悠久山花巡り | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

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エルサルバドルに単身赴任中。
気候が良く日本より健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意すべきは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

4月17日、日曜日の夕方。新型コロナウイルスが猛威を振るっている新潟県ですが、快晴の下、少々肌寒くはあるものの、帰国して初めての家族一緒の散歩です。

歩いた先は悠久山。花見の名所ですが、桜のピークはやや過ぎており、花は散り始め、葉が出始めています。

しかし、家族の散歩という以外の私の個人的な目的は、トキワイカリソウを始めとした、桜以外のこの時期の野花を見つけて写真を撮ること。ピントの合わせ方など、撮影の腕も少々(本当に少々ですが)上げつつあるとうぬぼれている私としては、2年前に撮ったのと同じ花を撮るにしても、より美しい写真を撮れるのではないかと思った次第。

自宅から悠久山までの道のりは歩いて数十分。しかし、道中でも興味深い野花を見つけては立ち止まってカメラを構える私なので、普通の人とは、従って家族とは歩くペースが違います。「(写真を撮っている間に)先に行ってていいよ」と私は言いますが、「どうせどこかで待たなくちゃいけないんだから」と妻。その都度一緒に立ち止まって待ってくれます。

そんな妻と娘にお構いなく、どんどん、しかも突然足を止めてはしゃがんで、いわゆる「雑草」にレンズを向けます。花壇にあるようなパンジーなどには目もくれない私ですから、通りがかりの人々からは「変な人」、……と単数形だったらまだいいのですが、家族も含めて「変な人々」と思われたら、家族もいい迷惑ですかね。

でも、私はその「変な」動作を遠慮なく続けます。

 

 

 

ねえ! 路傍にこんな感じにキュウリグサもたくさん咲いているわけですから、そりゃあ、「変な」動作も続けたくなってきますよ。

前回の記事にも書いたように、私は「どんな小花もズームアップすれば美しく見える」と信じていますが、このキュウリグサなんかは、花を大きくすれば園芸植物のワスレナグサにそっくりですから、こうして接写した写真は綺麗でないわけがないです。

 

 

地面ばかりに目を遣っていたところ、頭上から「ピリピリピリピリ」という可愛い鳴き声が。2年前には盛んに聞いたカワラヒワの、馴染みのある囀(さえず)りです。

でも、姿はあまり可愛い方だとは、私は思いません。

 

 

また目を下方に。地を這うコハコベが、白い可憐な花を咲かせていました。

 

 

歩道の縁(へり)の隙間にスミレが根を張って、花を咲かせていました。

スミレの仲間には何種類もあり、前回の記事でもツボスミレとヒメスミレをお見せしましたが、これは「ザ・スミレ」のようです。花の大きさは今挙げた2つよりも大きいですし、葉の形が長細く、先の丸っこいのが区別のポイントです。

しかしこんな所に咲いているわけですから、もし花が通行人の眼に入らず、かつ家族もおらずに私一人でしゃがんでいたなら、「どうされました? ご気分が悪いですか?」と声を掛けられたかもしれません。

いや、「こいつ、こんなところで吐かないで道路の脇に向かって吐いてくれよ」、と眉間に皺を寄せつつ足早に通り過ぎる人ばかりだったかもしれません。

 

 

それはともかく、悠久山の入口、蒼紫神社(あおしじんじゃ)の参道に咲く桜です。散り始めとは言っても、まだまだ見事です。

それを知ってなのか、桜のピークを過ぎていても、思った以上にたくさんの人々が悠久山を訪れていました。コロナ禍のさなかでも、コロナ前に近いくらいの賑わいです。

神社の拝殿前にも、短いですが行列が出来ていました。

が、私たちは信仰心が薄いのか、それには目もくれず、真っ先に向かった先はここです。

 

 

付設小動物園のホオジロカンムリヅル。この鳥がここにいることを私は忘れていたのですが、しばらく前に、ケニアで撮った野生のホオジロカンムリヅルの写真を妻に見せたら、「悠久山にもいる」と思い出させてくれたのです。それを確認することが、悠久山を訪れるもう一つの目的でした。

始終歩き回り、時に翼を広げてバタバタしたり、時に鳴き声を上げたりします。人が多いために興奮しているのか、あるいは頬の辺りは発情期に赤くなるとどこかのサイトに書いてありましたので、そのために興奮しているのか。

なお顎(あご)から肉垂が垂れていますが、これは常に赤いです。

 

 

網越しに、すぐ目の前にやって来たりします。

しかし狭い檻(おり)に閉じ込められて発情すべき相手もおらず、かと言って隣の檻にいるクジャクのメスと交尾するわけにもいかず、相当フラストレーションが溜まっているでしょうね。

