翌日の3月24日(日)。この日は宿の近くの小さな博物館を訪れた後、少々遠出して(宿から約9キロ)、この国の誇る大きな植物園を目指すことにしました。
植物園へ向かう道中で見た物や植物園自体は次回以降の記事に譲るとして、まず朝食を取った店を。宿から1ブロック、徒歩3分しか離れていない所にあるアフォガート・カフェ (Affogato Café)。客が20人余りいてほぼ満席です。賑わっています。レジ近くの小さなテーブルしか空いていなかったので、私はそこに座りました。
食べたのはニサ・クレープ (Crepe Niza)。480ペソ(約1,220円)。Niza という語をネットで調べると、それらしい意味を持つものとして、フランスの都市ニースをスペイン語ではこう呼ぶらしいので、多分それを指すのでしょう。ならば、「ニース風クレープ」とでも訳した方がいいのかもしれません。中身は玉子、ハム、玉ねぎ。チーズも載っているので、ラザニアみたいな感じです。
コーヒー (Café Americano) は150ペソ(約340円)。
人気店であることが納得できる、とても味わいのあるクレープとコーヒーでした。
さて、そこからわずか徒歩1分でドミニカ抵抗運動博物館 (Museo Memorial de la Resistencia Dominicana) です。入館料は外国人の大人が300ペソ(約760円)、国内の大人が200ペソ(約510円)ですので、それほど安くはありません。
20世紀の独裁政治に対する闘争史を解説したパネルやビデオが展示されています。銃なども陳列されていました。説明は全てスペイン語で書かれていますが、英語の音声ガイドもあります。
私にとって最も印象的だったのは、1950年代にラファエル・トルヒーヨの独裁に反対したミラバル姉妹 (Hermanas Mirabal) に関する展示。このような感じに、背景の前で人物だけが動く動画がありました。
ご興味のある方は、ウィキペディアの日本語版にもエントリーがありますので、そちらをお読みになっていただければと思います。4人姉妹で、あまり反独裁運動に関わっていなかった次女のベルヒカ (Bélgica) 以外の3人、すなわち長女パトリア (Patria)、三女ミネルバ (Minerva)、四女アントニア (Antonia) は1960年11月25日に殺されています。画像に現れているのは、その殺された3人です。
彼女たちは反独裁運動における、いわば悲劇のヒロインで、このように200ペソ紙幣にも描かれています。
この人形の前を通ったら、突然動いて喋り出したのでびっくりしました。譬えは悪いですが、その瞬間、さながら明るいお化け屋敷のようでした。ウィキペディア(スペイン語版)によると、反独裁運動を行った弁護士であり、ミネルバ・ミラバルの夫であったマノロ・タバレス・フスト (Manolo Tavárez Justo) です。
彼は1963年、トルヒーヨ暗殺後に続いた三頭政治に対するゲリラ戦の戦闘中に銃殺されています。
人形の上には、やはり反独裁主義の詩人、レネ・デル・リスコ・イ・ベルムデス (René del Risco y Bermúdez) が恐らく彼に捧げたのであろう、「ある英雄の耳への言葉 (Palabras al oído de un Héroe)」という作品からの抜粋が掲げられていました。
中庭に向かって、「記憶・真実・正義 (MEMORIA VERDAD JUSTICIA)」と書かれた看板が屋上に立っています。
それでは、植物園に向かいます。サントドミンゴを走る地下鉄を使ってみたかったので、最寄り駅まで歩いて行きます。
「最寄り」とは言ってもここから2.5キロ。約40分なので、結構遠いのだな、これが。