幸せになる、お墓について考える(最強の開運法!墓相学) -9ページ目

幸せになる、お墓について考える(最強の開運法!墓相学)

お墓について、最近、散骨や樹木葬、合同葬、納骨堂などがTVなどで紹介されていますが、
家相や手相なんかは気にする人がいますがなぜ墓相が注目されないのか?
最強の開運法の一つ、墓相学を知ってほしいと思います。
パワースポット、神社参りも紹介していきます。

墓相学に出会い、是非墓を建てようと思い近くの石材店に相談に行くとほぼ断られる。もしくは普通の墓を勧められる。

 
墓相学の墓は基本下が真砂土の上に立っている。
 
真砂土に建てるので墓石の下に遺骨を納骨する。
それによってまさに亡くなった人が自然に戻れるのだ。
骨壺のままではいつまでも戻ることができない。
 
しかも墓石の組み立てには一切接着剤や金物、モルタルなど使用していない。
 
普通の石材店は「グラグラして安定しない」「傾いたりする」こう言って言い訳する。(このようなことを書いたら石材店の方に怒られそうですが)
 
私は一市民で石材店などの墓を商売にしていないので偉そうに言えないが、墓相学の墓を造るには高い技術が必要だ。
 
墓石の底に石柱や金属の支柱を入れさせてもらうという石材店もいるかもしれない。
遺骨が納骨されているところに支柱が入るのなんかは勿論良くない。
 
私がお願いした墓相学専門の石材店は一切、接着剤や金属、石柱や支柱いずれも使用しない。
 
その方は使わないが東北などの寒冷地では霜により小さな花立などの部材が浮いてしまうことがあり
そういったところでは金物など使う業者の人もいるかもしれないと話していた。
 
そもそも一般の石材店は石の加工のプロだ、お墓のプロでない場合が多い。
 
”石屋”さんなので大きな石を、立派な墓を売ったほうが商売になる。
しかし、墓相学の墓は大きくない、大人が立つと見下げるような墓だ。
 
真砂土を十分締固め、高い技術で加工された墓石をしっかりと組み立てていく
そうして建てられた私の墓も、10年たつがグラグラも、傾きも一切なくしっかりとしている。
 
 
 
 
 
 

 

墓参りは面倒なもの、必要ないもの、意味がないもの、

なんでそんなものに労力を費やすのか?わからない?
 
このような風潮だ、なんとも嘆かわしい、というより危機感さえ感じてしまいます。
 
生まれ故郷にいることが少なく、進学や就職により
生まれ故郷から遠く離れて同時に先祖の墓からも
遠く離れてしまってはなかなか行く機会も、墓のことを考えるのも
少なくなってしまう。
 
先日、たまたま付けたテレビのバラエティ番組で僧侶の方が
「戒名の意味」「墓参りの意味」を話していた。
 
「戒名の意味」は「戒名というのは法名、いわゆる僧侶になることと同じ」(宗派により若干違いがあるそうだ)亡くなられた人はあの世で僧侶になり修行するということだと思う。
戒名がなければあの世にも行けないし、あの世で修業ができない、
すなわち生まれ変わりもできないということだと思う。
 
「墓参りの意味」は、「あの世にいる先祖があの世で活躍するように応援すること」と僧侶の方は話していた。よく亡くなられた方に対して「天国に行った」というようなことを言うが、実際にはなかなか行けない。
下手すれば自分がなくなったことに気づかないでいつまでもこの世にとどまってしまう霊も多い。
あの世に行っても、いつまでも苦しいばかりで”上”に上がれない。
”上”に上がらないと苦しい。何回もこのブログに書いているが、それをいろいろなことで
子孫や、親族に伝えようとする。これが今生きている人たちに色々な試練として現れる。
 
墓参りは”上”に上がるのを手伝うことになる。
小さな子供が滑り台を下から昇るが中々昇れない、父親が下からお尻のところを手で支えて押し上げて上にあげてあげる。子供はにこにこしながら滑り台を滑り「パパ大好き」と抱きついてくる。
パパも子供も幸せな気持ちになる。
 
亡くなった人は1人であの世のさらに”上”に上がれる人は少なく
応援(手助け)してあげなくてはならない、応援することが「墓参り」であり
供養なのである。
 
応援してもらい”上”に上がった先祖は今度応援してくれた子孫の応援をする。
 
 

 

昨日、NHK22時から「クローズアップ現代+」の番組で

”散骨”を中心に墓じまいなど紹介されていた。

 

”散骨”がビジネス化し多くの業者が参入し

事業協会までできていた。

 

散骨が”葬送”から”処分”へと姿を変えようとしている

という紹介がされていた。

 

散骨はいつから葬送だったのだろうか?

