幸せになる、お墓について考える(最強の開運法!墓相学) -8ページ目

幸せになる、お墓について考える(最強の開運法!墓相学)

お墓について、最近、散骨や樹木葬、合同葬、納骨堂などがTVなどで紹介されていますが、
家相や手相なんかは気にする人がいますがなぜ墓相が注目されないのか?
最強の開運法の一つ、墓相学を知ってほしいと思います。
パワースポット、神社参りも紹介していきます。

墓を移動するとき、

 

今の墓を別の場所に墓相学の墓に変更する。

 

その時に行うことがあります。

 

移動する日が決まったら

その21日前から、毎日墓参りし

「●月●日、お墓を移動します。ついてきてください」

とお参りの時にお願いをします。

 

正式には108日ですが、ご夫婦、ご両親(主人側)、お子さん

誰か一人でいいので、21日間1日も欠かさずお参りします。

 

どうしても無理な時には、1日3回で7日間という裏技もありますが

それが最短です。

 

移動した後は21日間「この場所で安らかにお眠りください」

と同じようにお参りしてください。

 

私の場合は、両親が移動前のお参りを21日間行い。

移動後のお参りを私と妻で行いました。

 

21日の前後のお参り、合計42日はどのような形でも

ご夫婦、ご両親、子供、孫、誰かでもいいので必ず行ってください。

過去に墓を造ってからうまくいかなかった人を調べたらやはり

造った後の21日のうち御夫婦のどちらかが行っているだろうということで

1日抜かしていたことがわかりました。

これが確実に出来るタイミングで墓をやりたいものです。

 

また墓を移動するときには、

遺骨のところで線香を灯しながら

切らさないようにして持ってきます。

 

私の場合は、父が運転し、母が線香の番をしながら

約3時間の移動を行いました。

 

線香の香りにつられて先祖の霊がついてきてくれます。

 

私達は墓相学の墓にやり替えてからもう10年以上が過ぎた。

 

墓相学の墓を造ると決めた時に

教えていただいたことがある。

 

一つ目は、墓地が見つかるという事。

意外と近くだったり、たまたま見つかったり、声掛けしていたところから見つかったと連絡があったり

本当に進めることを感じ取った”上”が用意するのだろう。

 

今回お話ししたいもう一つは、

「人が離れて行ったり、出会いが広がるということ」

 

離れていく人は引き止めたりしてはいけない。

その人にとって本当に必要のない人は離れるということだろう。

その時は大切な人や、重要な役割を担っていても

墓相学の墓を造ることを決めた後は流れに任せなくてはならない。

 

それは自分でも思いがけない人の可能性もあります。

 

私の時も、自分の経営する会社のNO2の

私にとっては片腕のようなベテラン社員(役員)でしたが

いろいろなその方の家庭事情などもありましたが

まだ定年まで3年ぐらいあったにもかかわらず

墓相学の墓をすると決めた直後にその方は退職を申し出た。

勿論、その方は私たちの家が墓相学の墓をするなんてことは知らない。

 

事業所の責任者でもあったし、ほかの社員はみんなで引き留めたようだが

私は教えられた通り、退職の手続きを進めた。

 

逆に有益な出会いやチャンスが広がる。

 

離れる人がいてその時は大変かなと思っても

必ず代わりの有益な人との出会いがある。

 

今までチャンスと気付かないような事でも

”上”が気づかせてくれたり、ひらめく。

 

墓相学の墓をするということは

”上(先祖)”とのつながりが強くなり、自分だけの力ではなく

先祖が懸命に生きてつないできたパワー、次につなげようとするパワー

をよりもらえやすくなることだと思う。

 

どんな人でもチャンスはある、

ただほとんどの人はそれに気づかずやりすごす。チャンスを手にできない。

若い時に来る人もいれば、年老いた時にしか来ない人もいる。

ひょっとしたら生まれた時がそのときかもしれない。

 

先祖と一体となることでそれに気づきやすくなるし

いろんなことが重なり導かれる、

大企業の創業者が「自分はついている、何かある」と感じ

調べたところ「7代前のおばあさんが徳を積まれていた」そうだ。

 

ほとんどの人は自分には「運がない」と感じているが

”上”とのつながりを強化したら家運が上がる。

 

 

墓なんていらない、最近そのようなことをよく聞く。

遠くの実家にはあるけれども、兄弟が墓守していて自分は他のところで生活していてお墓とは縁がなく考えたこともない。

自分の墓がどこにあるのか?も知らない。

このような人が増えている。いよいよ年を取り、病気などして子供もおらず「自分の墓はどうすればいいのだろう?」と考えても遅い。

 