動物園には教育上の意味があるとは思いますが、ケニアで野生動物をたくさん見ることのできた、その意味では非常に恵まれている私としては、動物園でしかアフリカの動物を見られない日本の一般の人々、そしてそれ以上に、動物園に閉じ込められている動物たちを哀れに感じざるを得ません。

ということで、カンムリヅルのいることを確認したら、小動物園にはあまり時間をかけずに、すぐに花を求めて探索再開です。

 

 

その最大の目的は、上にも書いた通り、トキワイカリソウの写真を撮ること。2年前にここに来た時には、このひょうたん池の先で見つけています。

 

 

 

 

そこに行ってみると、まず目を引いたのが、これも2年前に写真を撮った(がその時の記事を見るまで忘れていた)ナガハシスミレ。たくさん咲いていました。より綺麗な写真を撮れたと思っています。

 

 

 

 

そしてこれが当のトキワイカリソウ。数本しかありませんでした。

写真の出来は、どうだろう。……ううむ、その時と大して変わらないような。マクロレンズを買って、今度はより鮮明な写真を撮りたいという気にさせる花です。

なおウィキペディアの「イカリソウ」によると、名の由来は、四方に突起の伸びた花の形が和船の錨(いかり)に似ているからとのことで、その突起は実は距(きょ)、すなわちスミレならば花の背後に飛び出している部分であり、花弁は中央の、最後の写真ではぷっくりと膨らんでいる部分になります。

花言葉は「君を離さない」。錨を連想させることから「しっかりと留める」という意味でこの言葉なのでしょうか。私は、どうしてもUFOキャッチャーのアームを連想してしまいます。だから、「君を離さない」だと。

いや、アームなら「離さない」のまえに「捕まえる」か。「君をこのアームで捕まえる」(笑)。ピタッとくるでしょ?

ところで名の頭の「トキワ」は「常盤(ときわ)」、すなわち常緑という意味です。太平洋側に分布するイカリソウと違って、日本海側に分布するこのトキワイカリソウは冬季も葉が枯れないそうです。私は確認していませんが。

 

 

先ほどのひょうたん池に戻って、ほとりにはシダレザクラがたくさん植えられています。普通の桜よりもやや遅く開花するので、目下ほぼ満開、どころか、蕾(つぼみ)も少々見られます。

 

 

 

池と中央の広場の間を横切る道の脇に、カキドオシが見事なくらいにたくさん咲いていました。

 

 

園内には小さな日本庭園もあり、そこの池(といっても水はわずかです)のほとりにはミズバショウが咲いていました。緑の中のこの鮮やかな白は冴えますね。それと、散った桜の花びらで覆われている背後の水面(というよりもほとんど地面)の薄紅色も、このミズバショウとスギナを引き立てます。

 

 

道端にはモミジイチゴの白い花も。

 

 

再びウィキペディアによると、「モミジ」の名は葉の形から来ているとのこと。樹木ですがイチゴと同じバラ科で、実は食べられるそうです。

 

 

そのすぐそばのせせらぎの脇にショウジョウバカマが咲いています。これも私の目的の一つでした。この辺りにあったはずだと目星を付けていたものです。

しかしこんなに白かったっけ? この緑白色は、元からそういう色の花なんでしょうか、それとも花期が終わってこうなったのでしょうか。花弁らしきものがみずみずしく見えるので、やはり前者なんでしょうね。

なお普通は薄紫色をしています。

 

 

帰りがけ、蒼紫神社参道と悠久山通りの間の桜並木の下で見つけたスイバの蕾。

 

 

 

横断歩道を渡って、から揚げ屋の脇にある小さな畑の畝(うね)、その湿った土に咲いていたムラサキサギゴケ

 

 

これは帰途、セブンイレブンそばの歩道の花壇で、パンジーに交じって咲いていたホトケノザ(繰り返しますがパンジーには関心がありません)。こんな所に生えているので、自然に生えたのではなく誰かが植えたのかもしれません。

ところで、春の七草に数えられている「仏の座」はキク科の植物で、このシソ科の植物とは異なるので要注意です。またまたウィキペディアによると、こちらの方は「子供が花びらを抜き取り、それを吸って蜜を味わって遊ぶことがある」ものの、「本種は食用ではない」と。

こんな感じで、今の時期、人々にとって悠久山での花見の対象は桜だけかもしれませんが、私にとっては様々な花が対象でした。家族は退屈したかもしれませんが。

 

でも、1年4か月振りの家族そろっての外出ということに意味があります。