国立人類学博物館 | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

エルサルバドルに単身赴任中。
気候がいいので日本よりよほど健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意しなければならないのは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

前回の記事の関連で、鳥山明追悼イベントの会場となったドクトル・ダビッド・J・グスマン国立人類学博物館 (Museo Nacional de Antropología Dr. David J. Guzmán, MUNA) をご紹介しましょう。

入館料はエルサルバドル人1ドル、在住外国人3ドル、一般外国人10ドルのところ、本日は特別無料開放。ラッキーでした。

 

 

まずはイベントの会場のすぐ脇の廊下に描かれた壁画。エルサルバドルの悲劇の歴史を物語っています。中央は、この国では言わずと知れたオスカル・ロメロ神父 (Monseñor Óscar Romero)。彼が1980年に暗殺された場面を描いたもののようです。背後の赤い顔をした男が暗殺者でしょう。その彼に手をかける紳士風の人物は悪魔を象徴しているのでしょうか。

周りに描かれた絵も、この国の悲劇の歴史を描写しているようです。

 

 

その隣に、前案内室 (Sala introductoria)(あるいは「予習室」とでも訳した方がいいか)という、他の展示室を見学する前に予備知識を入れるための小さな部屋があります。

 

 

そこにはこのような土偶などが陳列されていました。この博物館が発掘物を中心とした考古学的な展示に重点を置いていることが分かります。

 

 

イベント会場の一部になっている廊下の壁には、「差別のない教育を求める闘いの推進力を象徴する女性」であるという、フランシスカ・グリハルバ (Francisca Grijalva) を表題にした展示がありました。副題はアフリカ系エルサルバドル人の顔 (Rostros Afrosalvadreños) で、エルサルバドル・アフリカ系住民組織基金 (Fundación Afrodescendientes Organizados Salvadoreños, AFROS) の企画で25枚の肖像画が掲示されています。今年はこの国で奴隷制度が廃止されて200周年になるのだそうです。

なお、描いたのはカルロス・ララ (Carlos Lara) という人。

 

 

1階のメイン展示室。ここでは主にエルサルバドルの民芸品や特産が紹介されていますが、その中に、ホヤ・デ・セレン (Joya de Serén) という考古学サイトから出土したリュウゼツランの石膏模型が展示されていました。

 

 

コーヒーは間違いなくこの国の主要特産物の一つです。

 

 

ププーサ (pupusa) は、これは間違いなくこの国の国民的料理。もちろん模型です。

 

 

工芸品としては、どの国にもある食器や置き物のほかに、藍染めが知られています。

 

 

樹脂が揮発性油脂に溶解した液体であるバルサムを抽出する圧搾器具。

 

 

庭は四角状に整備されており、遺跡をイメージした大きなオブジェが置いてあります。まさか本物の出土品ではないでしょうね。

2階には、もっと多くの展示室があります。

 

 

まずは廊下の展示を。「タピエス――版画家バルバラのコレクション」。スペインの有名な版画家アントニ・タピエス (Antoni Tàpies, 1923-2012) の作品を、彼と同郷(バルセロナ)・同世代の版画家ジョアン・バルバラ (Joan Barbarà, 1927-2013) が収集した31点で、現在はFUNIBER という国際教育文化機関が所有している、と同機関のホームページに。

 

 

「版画17」と題する作品。私は、展示されている作品を見て、その色合いや抽象的な形から、日本の篠田桃紅を連想しました。彼女の『一〇三歳になってわかったこと』という本を、出版された2015年に読みましたが、その若々しく生き生きとした語り口に、「彼女は一体何歳まで生きるのだろう」と思ったものです。ウィキペディアで調べたら、2021年に107歳で亡くなったのですね。

 

 

原住民とアフリカ系住民の部屋 (Sala de Pueblos Originarios y Afrodescendientes)」という名の展示室。スペイン政府の援助が入っているとの表示がありました。

 

 

ミゲル・アンヘル・ポランコ (Miguel Ángel Polanco, 1941-2011) というエルサルバドルの画家の、「クスカトランの起源 (Origen de Cuscatlán)」と題する作品。2011年の作成とありますから、彼の亡くなった年の作品ということになります。

スペイン人が原住民と戦い、彼らを殺すシーンです。その左下には、これは人間の生贄(いけにえ)の場面でしょうか。エルサルバドルにおいて、テーマ性のある芸術作品には、このように重く暗い歴史を表現したものが多いです。

 

 

先の写真の右の部分には、おお、こちらにもおわします、ロメロ神父!

 

 

こちらは「工芸品、工業製品と交易 (Producción Artesanal, Industrial e Intercambio)」という部屋。陳列されている織物が鮮やかです。

それで思い出した。サンビセンテ県のサンセバスティアンという町が、織物で知られた町なのだそうです。2年前に1か月半の間、同県の学校を回って調査した時にずっと使っていた車の運転手、調査が終わって最後に別れる時に、「これを奥さんへのお土産に」といただいたのが、この町で作られたという織物でした。

……その彼、エルサルバドルへの長期赴任で再度訪れた時、知り合いから、「彼は交通事故で亡くなった」と。聞くと、私の帰国の3週間後だったそうで。

その後、彼と同じ会社の運転手から、もう少し詳しい状況を聞きました。実家に帰省する途中かサンサルバドルに戻る途中で、弟と一緒にドライブしていて、車を幹線道路の路肩に停めていた時に、トレーラーが兄弟もろともひき潰した、と。

もちろん、この話を聞いた私はショックを受けましたよ。

そんなわけで、自宅にあるサンセバスティアンの織物は、悲しい気持を感じずに見ることはできません。

現在の拙ブログのヘッダーに書いていますが、今や治安が劇的に改善した同国で最大のリスクは、何と言っても交通事故です。

 

 

おっと、こんな話をしているつもりではなかった。戻ります。同じ部屋には、遺跡からの出土品も展示されていました。これらも一種の工芸品ですからね。写真の陶器は、説明板によると何と紀元前2,500年から紀元後250年の間のものだそうで。

 

 

別の、名のない展示室には、こちらこそたくさんの出土品が陳列されています。この部屋はご覧のように、全体を黒と赤でコーディネートしており、なかなか渋い感じになっています。

 

 

入口で出迎えているのは、再生と「新たな生」の神であり、戦争にも関係しているというシペ・トテック (Xipe Tótec) の像。ウィキペディアには、アステカ文明における穀物の神との説明があります。後古典期と呼ばれる900~1,250年の時代のもの。サンタアナ県チャルチュアパ市出土。小学生くらいの背丈の像です。

 

 

前古典期後期(紀元前900~紀元後250)の香炉。3つの角のようなものが出ているのが特徴的だったので撮りました。説明板には出土場所の記載はありませんでした。

 

 

「ニコヤ多色陶器型の動物を象(かたど)った壺。ウスルタン県ローマ・チーナ考古学サイト出土の埋葬品。時代区分:後古典期初期 (紀元後900~1,250年)」と説明プレート。猿でしょうかね。

なお、ローマ・チーナ (Loma China) とは「中国の丘」という意味ですが、遺跡自体は中国とは何の関係もないはずです。

 

 

文化省のサイトによると、開館は月曜日を除く毎日の午前9時から午後5時まで。晩にイベントがあったこの日は、特別に遅い時間帯まで開いていたわけです。このように暗い中に明かりの灯(とも)る博物館もなかなか綺麗なものです。

では、次回はコスタ・デル・ソルの話に戻ります。