ウスルタン県 (Departamento de Usulután) のアレグリア (Alegría)。前回の記事に書いたように、この村にドライブで行った最大の目的は、エルサルバドルを代表する思想家、アルベルト・マスフェレール (Alberto Masferrer) の生地を訪れることです。2月16日(金)午後、旅支度をした上で半休を取って、職場から目的地に直行です。
この村、もともとはテカパ (Tecapa) という名でしたが、ウィキペディア(スペイン語版)によると、この村での教育活動に貢献したホセ・ミゲル・アレグリア司祭に敬意を表して1891年にアレグリアと改名したそうです。なお、この語は「歓喜」という意味の一般名詞でもあります。
昨年の日帰り出張でも見た景色。ウスルタン県に入って、ベルリンからアレグリアに入る、その直前に展望台があります。そこからの北西方向の眺望です。右側に湖のように見えるのはレンパ川 (Río Lempa)。
そして順調に村に着いたものの、宿を見落として100mくらい通り過ぎて、そこから戻るのに大苦労。中央公園の周囲はパイロンが立っていて行き止まりだは、一方通行はあるは、道だと思ったら階段だは。小さい村なので、一周したに近い。
やっと宿に辿り着いてチェックイン。オスタル・ハスミン (Hostal Jasmín)。1泊素泊まり48ドル(約7,200円)は、ちょっと前ならこんな村のこんな宿にしては法外だと言いたいところでしょうが、今の物価高・円安の時世を考えると相場でしょう。個人経営の、ご覧のように小さな宿で、日本ならば民宿といったところ。
受付カウンターも質素。右に停めてあるのが当地で私が乗っているスズキのジムニー。前任の日本人の方から、走行距離3,000キロ余りのほぼ新車状態で譲っていただきました。4WDなので、山道でも心配なし。
部屋はこれといって特別気に入ったところもありませんでしたが、コスパ的にはいいのではないかと思いました。大型モニターもありますし(私は見ませんが)。
廊下はベランダみたいな感じで椅子とテーブルがあって寛(くつろ)げるようにはなっていますが、眺めがいいわけでもなし。私は利用しませんでした。
では早速散策。まずは「100段階段 (Las Cien Gradas)」と呼ばれている階段を上った所、村の中心にある宿から行くとやや下った所にある展望台に行ってみました。そこからの眺めはさすがによろしい。ただ、この時は遠景がかなり霞んでいました。
それからその「100段階段」を下りて撮った写真。実際に数えたら確かに100段ありました。
再び上って、村の中心に行きます。教会がまさに「中米の村の教会」という感じで、なかなかよろしい。そして、周囲に露店がたくさん。そこにいた男性に聞くと、いつも出ているとのこと。私、「毎日か?」。彼、「そうだよ、毎日だよ」。私、「毎日がお祭りだね」。
ただ、宿のママさんによると、今週末は「聖週間 (Semana Santa)」、すなわちイースター期間を祝う行列が金・日とあるとのこと。でも今年の聖週間は3月下旬じゃなかったっけ?
これだけ露店やレストラン、土産屋があるとは思いませんでした。昨年行ったコンセプシオン・デ・アタコを彷彿させますが、もっと小ぢんまりした村なので、さながら「小アタコ」とでもいったところです。
警官が随所にいます。やはり彼らも毎日立っているのでしょうか。ご苦労様です。
なお、写真の左側が中央公園になります。
それぞれの村にはそれぞれの外観の教会があり、「教会写真」というコレクションも愉しみの一つになりそうです。実際私は、かつてホンジュラスに2年余り住んでいた時に、そこら中の町や村を回って、教会の写真を撮って集めました。その数、確か70か80くらいだったように記憶しています。
さて、宿のママさんに所在地を確認して、中央公園のすぐ1ブロック東に行ったところにあるアルベルト・マスフェレールの生家に行きました。上に書いたように、今回の旅行の最大の目的地です。
ご覧のように、記念館・博物館になっているわけではなく、扉は閉じていて、単に小さな古い家がある、というだけです。当然、中には入れません。
しかしそれでも私は全く失望することなく、かねてからの願いを叶えたことに満足したのでした。
外壁には彼の名を銘じた金属プレートが取り付けられており、写真のように説明板が立っています。
どれどれ、何と書いてあるか。「この家で、1868年6月24日に哲学教授であり、エッセイストであり、ジャーナリスト、政治家でもあったアルベルト・マスフェレールは生まれた……」
なにっ、6月24日?! 私の誕生日と同じ日ではないか!! (1世紀近く前だけど)
既に関心を持っていた人物ではありますが、彼の容貌が私に似ている――少なくとも私にはそう見える――ことに加えて、この365分の1の確率の一致となれば、俄然親近感が湧いてきます。
親近感どころではない。強い縁すら感じてしまいます。
彼の生地で得た彼に関する情報は以上しかありませんでしたが、しかし、生家を見て誕生日の同じことを発見しただけでも、来た甲斐があったような気がしました。
夕食は、この家の向かいにあるグラン・ボナンサ (Gran Bonanza) というステーキハウスで取ることにしました。
庭の席もあり、村のレストランとしては、かなり洒落(しゃれ)ています。ここがちょっとした観光地であることを窺わせます。
コンソメスープは突き出し。ワインはサルミエントス (Sarmientos) のカベルネ・ソーヴィニョン。廉価のチリ・ワインです。
注文したメニューには野菜サラダが付きます。
メインは豚ロースのグリル (Lomo Cerdo a la Parrilla)、7.99ドル(約1,200円)。黄色い、恐らくサフランで色付けしたライスと温野菜が添えられています。
奥のは別に注文したセビーチェ (Ceviche)。何のセビーチェだったか忘れました。
いずれも無難な美味しさでしたが、ただ、若干注文し過ぎてしまいました。セビーチェは余計でした。
宿への帰りに中央公園があり、ご覧のようにイルミネーションで飾られています。
そこを歩くと、おっ、マスフェレール先生の肖像ではありませんか。
村の名士です。
中央公園に隣接した公衆トイレもご覧のように光り輝いています。中も清潔そうです。入ってみませんでしたが、有料か、ないしはチップ制なのではないかと思いました。
奥には、やはり電装の施してあるカフェレストランと、その背後には、やはり光り輝く教会。
教会の内部はこんな感じ。酔っているので中に入るのは不謹慎と思って遠慮しました。
中央公園の脇を通って宿に戻ろうとすると、ご覧の行列 (procesión) が。これがママさんの言っていた例の「聖週間」を祝う行列か。そこにいた人に聞いても、果たしてやはり「聖週間開始」の行列とのこと。
日本でいうところのお神輿(みこし)を取り巻いて、その前後を人々が練り歩いています。載せられているのは、十字架を背負った、おそらくキリストのようです。長時間背負っていたら、肩も筋肉痛どころか腫れてくるでしょうに。人々の罪を肩代わりしてあげるには、このくらいの苦痛は必要ということなのでしょう。
行列は教会へと向かうのでした。ミサか何かが行われるのでしょうが、カベルネ・ソーヴィニョンに酔っている私が見物するのも不謹慎でしょうから、宿に向かいます。
上の「100段階段」展望台からの夜景。アレグリアは山の中腹に広がっている村で、本当に眺めがいいです。
翌日はもう一つの目的地、テカパ火山です。