自然に帰れるからいいと思っているのだろうか?

私は以前から「海への産業廃棄物の不法投棄」

(合法投棄でも同じなのだが)としか考えていない。

 

樹木葬でも、手元葬でもそうだが、一部の人たちが

一部の自治体で行っていることをテレビで取り上げ

いかにも当たり前のことのように見た人に広がっていき

本来、葬送の方法でないものが一般的な物へと変化していく。

 

昨日のテレビで紹介されていた散骨などの事例は

コインロッカーに妻の遺骨を放置

サービスエリアや、オートレース場のごみ箱などに廃棄

墓を買えずにずっと家にあった遺骨を宅配で業者へ送り散骨

 

無縁仏の遺骨の処理に困った自治体が産廃業者に委託して

石のような砂利に再加工、金属のリサイクル

 

まさにその人の生きていたことの尊厳など全く無視された

「処分」「廃棄」である。

 

遺骨を物としか考えていない。

邪魔な物、宅配で送れば後は知らない。

 

こうなってしまった以上

窓口となる自治体や、取り扱う業者さんやNPOの方は

このようにしないと仕方ない側面は多分にあると思うが

こういったものに安易に乗ってしまってはいけない。

 

そもそも”葬送”のスタイルは、”墓”への埋葬以外にないのである。

 

墓が「あの世への唯一の出入り口」であるので

それ以外ではあの世へ行くのは困難である。

 

死んでも無にはならない。

誰にも墓に入れてもらえない、供養してもらえない。

死んでからも苦しい状態が長く続く。

 

素晴らしい生き方をし、悔いも恨みも全くなく感謝しかない状態なら

もしかしたら墓に入らなくてもあの世へ行けるかもしれない。

実際にはそのような人は少数だから死んでからも苦しいのだが

それが、正しい方法で自然に戻り、供養されることで少しずつ和らいでいき

そうでない人よりもあの世へ行けるようになれるのである。

そうすると今度はその家の家運が上がるように応援してくれるのだが

もちろん直接的はわからないので気づかない。

 

番組の後半では、台湾などの例も紹介され

家族だけではなく、地域や自治体、社会全体で弔う仕組みが必要だ

とも話されていた。

 

経済的に苦しいから墓が買えないのではなく

墓がちゃんとしてないから家運が安定せず結果経済的に苦しいのである。

順番が逆である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お盆が近くなりました。

このブログを読んでいただいている方は

もちろん墓参りに行かれると思うのですが

以前にも書いたことをおさらいしたいと思います。

 

まず、お盆はご先祖様が”家”に来る時なのです。

8月13日なるべく朝の早い時間お墓参りして”家に連れて帰ります”

(もちろん見えませんが「お盆なので家に来てください」と言いましょう。)

 

8月15日夕方暗くなる前にお墓参りして

ご先祖様を家からお墓に送ります。

 

墓参りには

お線香、ろうそく(半紙のような紙を巻いていけば少々の風があっても消えません)

水(現地調達でも可)、生花かシバ(造花はいけません)、掃除道具、なるべく新しいタオル

数珠、そのほか先祖に報告したい写真やお供え物

 

お供え物はお参りの時だけ出して夏場でもあるし、カラスや小動物、虫などが来るので

持ち帰りましょう。

 

お酒など墓にかけたり、水をかけてそのままはいけませんので

少し硬めに絞ったタオルで墓石を拭きましょう。

 

お線香やろうそくの火は先祖にとって好物です。

 

お供えも、花もその時の”気”を先祖はいただくので短い時間あればいいのです。

 

もしも造花だったら「おいしそうな料理が出てきたと思ったら食品サンプルだった」

というように先祖は思うでしょう。造花を供えた人がその直後外食などして

ごちそうを食べていたら先祖もいい気はしないでしょう。

 

決して造花ではなく生花を用意しましょう。造花だったら持っていかないほうがいいです

 

遠くから帰省して墓参りであれば
お盆の間だけでも構いません。

 

お盆は他人(友人や親せき)のお墓参りが可能です。

お盆以外の時にはむやみに他人の墓参りはいけません。

その家の人と一緒であればお盆以外の時でも構いませんが、

お盆と正月は可能です。

 

