2013-6 雪沼とその周辺 | Que sais-je? ク・セ・ジュ――われ何を知る

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エルサルバドルに単身赴任中。
気候が良く日本より健康的な生活を送っています。
ドライブ旅行をぼちぼちしていますが、
この国で最も注意すべきは交通事故。
今や治安以上に大きなリスクです。

なおヘッダーは2020年に新潟県長岡市にて撮影。

堀江敏幸、新潮文庫、2007、1/19-1/24、印象度A

 

(単行本としては 2003 年出版)

 

久し振りに何か小説でも読んでみたいと思い、図書館を徘徊していて偶々目に入ったのが著者。彼の作品の中で、駅前の小さな本屋の店頭に本書の文庫本があり、アマゾンや読書メーターでも比較的人気があるようでしたので、取り掛かりには良さそうだと思って購入しました。

 

雪沼という架空の町(私は群馬県北部が想定されていると推測しますが)とその周辺で、静かに繰り広げられる7つの人間ドラマ。著者が三十台の終わりに書いた物語としては、妙に落ち着きを感じます。池澤夏樹が解説で表現しているように、「派手な激情ではなく、もう少し穏やかで、しみじみとしたもの」を読者に与えます。仄かな感動が心地よいのです。話は淡々と進んでいきますが、気の利いたオチが最後に用意されていたりして、読後には柔らかい爽快感が残ります。感傷的でありながらも、とにかく話が綺麗です。なかなか完成度の高い作品です。大人の小説です。

 

それと、各短編には一貫したテーマ性があるものの、内容が多岐に亘り、それぞれの作品を書くために実に詳しく取材してあるものだと驚きます。「スタンス・ドット」ではボウリングについて、「イラクサの庭」ではフランス料理について、というように。

 

私の一番気に入ったのは、「レンガを積む」。他の話にあるような、死とか老いといった要素がほとんどなく(母の老いに少し言及している程度)、気が暗くならなくていいです。主人公である蓮根さんの技術が仕事で発揮され、エンディングで彼の生き甲斐、彼の人生の醍醐味がここにある、ということを読者に確認させるシーンが、実に微妙に描写されているあたりが心にくい。小さなことでもいいから、自分に自信のあること、自分に固有の能力を生かせることを仕事にして、それがうまく行った時の「やった!」という痛快な気分。私も自分の仕事で味わいたいものです。そして、このような満たされた気持ちを日々感じながら人生を送りたいものです。

 

私の思考を刺激した箇所の抜き書きを2つ。
 
実山さんには、なぜかその秘密に迫ることのできないイラクサのスープの味が、どこかに影のある先生の人生の、象徴のように感じられるのだった。いちばん大事なところに触れようとすると、ぴりっと電気が流れて近づけなくなってしまう。もしかすると、わたしはその影の部分に惹かれて先生についてきたのかもしれない、と実山さんは思った。(pp.54-55)
「イラクサの庭」より。内田樹が『先生はえらい』で、漱石の『こころ』の先生を引き合いに出して、先生は何を知っているのかがわからないからこそ、その人にとって師となる、と書いていたことを連想しました。師とはその人にとって、謎の人なのです。
 
分解して組み立てられるくらいの、単純だが融通のきく構造が、機械にも、社会にも、人間関係にも欲しい、と田辺さんはいつも考えていた。息子や娘とも、もちろん妻ともそんなふうにつながっていられれば、どんなに健全か。単純な構造こそ、修理を確実に、言葉を確実にしてくれるのだ。(p.85)
「河岸段丘」より。シンプル・イズ・ザ・ベスト。人間関係も然り。言葉も然り。