2013-7 独学術 | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

エルサルバドルに単身赴任中。
気候が良く日本より健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意すべきは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

白取春彦、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012、1/24-1/26、印象度B

 

(ディスカヴァー携書としての出版は 2012 年だが、単行本は 2006 年に『勉強術』というタイトルで出版)

 

私は毒舌家の著作は嫌いではありません。例えばショーペンハウエルなど、痛快であり、かつ文面に表れる彼自身の人間性にも面白味を感じるので、読んでいて楽しいです。しかし本書は読んでいて、どうもその痛快さを感じません。それは恐らく次の一点にあるのでは、と思います。つまり、読書で偏見を脱却することができる旨を書いているにもかかわらず(古典も含め、批判的に本を読んで偏見を打破すべきと説いていること自体には同調できますが)、皮肉にも、著者が挙げる具体例は偏見に満ちているように見えるのです。学校では事項や名称を知るだけで本当は学んでいない(p.29)とか(そういう学習を筆者がしたというだけでは)、アラブ人からめざましい文化がほとんど生まれていない(p.45)とか(それをサイードはオリエンタリズムと名付けたのでは)、聖書を読めば仏典に何が書いてあるか理解できる(p.115)とか(その逆では(笑))、枚挙にいとまがありません。

 

また、あとがきに、本書はハウツーではないと明言していますが、傍線の引き方(pp.83-91)などは、まさにハウツー以外の何物でもないのでは? 著者の意図としては、ノウハウにこだわってはならない、単なるハウツーに堕しては読書の中身が伴わない、と言いたいのでしょう。それは理解できます。が、もう少し誠実に書いてほしいとも思うのです。

 

更に、「常習的に飲酒する人間が独学どころか、まともなことをやれるはずがない」(p.44)などと言い切られてしまっては、酒を飲みながらこれを書いている私としては、内心穏やかではありません。尤も、これに関しては偏見であるとも断言できないので、素直に「スイマセン」と首を垂れるだけです(そしてまた飲み続けます)。

 

本書のポジティブな点は、一つには、本の書き方について反面教師的に考えさせられた点。もう一つは、これが断っておきたいところでもあるのですが、彼の主張内容自体には、同感できるところも多いことです。ただ、その例証があまりに乱暴過ぎて、批判したくなるところだらけなのです。

 

以下には、同調できる箇所を書き出します。
 
…哲学入門と題された本を幾冊も読んだところで哲学がわかるようにはならない。それよりも、哲学書そのものを読んだほうがずっと手っ取り早い。(p.19)
付け加えて言うと、哲学書そのものを読んだだけでも、自分で考える(哲学する)ことをしなければ、哲学はなかなかわからないでしょう。
 
借りた本で得た知識はその本を返却したときに消える。ウソのような本当の話だ。
 
読みたい本、読んでおくべき本を買うのをためらわせるほど節約しなければならないくらいのローンを抱えるというのは、もはや精神が危ないとわたしは思う。(p.44)
かなり誇張した挑戦的な言い方をしていますが、本は借りるのではなく買うべきである、という主張は他の多くの人も言っていますし、私も同感できます。
 
…速読の最大のコツはたくさん読むことである。(p.93)
私もそう思っているのですが、私自身は、あまり多読していないので、まだまだ速く読めないようです。
 
暗記をせずに身に染みつけさせてしまったほうがはるかに早いし、忘れることもない。(p.145)
外国語の勉強に関して。同感です。
 
自分とは関係のないまったく別の分野の本を読んでも結果的に無意味ではないのは、考え方を知ることができるからだ。さまざまな考え方は、当然ながら自分の考え方の参考になるし、また応用もできるものだ。(p.157)
正しいと思います。読書の幅の広さは人間の幅の広さでもあると思います。
 
人間の書いた書物は、その内容を頭から信じるための金科玉条として存在しているのではない。そこからさらに考えていくためのヒントとしてあるのだ。正しいかどうかということではなく、一つの見解として存在している。(p.159)
名著といえども教条ではありません。批判的に読み、自分で考えていかなければ。
 
人生を楽しむとは、お金を使って享楽的な日々を送ることではない。一日一日に、自分がたずさわる事柄や仕事に、出会う人々に、かけがえのない意味を見出し、ふつふつとした喜びを感じて生きることだ。(p.178)
最後にいいことを言うものだ、と思いました。私は彼の考えに同感です。私も彼の言う「喜び」を感じて生活したいと思っています。がしかし、お金て買う享楽こそ楽しみである、と主張する人を反駁しようとも思いません。そういう人にも一理ありと思うのですが。