革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ -15ページ目

革命的文学を新規開拓する、ネオ新感覚派の表現方法。作家山畑健の文化的ブログ

文芸復興が主目的。ネオ新感覚派を求める、文学、読書好き、の人のための文化的ブログ。
革命的文章表現をテーマに、その創造と、その支援を目的としたい。
山畑健と言う本名で、キンドルで本を出している。文学、読書に関する底辺拡大の行動として、ブログを選んだ。

 走る。革命を興せ、と走る。やり遂げなければならないものがある。使命のように子供の頃から感じていたことだ。気づいた自分がやらなきゃ、誰もやらない。真っ直ぐな想いと、世界を判断してきた目が言う。まだ、可能性はある、と。

 生まれ持っての韋駄天。獅子をも追いかけた。空を駆けるような俊足で、伸ばした世界は、万緑の園。永遠の幸福、すべての救済、楽園。見た目なんてかまわない。剥き出しの本能で行け。どうにかして、どうとしてでも、達するんだ。

 走るために生まれたような足で、大地の息吹を鷲掴みにして、命の炎にはやし立てれれるように、突っ走れ。

 世界が、変わるときは今だ。

 攻めろ。権謀術数、一点突破、あらゆる角度から、知る戦術の限りで、ひたすら、攻撃しろ。勝たなければ、何の意味もない。勝者だけが、得意気でいられる。今、誇るものがあるなら、敗北してはいけない。そのためには、嘘も方便だ。

 道なき道を切り開くために、生きる、その全力を賭けろ。上から、下から、斜め下から、左上から、攻めて、攻めて、攻め続けろ。芸術的、と感嘆させるぐらい、圧倒的圧力を見せろ。巧みに、鋭く、時に滑らかに、妖艶に、魅了する如く、攻めろ。

 僕らの世界は、勝ち取らなければ、欲しいものが手に入らない世界だ。求めるものに、穢れのない自信があるなら、今は、戦いに勝つしかない。攻め続けるしかない。

 気力で、生を叶える。そのために、僕らは、今世に生まれた。

 守らなければならない。死守しなければならない。落とされてはならない、城だ。国だ。法だ。ずっと、戦いを共にしてきた、みんなのためにも、まずは、自分が、格好を示さなければならない。約束は、約束だ。

 絶対はない。いや、ある、と言った。絶対は、人間にだけある、と言った。この誓いを守らなければ、生まれてきた価値がない。

 口だけピエロでも構わない。嘘つき狼で構わない。惨めな裸の王様でもいい。願ったものが、願いに届かないなら、祈る価値はない。人の良さを知っているのだ。人に勇気をもらい生きてきたのだ。今、戦場で、あるなら、あるのなら、勇敢を示す時だ。そうだ。結果、守れるならいい。どうだって、何だっていい。かけれるものは、全てかける。

 僕らは、信じる生き物だ。こうして、その信じる、愛のある世界に生まれたのだ。守るべきものはある。だったら、守るべきものを、守れ。

 

 

 

 

 

 天才の価値は何だ? 周りを驚愕させることか? 度肝を抜く一閃を見せることか? 本物とは何か?を知らせることか? それとも、新しい、価値観を示すことか? 今までなかったイノベーションを起こすことか? 誰もできなかった、発想、発見、発明を、簡単に見つけ、やってのけることか? 

 否、天才とは、それまでなかった、幸福感を作り出すこと、だ。

 僕は、天才とは、幸せにした人の数で決まる、と言っている。

 流麗な文章も、機知にとんだ文句も、鋭敏な神経の行き届いた創作も、繊細さがよく分かる言葉選びも、これの前では、一切、意味をなくす。人を幸せにしてこそ、天才は、意味のあるものだ。

 ここに、嘗て、天才、と呼ばれた男がいる。今は、見る影もなく、リハビリの日々だ。一度復活したかに思えたが、また、やり直した。もう二度と、過去の栄光はないかもしれない。けれど、また、元の輝きを取り戻すために、もう一度、再出発を決意した。おそらく、最後の賭けだろう。