先祖が家に来るのがお盆なので

旅行とか行かずにお墓参りしましょう。

どうしても行くときにはその前後に墓参りして

「お盆には○○に(理由)の為に行きますので墓参りできない」ことを報告してください。

もちろん「無事帰ることが出来ました」という報告も忘れずに

 

 

先日、生涯現役を貫いてこられた、
聖路加国際病院名誉院長の
日野原重明さん(105歳)が
ご逝去されました。

 

私が読んでいる人間学の雑誌

■『致知』2008年12月号
 特集「心願に生きる」より

現役の医師として活躍されていた日野原先生が

2週間に一度のペースで10歳の小学生に出前授業で

「命について」話されていたことをご紹介したい。

 

(以下記事の内容)

 

僕が一貫してテーマとしているのは
 命の尊さです。

 難しい問題だから
 なかなか分からないけれどもね。

 でも

「自分が生きていると
 思っている人は手を挙げてごらん」

 と言ったら、全員が挙げるんです。

「では命はどこにあるの」

 って質問すると、
 心臓に手を当てて

「ここにあります」

 と答える子がいます。

 僕は聴診器を渡して
 隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
 このように話を続けるんです。

 ・  ・  ・  ・  ・

「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
 これは頭や手足に血液を送る
 ポンプであり、命ではない。
 命とは感じるもので、
 目には見えないんだ。
 君たちね。
 目には見えないけれども
 大切なものを考えてごらん。
 空気見えるの?
 酸素は?
 風が見えるの? 
 でもその空気があるから
 僕たちは生きている。
 このように本当に大切なものは
 目には見えないんだよ」と。
 
 それから僕が言うのは

「命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは
 君たちが持っている
 時間だからなんだよ。
 死んでしまったら
 自分で使える時間も
 なくなってしまう。

 どうか一度しかない自分の時間、 
 命をどのように使うか
 しっかり考えながら
 生きていってほしい。

 さらに言えば、
 その命を今度は
 自分以外の何かのために
 使うことを学んでほしい」

 ということです。

 ・  ・  ・  ・  ・ 

 僕の授業を聞いた
 小学生からある時、
 手紙が届きましてね。

 そこには

「寿命という大きな空間の中に、
 自分の瞬間瞬間をどう入れるかが
 私たちの仕事ですね」

 と書かれていた。
 10歳の子どもというのは、
 もう大人なんですよ。

 あらゆることを
 ピーンと感じる感性を
 持っているんです。

 僕自身のことを振り返っても、
 10歳の時におばあちゃんの死に接して、
 人間の死というものが分かりました。

 子どもたちに命の大切さを
 語り続けたいと思うのも 
 そのためです……

                 (以上ここまでが記事)

 

かなりのご高齢になり「死」というものを

真剣に考えられたというのもあると思うし

医者として多くの患者さんの死に立ち会ってきたからこそ

「命=時間」という重みのあることをお話しされていた。

死なない人はいない、生まれたと同時に寿命までの

カウントダウンが始まる。残念ながら生まれてすぐに亡くなる人もあれば

長生きする人もある。寿命は誰であってもわからない。

 

だからこそ一瞬一瞬、毎日毎日一生懸命に生きよう。

死ぬ時に後悔や恨みがあるとあの世には行けないと私は思う。

あの世に行けない魂は苦しくてしかたない。

 

「命について」教えてくれた

日野原先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

私のような一市民が、日本中の人が応援していた「麻央」さんについて

ブログに書くのはおこがましいが、「死」について注目が集まっているので書かせてほしい。

 

良く「死んだら無になるのだから墓や仏壇なんていらない」

最近は、葬儀すらいらないという人も出てきた。

 

人は死んだら無になるのだろうか?

 

今も「小林麻央」さんの追悼の特集がテレビで放送されていた。

麻央さんは亡くなられて無になったのだろうか?

