小説、漫画、ドラマ、映画、と言えば、当然、物語だ、と思われている。僕だって、物語を組みこまなわけじゃない。ある程度は、物語になっていないとかたちを損なうし、物語に特化したものもある。けれど、基本、今は、物語を描かない作家、をやっている。
物語卿、物語教、物語狂、物語今日、と言ってきた。世界は、多くは、その、物語キョウだ。あるいは、病、でもいい。だからこそ、物語じゃない、話を作り上げてきた。どんな話か? と言えば、こうした、エッセイのような、小説論、思想犯だ。思想を書く。会話形式を使って、主義と、思想を語り、売るのだ。それ以外のものは、大して、価値がないもの、と考えてきた。
これは、僕の到達した、文章学の、行方、の行く末、だった、と思ってもらえばいい。どんな感じか? は基本、このブログでも書いている、小説『・とー』みたいなのが基本だ。物語としての筋より、主人公の価値観、思想、理想が、主になっている。それに、僕から見た、世界の、神様の取り繕い方、だ。けっこう、神様は出てくるし、難癖をつけている。色々、経験したものが悪かったのだろう。
必要性は、分からない。評価は、いいねの数を見ると、あまり芳しくない。ただ、人と同じことをやるのに、必要性は、もっと、感じないだけだ。売れることだけを考えた作家なら売れなくてもいいと思うだろ? と言うのが、僕の、姿勢であり、概要だ。
だから、何らかの、姿勢を書く。意識を書く。主義、思想を売る。
実は、革命的文章らしきこともいくつか挑戦している。メタファを多く使った作品とか、時間を前後させた作品とか、雑誌自体を小説にしたような作品も挑戦している。芸術科の大学の卒論を、卒業課題の過程を作品にしたものもある。既に廃版になっている、アンチテーゼは、作品自体による、反対命題だ。アンチテーゼは、こちらはまだ世に出ていないが、2もある。やはり、ウケは、芳しいとは言えない。
やってみて分かったのは、これから、文章と言うものには、もっと、深く、掘り下げられるだけの、可能性がある、と言うことだ。その可能性に、自分の能力が追い付いていないだけ、だ、と思う。わりかし、自信なら、あるのだが。それが、自身になって、毛嫌いされている、とも取れなくない。
それでも、この姿勢は、変わらない、だろう。ずっと、僕が、終わるまでだ。いや、今回が終わっても、まだ、続くかもしれない。それぐらい、病的に、面白いの域に達している。
とは言え、ある程度の、物語性も、加味させなければいけないのだが。『・とー』が、示した通りだ。ただ、物語を読む、という姿勢で、読まれると、外れる、だろう。考えることが、これも、病的に好きなのだ。
一般受け、書籍自体が、低調の世の中にあって、どれだけ、やれるか? はものすごく、困難だろう。それでも、困難にこそあたれで、やっていることが、ここ掘れワンワン、だと信じて、やっていく。健気な犬だ。その実、楽しみたいだけの犬だ。
何か、きっかけがあればいいのだが、と思ってブログにも挑戦したが、アメブロは、アメブロ内での、集客だった。あまり、不特定多数の人に見られる、というイメージの媒体、とは違った。やるなら、ワードプレスで、ホームページでも、自分で、立ち上げるでもしなければ、意味がない、だろう。もっと、自在に、必要としてくれる人が集まる媒体、メディアがあればいいのに、と思う。
Web小説も、ファンタジー関係ばかりだ。本当に、考えることが訓練されていない、国民だ、と思う。想像力は、だいぶ、漫画などで訓練されているようだが。
まァ、それでも、題意は変えない。上に記された自己紹介のように、仰々しいままだ。やりたいことで、やらなきゃいけないことと思っているので、色々、可能性は、これからも、探っていく。