 その、巧みなバットコントロールは、今のはしり、二番打者に、バント主体ではなく、打てる選手を置くという、トレンドに、球界自体を持って行った、固めた、功績がある。もちろん、彼が最初、と言うわけではない。紐解けば、他にも、二番強打者論を実行した球団はある。

 けれど、近年、それを、実現させ、結果に結びつけたのは、まぎれもなく彼だ。

 だが、天才は、ガラスの天才、でもあった。凄く、脆い部分があった。体が、健康そのもののときは、確実な数字を残し、優勝した年などは、首位打者にも輝いたが、今は、これだけの功労者にもかかわらず、戦力外の名前が、ネットなどで上がるほどの立ち位置にいる。

 天才とは、その技術で、観客を魅了してこそのものだ。満員の観衆の中、上手い、と思わず言わせてしまう、類まれなる技術を、披露してこそのものだ。彼が抜けたことで、チームの能力も相当下がった。まだ、若かった彼が、戦力として考えられたことが、強さの証明だった。

 さァ、不死鳥のように、甦るか? 東京ヤクルトスワローズの天才。

 

 

 

 

 

 スターダム、と言う小説を書いている。今は書いていないが、この後、プロ野球が再開したら、同人誌的に、このブログ内で、書こう、と思っている。選んだのは、東京ヤクルトスワローズの、58番。今年、加入した、高卒の左打ショート、ルーキーだ。60番にしなかったところがみそだ。

 普通、野球を分かっている人間なら、11番や、55番を主人公に野球を書いていく。けれど、僕は、58番を選んだ。僕らしい、選択だ、と思う。

 つまり、あまり、成功する可能性が低い、選手、だともいえる、と言うことだ。評価は、悪くないが、どうなるか? は分からない。ドラフトも、五位と、下位の選手。六位の60番の方が、知名度も高い。既に、プロスペクトの、19位に入っている。それでも、58番で書いていく。

 面白味とは、探し、見つけるものだ。

 もともと、49番で書いていた。内野手から、外野に転向した、今年、大卒の年齢。2015年の、ドラフト下位だ。あまり、状態を見ていると、そろそろ、戦力外も、考えなければ、と言う瀬戸際にいる。それで、活躍する夢を見た。まだ、分からないが、特別な期待均している。その続き、と言うわけではないが、やはり、今度も、微妙な位置の、58番を選んだ。

 守備評価は高い。打撃も、練習試合では、いいところを見せていた。ただ、けがをしたのか? しばらく、本隊から離れて、練習をしていた。

 コロナが、収束しつつある感じがある。まだ、予断は許さないが。いつまで続くか分からなかったが、来年には、普通に、一軍も、二軍も開幕を迎えられるのじゃないか? と思う。

 今シーズンも、当然ある。二軍の試合は、たまにしかみられないが、状態を確認しつつ、虚構を交えながら、書いていきたい、と思う。

 東京ヤクルトスワローズ、と言う名前は使わないが、僕は、東京ヤクルトスワローズが、第一のチームになることを夢見ている。こういう見方をすると、スポーツは、より楽しくなる。

 果たして、スターダムに上がれるのか? 駆け上がれ、未来の背番号6。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく、暇なので、東京ヤクルトスワローズネタの、漫談でも。実は、この、後ろの数字、背番号なのですよ。分かっている人は、いなかったろうな、と思いますが、小さきもの19ぐらいで、知っている人、勘のいい人なら分かったかな? とも思いますが、誰が、どの選手で、なんでこんな関係ない文章を? と言うのは、僕の質と、東京ヤクルトスワローズのファンになって、へェ~、そう考えたか? と納得してください。アコースティックギター39なんて、完全な私感ですから。

 では、気迫 53 を。

 戦場に落とされた。僕らは、生まれながらにして、戦うことを余儀なくされる。戦うことから逃げたものは、捨てられる。企業戦士、二十四時間戦えますか? なんてものもあった。今は過去、みんな、そんな気はない。今では、社畜と言って、嫌がる。

 安楽な生活。安定した収入より、自分の好きなことをできていることに喜びを見出す時代へと、シフトされてきた。それでも、戦いは、続く。傷は増え、なかなか、癒えない。

 学校生活でも、そうだ。弱きものは、逃げて、引きこもる。小さな世界を愛し、守ろうとする。

 未来? そんなの知らない。今がなきゃ、未来もないじゃん。その言葉の通りだ。

 弱くなった人間がいけないのか? 弱くしていく社会がいけないのか? 

