることは何か。

 

そんなふうに、


少し分けて見るようになりました。

 

私の考え方だけではなく、


実際に相手が何をしているのかも書く。

 

私が傷つきやすいかどうかだけではなく、


同じ扱いが繰り返されていないかも見る。

 

内面を整えるためだけではなく、


現実をぼかさず確認するために書く。

 

そうすると、


ノートの役割が少し変わりました。

 

書いて楽になっても、同じことが続くなら。

 

もし今、あなたも、


嫌なことがあるたびに感情を書き出している。

 

自分の思い込みを探し、


相手への見方を変え、


何とか前向きになろうとしている。

 

それでも職場へ戻ると、


また同じ相手に同じように消耗しているなら。

 

たぶん、


あなたも薄々気づいていると思います。

 

整理した方がいいのは、


自分の感情だけではないのかもしれません。

 

実際に何が繰り返されているのか。


誰が感情を出し、誰が処理しているのか。


あなたが整うたびに、誰が何も変わらずに済んでいるのか。

 

そこまで見ないまま、


全部を自分の内面で片づけなくてもいいと思います。

 

ノートに書いて落ち着くことと、


現実の関係が変わることは別です。

 

私はその違いに気づかないまま、


何冊も自分だけを修正し続けていました。

 

また「私の心が整っていないから」で終わらせそうになった時に、


言葉の外で繰り返されていることも見てみてください。

 

自分の内面だけでは処理できなかったものを、


別の角度から見るための視点をこちらにまとめています。

 

>> 自分を整えても繰り返される人間関係と、自分の「場」を守る視点はこちら