数字社会がいや、で抜け出た。そして、世界を知って、数字自体に意味がないことを知っている。けれど、数字がいいと嬉しいものだ。これは、何の性分だろう?
ブログを始めたときは、当然、アクセス数だ。これは、やけに気になる。いいねは、有料のアプリがあって、見ない人でもしてくれることがあるが、見てくれる人でしてくれないと、逆に、単純じゃないことを書いていることが認識できて、悪い気にはならない。それでも、分かってほしい人には、貰っていることが多いから励ましになる。
読まれなきゃ意味がない、これは当たり前だ。それで、最近、Twitterの方に力を入れようかな? と思うようになった。フォローは0だが、見てくれている人は、ブログと段違いで、さらに、僕の望む、不特定多数の人に見られているからだ。
そう、ここでも、アナリティクスが気になる。だから、数字をあげようとする。自然な行為だ。そして、本末転倒にならないように、と気を使う。言いたいことがあるんだ。だから呟いていたことだ。それを、踏み間違ってはいけない。
数を追うは、えてして、悪い方に転ぶことがある。神様も、数だけを求めるようになれば、落雷を落とす。中身が伴う、というより、中身の方が先じゃないと、してはいけない行為だ。それでも、昨日より増えた、は、楽しいものだ。今ブログは、基本、十五人ぐらいが見ているのだろうか? 記事のアップ数で、アクセス数が、三十を超えるくらいのものだ。
もう、ブログには、数は求めていないから、特に気にしていない。そこまで、渾身込めて記事を書かなきゃ、という数でもないかな? とも思っている。ただ、今は、Twitterにも繋がっている。流れてきてる人の数は、僅かだが、意外に、嬉しい。狙っていた、不特定多数だから、もっと、読んでくれたらな、と思う。
キンドルの方は、相変わらず、低調だ。この一か月、十三ページしか読まれていない。リーピーターもないところを考えると、だいぶ、駄文をやったか? と思う。技術をあげるより、しょうがない。
書くことにおいて、ブログをやったこともあるが、また、違う角度から、前進できている。世界は面白い、今中学生ぐらいだったら、どれだけ、希望的未来を見ているだろうか? と思えるぐらい、面白いものがたくさんある。それだけ、メディアが、人の、市民のもとに降りてきたのは、素晴らしいことだ、と思う。今後、このSNS経済がもたらすものは、計り知れない、だろう。
詐欺にならず、売れるものを売れるよう、身を律し、気を使って、育てていこう。楽して儲けたいは、誰でも思うことだが、尽くして儲けたいも、充実感があっていいものだ。
何にせよ、今は、勉学だ。勉学している限り、人生は、あくなき挑戦で、飽きない挑戦だ。自然と、人にも寛容になれる。苛立ちもなくなる。愛し、愛されなよ、と言える。
だから、今は、勉学を、続けていこう。きっと、それが、他人に対して、意味を持つ未来は、いつか、来る。そっと、ほほ笑みながら、やってくる。
それに見合う、ほほ笑みを持てる人に、ならなきゃ、ならないんだよ。