 逃げたきゃにげな、と言ってくれる大人もいる。けれど、その先には、なかなか、幸福は落ちていない。

 そんな中、気迫の投球をするものがいる。折れたら終わり。負けは、絶対嫌い。勝つためにだけ投げる。もう、そんなに若くない。昔ほど、格段のストレートも持っていない。けれど、技巧を屈して、命を張って、何とか、そのイニングを抑える。

 一度、首になった身だ。戻ってきたのは古巣。好きな野球ができる、喜びを知っている。ファンは、この後も、チームのための選手でいてくれるのを、望んでいる。語るより、姿勢で見せるタイプだ。コロナで、延期が続き、その若くない体には、不利な状況が続く。

 それでも、魅せるか? 真の戦場を潜り抜けてきたものの持つ、気迫の投球。

 僕は、彼が全盛期の時、他チームのファンだった。恐ろしい球を投げていた。こんなリリバーいたら、相手からしたらどうしようもない、と言う球だった。それんな、彼も海を渡り、また、別のチームに戻ってきて、僕が、東京ヤクルトスワローズを好きになった頃、今、好きなチームの大事なりリバーとして、マウンドに立っている。数奇な運命だ。

 魅せてくれるか? 炎のような真骨頂。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四十代中盤、一番恵まれた時代だ、と思う。

 まず、小学生のころに、ドリフターズ、とたけちゃんマンがあって、土曜八時の前半をドリフのコントを見て、後半を、たけしとさんまのからみを見る、と言うのが定番だった。

 そして、とんねるず。夕焼けにゃんにゃん世代とは、僕らは、少しずれるけれど、まァ、そこからこじ開けてきた感があって、お笑いスター誕生世代であることは変わりない。

 つまり、その後の、夢で逢えたら、での、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンだ。この辺りが、中学、高校と成長するにあたって、土曜八時、日曜八時と、ゴールデンに進出する。まさに、その、最盛期を、僕ら世代は、共に過ごしたことになる。

 ベストテンが廃れて、アイドル文化が、下火になって、バラドル、と言うのが代わりに出てくるようになって、時代が一番、面白かった時期だ。

 それから、ナインティナインが出てくるまで、この三組のお笑いコンビ全盛期が続く。

 僕は、このコンビを、こう見る。学校文化の時代だ、と。どういうことか? と言うと、とんねるずが、体育会系体育部のお笑いで、僕とは違う、ダウンタウンが、文科系帰宅部のお笑いで、僕はまさにここだ。で、ウッチャンナンチャンが、体育会系文化部だ、と思う。

 それを、それぞれの立ち位置で、それぞれの色を出していた。一番、三点での、支柱が、安定する、と言う。まさに、そう言う時代だった。僕は、憧れもあり、体育会系文化部の、ウッチャンナンチャンが、好みだった。

 そして、ナイナイ、も含めて、この四組は、それぞれに身長差が、互い違いしている。身長差が同じコンビは売れない、と言われた、ゆえんだ。

 それで、文科系文化部として登場するのが、爆笑問題だろう。カードはすべてそろったが、残念ながら、軋轢から協調にいくまでの時間がかかり過ぎた。今では、どれも、最盛期の力はない。今後、新たな、コンビが誕生するまで、ジリ貧状態だろう。

 では、どんなお笑いが、今後、期待されるのか? 

