新聞休刊日
6月10日朝、新聞が届かない。
そう、きょうは休刊日だった。
新聞の(配達の)ない日は、時間がたっぷり使えて嬉しくなる。
以前夕刊購読をやめた時、夜の時間が(新聞から)解放されて味わったのと同じ気分だ。
だったら、一層のこと購読をやめたらいいではないか。
でも、やっぱりそうではない。
いくらスマホであらゆる情報が取得できるといっても、自分好みのネタを暗黙に選択しており、それでは多様性・多角性に欠ける。
テレビがいくら速報性があるといっても、背景や深掘りは、やはり紙媒体のほうが勝っている。
フェイク・デマゴーグ・ヘイト・なりすましなど、知らぬうちに忍び寄る悪夢には、ファクトチェックが(他と比べて)まだましと思われる新聞を読む必要があると思っています。
その新聞も宅配という物流を考えると、先が暗い。
ネット配信にはどうも新聞は馴染まない気がする。
やはり新聞社という個別の流通網は限界があり、全新聞社が相乗りする流通しか生き残れない気がする。
そして、現行の月1回の休刊日を、週1回にして販売店の働き方改革を促すとよい。
まだまだ新聞には捨てがたいものがある。
新聞広告に出色のものが、6月6日掲載された。
こういう広告が載るのも新聞である。
ディズニーの4頁にわたる広告の一部です
高度成長期から失われた30年を経て現在に至る
変遷をディズニーの視点で広告表現
(朝日新聞、6月6日紙面より)
(この項、おわり)