若くして亡くなられたことは本当に悲しくつらいことだが

日本中の人の心に生き続けていくことだろうし

何かの時にはまた放送されて元気だったころの美しい笑顔や

病気と闘ったことや、美しい家族との愛など紹介されるだろう。

 

忘れたとしてもそういった事でまた思い出すことだろう。

少なくとも家族の心の中には生き続けるだろう。

 

結婚か、婚約の時に夫である海老蔵さんが「来世も、来々世も一緒になろう」とプロポーズしたようなことが紹介されていたが、「無」になるのであればそれも叶わない。

 

亡くなる時に、夫である海老蔵さんに「愛してる」と声を掛け

亡くなられたそうだ。ご家族からの愛、多くの人からの応援の愛に包まれての死だったと思う。

 

もちろん断定はできないが、病気などの痛みや苦しみからは解放され

天国に旅立ったことだろう。

 

残された遺族やみんなからの応援があれば天国に上れると私は思う、

これが憎しみや恨み、未練などあれば中々上に上がれない。

 

誰でもそういったものは大なり小なり持っている。

 

それを上に上げていくのが、遺族による供養なのだ。

 

麻央さんが例えば1年後テレビなどで紹介されて

普段は忘れていたとしても思い出すだろう。

身内の人や、知った人ががんにかかったら麻央さんの事を思い出すだろう。

 

供養とはその亡くなった先祖の事を思い出す(思う)ことなのだ。

とかく生きていれば忙しかったり常に先祖のことなど思っては居られない。

 

せめて法事や、毎朝の仏壇などでその時だけでも

思えばいい、手を合わして今自分がいることを感謝するだけでいい。

それがその先祖を上に上げることになるのだ。

 

亡くなって無にならず上に上がれないのは苦しい。

何とか上に上がれないかと遺族に色々な形で知らせることになるが

この世の人はそれが上のサインだとは思わない。

 

上に上げるのも大変だが、上に上がったら今度は応援に回ってくれるようになる。良いことが起こってもそれは自分の実力や運の力だと思い

上の力だとは気づきにくい。

 

良いことが合ったら供養の時に報告だけしよう。

 

※最初に投稿したときに麻央さんの名前に間違いがあり、内容の一部にも間違いがありました。

  お詫び申し上げるとともに、あらためて「麻央」さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良く亡くなった人に「天国で見守っていてください。」

など言ったりする。

 

仏教では亡くなった人が7日7日の法事を7回行って

49日が過ぎたら、成仏するなどと言われている。

 

実際は私も、誰も天国があるかどうかはわからない。

 

ある有名な話では、「天国と地獄は一緒」だという話だ。

 

大きなテーブルにおいしそうなごちそうが並んでいるという

シュチエーションは同じらしい。

 

ただし、それをすぐには食べれないらしい

手には長い箸を持っていてそれでしか食べれないらしいのですが

箸が長すぎて自分では食べれないらしいのです。

 

天国と地獄はどこが違うというと

天国は向かいにいる人同士でお互いに箸で食べさせ合っていて

皆が満足しているという。

 

地獄は逆に自分で何とか食べようとして食べることが出来ず

イライラして常におなかをすかしている状態だという。

 

別の話では、あの世では亡くなった人は色々な階層に行くことになって

その各階層には同じような考えを持った人が集まるという。

 

だから残念ながら亡くなった子供を追って親が自殺などしても

決してあの世で会う事は無いという。

 

もちろん確証はないし、間違いかもしれないが

亡くなった時の気持ちの持ち方で天国に行くか?

地獄に行くかの違いが出るのではないかと思う?

 

亡くなってからしかわからないが、強い恨みや後悔の念のある人が

天国に行くとは思えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春は新しい出会いや別れがあり、桜が大変綺麗に咲く季節で

気温的にも過ごしやすくなり気持ちがいい墓参りにも適したときです。

 

お花見などで桜の木を観るのは大変気持ちのいいものですが

お墓のすぐ近くにあるとなると話が違います。

 

以前の投稿でも「お墓と木の関係」について書きましたが

特に桜の木がお墓の横にあると良くありません。

 

例えばお墓の上に枝があったり(花が咲いていたり)

根っこがお墓の下に潜り込んでいる。

お墓の地下部分に根っこの部分が当たっている。

 

全てよくありません。

 

特に精神病関係が出る確率が高まると墓相学では言われています。

 

もちろん切ってあれば影響は薄まると思われます。

 

お墓のすぐ横に木などあれば要注意です。

 

同様の理由で「樹木葬」なども私は賛同できません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の知人のお姉さまが、大変可愛がっていただいていた近い親戚がお亡くなりになり通夜の後に熊本地震があった。