 僕は、それは、SNS系お笑い、だと思う。YouTubeから、お笑いが、誕生しないか? と思っているんだけれど、まだ、そんな様相はなくて、あらされている、感じの方が強い。SNSはなにも、YouTubeだけではないが。ブログもツールに使える。アメブロ芸人、なんてものもある。

 まァ、テレビから、土台が変わることは、よく考えられることだ。何にせよ、金の匂いを嗅ぎつけた、番犬が、吠え始めるだろう。

 

 

 

 例えば、今、自分が、1000兆円、持っているとする。

 と、一生で、千億円使っても、一万回、生きれることになる。

 いや、はや、なんて、遊び放題な生涯なのだ。と思うかもしれない。

 けれど、ねェ、未来、一番になくなるのは、お金、だと思う。

 AIが発達し、ロボット産業が発達し、バイオテクノロジー、が進化を続ける。世界から、労働と言う名の行為が、次から、次になくなっていく。

 何もしなくても、高級の家に住め、何をしなくても、高級の車に乗れ、何もしなくても、衣服にも、食事にも困らない。いや、むしろ、消費してくれた方がありがたい、まであるかもしれない。

 それが未来だ。だから、後、五回か、七回ぐらい、生まれ変わりを経験したら、ひょっとしたら、もう少しはかかるかもしれないけれど、そうしたら、お金んなて、ただの、紙くずになる、と言うことだ。

 今、いくら、未来貯金をしていても、意味がない、と言うことになる。多分、日本がいくら、借金をしている、とか言う話も、消えてなくなるだろう。

 そうなったら、何が、人の、自分の、アピールポイントになるか? ですよ。これは、ひじょうに、哲学的な話。

 生まれ変わりで納得がいなかないなら、想像してごらん。天国だよ。天国にお金はありますか? って話。あったら、それは、地獄、だよね。この世が、地獄、と言われるゆえんだ。

 そんな世界で、人は、何を、アピールのポイントにできるだろう? 

 面白い、優しい、ルックス、スタイル、運動能力、まァ、色々あるだろうが、哲学的な話と言ったのは、笑いで、お金を稼ぐことのなくなる。優しさで、お金を稼ぐこともなくなる。知力で、お金を稼ぐこともなくなる。今の、情報産業の根底が変わる。人間は、何を、人間に、求めだす、だろうね? 純粋な、愛情だけが、表に出てくるはずだ。とは、希望的観測。

 上下を決めるものがあるから、哲学的思考が生まれるんじゃないんだね。上下を決めるものがないから、哲学的思考の、本当の価値が生まれるんだね。

 だから、今、お金のことで、あれこれ、問答しているのは、ナンセンスなことなんだ。失点に次ぐ、失点をしているだけに過ぎない。なくなった世界から見れば、みっともない、話だろう。けれど、現状は、まだ、お金に、権力がある。そして、そんな世界を、神様も望んでいる。まァ、先を見ながら、自分に何を蓄積させるべきか? を考えながら、適当に、程よく、処理していくことだろう。

 自分に蓄積させるものが何であるべきなのか? 本気で考えていないと、後で、大損をこくことになるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 醬油ラーメンください、とずっと言っていたのだが、本格的に二つ作った。

 一つは、パーポス。

 これは、レッド吉田の、チェベックス、みたいに、意味はなく、突然、会話と、会話の中に、ぶち込む奴だ。

「諸行無常の世界の中、パーポス。詩を吟味パーポスし、歌をパーポス歌う」

 的に、使うやり方だ。どこかしこ、連発するのがコツだ。パー、ポスや、パーポー、スや、イントネーションや、くくりを変えてもいい。

 当然相手から、

「それ、何?」

 と聞かれる。そしたら、

「パーポス?」

 と、疑問形だけで返す。

 もう一つは、マウンテン。山畑、にかけてある。

「それで言いございマウンテン」

 みたいに使い、両手で、頭を包むようににお結びみたいな形を作る。ビートたけしの、コマネチの、逆パターンを想像しようと、思って、考えついたネタだ。

「あなたの意見は、百点マウンテン」

 と、満点にかけることもできる、優れモノだ。まだ、実践で使ったことはないが、うちは、兄弟でも、そんな関係ではないので、ないが、温めている。

 あと、三つぐらい、ギャグは欲しいかな、と考えているところだ。全部で、五つあれば、十分だろう。

 あなたも、すかしネタを考えてみるのもいいのではないか? と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 まだ、十四人も見てくれる人がいる。やっぱり、ちゃんと書こうかな? と思わないでもない。やることをやっていれば、次につながることもある。

