トゥトゥニチャパ通りのストリート・アート(下) | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

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エルサルバドルに単身赴任中(7/15~8/5一時帰国)。
気候が良く日本より健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意すべきは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

私の職場近くのトゥトゥニチャパ通り。そこに描かれたストリート・アートの後半です。

 

 

この、瞳を中心に据えた同心円状の作品、私が連想したのは、幻覚剤による感覚を表現したサイケデリック・アートでした。ひょっとしてLSDや何かの薬物を服用して、このような独創的な作品を描いているのではと思った私。

 

 

スキンヘッドのお兄さん、鼻に絆創膏をして、顔を真っ赤にして、何を逆上しているのでしょうか。怖い怖い。

 

あるいは激しい花粉症の発作か?

 

 

一方こちらの男性は真っ青の、いかにも不健康そうな顔をしていますね。フィールド調査に出ているような感じの服装で、ご専門は何なのでしょうか。日頃は研究室に籠(こも)ってばかりいるんじゃないですか?

 

 

私としては、もうちょっと可愛いワンちゃんの方がいいんですが、犬という動物は、人間に従順なようで、どこかにフラストレーションを溜め込んでいるのかもしれません。

背後の、放射性廃棄物を入れていると思しきドラム缶が脅威です(緑の液体が漏出しているんですけど)。あるいは、原子力発電を進める人間の愚かさに対して説教を垂れているのでしょうか。

 

 

こちらは打って変わって、ワニの着ぐるみに入った無垢で純朴そうな坊ちゃん。しかしこういうガキが意外と侮れないんですよ。何を企んでいるか分かりません。

ほら、やはり背後に放射性物質の缶を置いているでしょ? こちらからは赤い液体が……。

 

 

マーブリングのような感じで描かれたこの絵は、内臓の横断面のようにも見えて、ややグロテスクな感じがします。

 

 

1960年代のアニメで日本でも放映されたという『原始家族フリントストーン』の登場人物、バーニー・ラブル (Barney Rubble)

こういうアメリカの古典的なアニメのキャラクターは、結構ストリート・アートの題材になっているようです。

 

 

これも画像検索をして何かのキャラクターではないか調べましたが、類似画像が現れず、特定を断念。ジェット機に乗る少年とワンコは、きっと正義の味方に違いありません。

 

 

これも何のキャラクターか分かりませんでした。恵比寿さんのように、でっかい魚を担いでいますね。ただ、恵比寿さんなら背後にサメを侍(はべ)らせるようなことはしないでしょう。

 

 

ストリート・アートはまだまだ続きます。

 

 

運動靴という題材はユニークですね。周囲にどぎつい絵、激しい絵、荒々しい絵が並んでいると、ここだけ長閑(のどか)に思われてきます。

 

 

背景に炎が上がっているので、戦争か何かを題材にしているのでしょうか。

それにしても、描かれてからさほど年月が経っていないはずなのに、既にかなり傷んでいます。

しかし、これがストリート・アートのいわば宿命なのでしょう。「今」に息づいて、「今」と共に生き、「今」と共に亡びていく。数十年後には廃墟と化すのです。我々人間と同様、あるいは都市の建築物と同様、寿命があるのです。この意味で、古典的な美術品や、投資的(投機的?)価値を持つような美術品とは違うのです。

これらの作品が生きている間にせいぜい愛(め)でてあげましょう。それがストリート・アートの「正しい」鑑賞法なのではと思ったのでした。

諸行無常。だから貴重であり、だから一期一会なんです。

 

私は、オークションでの落札の直後、シュレッダーで下半分が裁断されたバンクシーの作品、「愛はごみ箱の中に」(リンク先はウィキペディア)を思い出しました。ストリート・アートには、バンクシーと似たような風刺が込められているような気がします。

 

 

雄鶏の鶏冠(とさか)も、火炎をほとばしらせているかのようです。

このようにして見ていくと、ストリート・アートは、抑圧された怒りやフラストレーションを絵画表現によって爆発させ昇華させる場であるとも言えそうです。

 

 

目ん玉をひんむいて、こんな形相(ぎょうそう)をして。もう、人間の顔をしていません。

 

 

そうそう、小鳥を連れて、穏やかな顔つきで、斜め上20度くらいに視線を向けるのです。そうすると、ささやかな希望も湧いてくるというもの。

小鳥の頭上には、月齢1日の月が(と私は解釈します)細い弓形の光を放っています。これから日を追うにつれ、徐々に満ちてきますよ。

それとも、この顔は何かを憂えているのでしょうか。

 

 

ドラゴンでしょうか、ワニでしょうか、恐竜でしょうか、とにかく爬虫類(はちゅうるい)っぽいですが、それにしては頭と顎(あご)に毛みたいのが生えていますね。

つぶらな瞳が従順な犬みたいで、意外とカワイイ。

 

 

何と、日本語まであります。なぜ「アライグマ」なんでしょうか。典拠が何か(マンガやアニメ?)、推測できる方はいらっしゃいますか?

実は、最初にこれらのストリート・アートに私の目が留まったのは、この文字を見た時です。

 

 

少々キュービズムが入った女性の横顔。目を瞑(つむ)っているところと言い、青や紫を中心にした配色と言い、厚い唇と言い、どことなく神秘的で妖艶な感じがしてきます。

 

 

と、いきなりタコ人間。何故に?

 

 

言うまでもなくディズニーのキャラクターであるドナルド・ダック。怒った顔をしていますね。

アーティストの何に対する怒りをドナルドの顔で表現しているのでしょう。

 

 

これも雄鶏のようです。日本だったら雉(きじ)かとも思ってしまいますが、雉には鶏冠がないですね。

 

 

画像検索しましたが、これといったキャラクターは出て来ませんでした。

 

 

左は特定できませんでしたが、右は、アメリカで1961年から翌62年にかけて放映されたアニメ『どら猫大将』(原題TOP CAT)のキャラクター、ベニ公 (Benny the Ball) を描いたもののようです。しかしオリジナルよりも幾分痩せた感じがします。

ストリート・アートは落ち着いた街並みにはそぐわないと思いますが、慌ただしい都会の一角に描かれているのであれば、躍動感を与え、活気を与えるような気がします。

「落書き」と言えば、非行少年やギャング団を連想させ、不健全さや危険の象徴のような扱いを世間から受けて来ました。しかし、それはバンダリズム(公共物や価値のある物の破壊行為)としての落書きです。今回お見せしたような「ストリート・アート」は創造物であり、それを描くのは、生産的な行為であると言えるでしょう。

一見同じような物でも、文脈や解釈によって破壊とも生産とも見られうる。不思議なものです。