 場所は熊本ではなかったが、揺れがあった。親戚一同亡くなられた親戚の方の遺体のそばに居たが、そのお姉さんだけが地震の後、胸が苦しくなった。

翌日の葬儀まで体調が悪く葬儀が終わり、家に帰るにしたがって徐々にその苦しさはマシになった。

 亡くなる日の朝、お姉さんが会社に出社しようと車で走っているとメーター周りのすべてのランプが点灯して車が動かなくなった。家族が車で迎えに行き、車を交換して会社に向かった。家族はJAFを呼ぼうかと思ったが、普通に運転して帰れたという、気になって仕事の後お見舞いに訪れた。それを待っていたかのようにその日の夜半にお亡くなりになられた。

 その後お姉さんは、夜に突然家を飛び出して山の中をさまよったり、妄想や狂言が多くなり、「統合失調症」と診断され、仕事を辞めて心療内科に入院している。丁度、葬儀の1か月ぐらい前に彼氏も出来て結婚に向けて動き出したところだったが、結婚どころではない。

 知人家族は心配して色々なところにご相談に行ったり、試したりしたがうまくいかなかった。私に仕事上迷惑が掛かるかもしれないと相談してきた。

 先日知人と一緒に私のお墓をコーディネートしてくれた人の所に相談に行った。まず、亡くなられた方の影響が大きい(ほぼそうだろう)という事で、その方のお墓について聞いた。

 一族の墓の本家の墓の右隣にその亡くなられたご夫婦の墓があるらしいことがわかった。それで居心地が悪く訴えてきたのかもしれない。

 コーディネートの方は「それが原因である可能性が高い」と言っていた。右側は上座だ、実社会でも取引の場では上座に取引先の偉い方に座っていただくけれども、間違えたりすると取引自体破談になったりする。

 お墓も同じで本家の墓の右側に他の墓を作ってはいけない。そもそも以前書いたことがあるが、一族の墓をまとめて作ってはいけない。できれば離してばらばらの方がいい。

 幸いお姉さんに入ってしまった”霊”は親戚の方で悪霊ではない。その人から”霊を上に上げる”(成仏)させる方法を教わった。現在知人家族はそれを行う準備をしている。上手く行ったらここでも紹介したい。

今や世界でも屈指の長寿国「日本」

平均寿命が延びて、高齢化社会となり

以前より社会問題となっているが

これは生きている我々の問題だ。

社会保障や医療・介護の問題、どれも深刻な問題だ。

 

以前このブログで「墓じまい」について紹介したときに

NHKの番組で「墓じまい」が取り上げられ

お墓事情に詳しいコンサルタントの方が話していたことが興味深い。

 

そのコンサルタントの方によると

「高齢化が進み例えば、90歳でおばあちゃんがお亡くなりになったとする、すでにお子さん自体も60歳を超えていたりする。

核家族化が進み、年に1度会うかどうかのおばあちゃんの

23回忌を孫の方がするだろうか?(たぶんしない)」

 

というようなことを話されていた。

 

先祖代々が暮らしてきた田舎を離れて

縦の関係が薄れてきてそれに「長生き」が拍車をかけている。

 

それ故に、面倒を見てくれた身近の人の「死」や法事・供養といったことに接することがほとんどなくなり、考えることすらしなくなり。

お金の掛かる、面倒くさい、必要ない、どうしていいか?

わからない。という事になっている。

 

今後、孤独死や墓の後を見る人がいない状態で亡くなる人が増えていくと同時に、亡くなっても供養されない人が増えているといことで、益々増えていくだろう。

 

亡くなっても無にはならない。

たいていの人は死んでも苦しい、”無”にはならない

思いが強いと”上”には上がれないのである。

 

「天国に行く」なんて言うが、誰でもすぐに行けるわけではないのである。もちろん私もはっきりわからないが

だれでも恨みや悔しい気持ち、未練を持って亡くなる。

 

未練も欲もなく”無”の状態で亡くなれば

すぐに”上”に上がれるかもしれない。

 

むしろそういう人は少ないだろう。

 

亡くなって現世との距離を広げていって

”上”に上がるには残された人の後押し「供養」が必要だ。

 

亡くなって苦しい状態だと残された人に何とかしてほしいと

訴えることになるのだが、残された人はそれが「訴えている」

とは気づかず、「運が悪い、不幸だ」という事で片づけてしまい

自分も良くない思いで亡くなり悪循環になる。

 

いよいよ絶家になり誰も頼る人がいなくなると・・・

正直そこまではわからないし、考えたくもない。

 

あの世でも高齢化の影響は甚大だ。