 世界を始めたのは、僕だ。世界で、唯一、0に達することができたのも僕だ。僕は、言葉しか持たないひ弱な生き物だ。世界に喧嘩を売るなら、それなりに、理論武装、道義剣舞、する必要がある。千五百字、と言わず、千字、ぐらいなら、書いてみるか? と思わなくもない。

 ここで、無益な過程を経ることも、いずれは、有益だった、と言う瞬間が来るかもしれない。文字の徒を行くんだ。粗探しして、進めてみるか? 

 少し、思案している。

 せめて、訪れた人には、何か一つでも、儲けものを、手にしてもらいたい、と言うのが、人情だ。大して、苦でもないなら、やれよ、と言うことかもしれない。

 もう少し、思案している。

 今、小説を、三本同時に書いているから、まだ、気持ちは、モチベーションは、維持できているけれど、それを奪ってしまえば、何もやっていない生き物だ。それでも、生きていく権利はあるのだけど、やはり、何か、ちゃんと世界について、前向きな、一つの欠片をやっているから、今、をやっていけるのだ、と改めて、思い知らされる。

 その世界への役に立ち方は、人それぞれなのだろうけれど、全然知られていないときから、自分の中で、世界について、思案している時点で、遣り甲斐があった。つまるようなら、ここに、何も書かないでおこう、と思ったけど、

 ここで一句。

 空雫

 道草行きて

 我求む

 空のように、遥かな世界と言う名の下、落ちてきた雫を一飲みする。道草を行ながら、自分とは、を考える。少しずつ、前へ進む気持ちは変わらず、世界に貢献する何某か? を探す気持ちも変わらない。

 色々あるけれど、明日を切り開くのは、自分でしかないのだから、自分で、頑張るしかない。

 心のままに、心が美しい、と思うものの、ままに。

 

 

 

 

 

 

 おはようございます。他人に、おはようございますを言うのは、兄と、病院の先生と、マーケットの店員さんを除けば、久しぶりです。昨日は、ゆっくり眠れたんで、気分はいいです。いい朝です。

 朝、安倍首相の退陣の情報がありましたが、ないでしょう。僕がないでしょうと言うと、ある、と言うあるあるに期待です。

 まさか、安倍首相も、コロナなんて、起こるとは想像していなかったでしょう。首のすげ替えで、どうにかなるものじゃないと思いますが、覚悟がないなら、政治家なんてなるな、と言うことでしょう。ちなみに、僕には、その覚悟はありません。だから、多くは言いません。

 と言っても書く仕事をしようとしている以上、完全に無責任、と言う訳にはいかない、と思っていますが。表現者たるもの、何かを壊す可能性がある限り、それに伴う、責任は持っておかなければなりません。不可抗力までは、しょうがないとしても、言ってのけた言葉に対しては、気軽な気持ちで言ってはいけない、と信じてここまで来ました。これからも、それは、続けていくつもりです。

 何か、傷つけた人がいたら、いつでも、謝りますので、よろしくお願いします。

 さて、病気に、負けないように、気を大きく持って、過ごそうと思います。

 皆さん、一日、頑張りましょう。ああ、休日ですね。ステイホームか? 他人と、自分の命を守るうえでも、気をつけるところは気をつけて、みんなでそれぞれに力を合わせて、この難局を乗り切りましょう。もう、二度と、元に戻ることはない、とか聞きますが、きっと、困難の後には、拓けた未来がある、と信じて、進むしかありません。大変なことも多いと思いますが、気軽に、頑張ってください何て言えませんが、今は、他人の手も借りられない状況、それでも前を見て進むしかありません。

 ただ、ただ、神様の慈悲に期待するしかありませんが、コロナ禍の後の失業、そして、完全収束するまで何年かかるのか? いろんな不安があるでしょうが、みんなが、健やかな一日を送れることを、願っています。今日の健康を幸せに感じて、過ごしてください。

 また、明日でも、気が向いたら、何か書きます。その時は、よろしくお願いします。