綺麗な花をもらい、花瓶に入れ鑑賞するが、長くは持たない。

雑草も花を咲かすことがある。季節になればそれなりに綺麗な花が咲く。

そして時期が来たら枯れてしまうが、種子を残し又次の時期が来たら芽が出てそして花を咲かしそれを繰り返す。

花瓶に入れた花には”根”がないが、雑草には”根”がある。大地から根を通じて養分(パワー)を吸収して育ち

次の世代を残す。

 

人の墓もそれに似ている。墓はその家に”根”があることを意味する。

家自体がしっかりしてくる。草花が大地から養分を吸うように先祖からのパワーを墓からいただく。

 

分家になったから(ほかに墓守がいるから)お墓は当分いらないのではない。

分家であっても結婚して実家から離れて”家”を持ったならば住む家を買うように墓も買うべきだ。

誰も入る人がいなくてもだ。理由は先ほど書いたように家運が安定していくからだ。

商売や家業がある場合はなおさらだ、子供が出来る出来ない、健やかに育つ育たない

夫婦仲、家族の健康、いろいろなことが変わってくる。

 

もちろん墓があればすべて何もかもうまくいくということでもないし

墓参りもしない、荒れ放題、墓相学的におかしいという事であれば無い方がましかもしれない。

 

自分の力以上の成果を上げるためには先祖の力は必要だ

その窓口になるのがお墓ということだ。

 

お墓があっても家系図がないお宅はたくさんあるのではないでしょうか?

ひょっとしたら田舎の実家にあるかもしれませんが、存在を知らないかもしれません。

 

元気なうちに自分のルーツを確認することは非常に重要です。

 

昔はどこも3~4世代一緒かもしくは近くに住み、お爺ちゃんお祖母ちゃんからお孫さんに

先祖の話を聞いて育ち例えば「代々畑を大事に守ってきた」

「戦争で命を落としそうになりながら大陸から引き揚げた」

「昔は商売で大成功して一代で財を成した先祖がいる」

「元々は遠く離れたところに居たが〇〇がきっかけで今のところに移住した」

こういった話を聞いて先祖は必死に家を守り次の代に引き継いできたことを知る。

 

しかし高度経済成長により核家族化が進み、少子化晩婚化、独身化が進み

自分のルーツは考えることも無くなり

次に引き継ぐ重要性も考えなくなった。

 

自分がいるのは間違いなく先祖がいたからで間違いない、

3代前はたまたま戦争から生きて戻ってきたからかもしれないし

女家系で家が途絶えそうになった時にいつも養子の方が来て家が繋かったかもしれないし、

長男が早くに亡くなったり病気などの影響で代々次男が家をつないできたかもしれない。

 

「先祖に感謝する」とかいっても具体的な対象がはっきりしないであれば中々難しい。

特にこれからお墓の整備をするのであれば尚更家系図の確認は必須です。

 

具体的には

実家のある役所などに戸籍謄本などを取り寄せて確認する方法がありますが、

役所にもよりますが明治あたりから後になります。

最長でも江戸末期までということになります。

 

家に過去帳がある場合にはある程度それだけでも家系図が出来ることになります。

 

永年お世話になっているお寺などあればそこで聞くこともいいでしょう、

私の場合は昨年法事の際に前にお世話になっていたお寺に

問い合わせてみたところ住職は高齢になり認知症となり、

息子さんが住職となったが引き継ぎが十分ではなく「わからない」との事でした。

お墓を少し離れたところに移し檀家ではなくなったので仕方ありません。

 

やはり、親せきなど昔の事情を知っているご老人などから聞く方法。

 

墓石に刻んでいる戒名などからなど方法があります。

 

ネットではそういったことを商売にしているのも目にしますが

まずは自分で動いてみることです。

 

家系図が出来ると「本来まつるべき人が別々の墓になっている」、

「まつらなくていい人が墓に入っている」

「彫られている戒名が間違っている」

「33回忌、50回忌、100回忌がわかった」など先祖を知る以外のことにも気づくかもしれない。

 

先祖の活躍や苦労を次の世代につなげて伝えていかなくてはいけない。

 

 

 

このところあまりブログを書けていない。

テーマから少し離れた内容になっていることもあり

以前書いたことと少し重複するが、再度墓相学について触れていきたい。

 

私は今田舎に住んでいますが、生まれて社会人15年目ぐらいまでは関西に住んでいた。

両親は元々は田舎の地方都市の生まれだったが、父の仕事の関係で関西だった。

 

当時、一部上場の会社のサラリーマンとして2人の子供にも恵まれ、マンションも購入し

普通に暮らしていた。

 

私から3代目の先祖が建てた墓は、両親の出身地であり田舎の地方都市にあり、

電車や新幹線でも半日以上、飛行機でもそれぞれの空港から1時間ずつぐらいの距離で

移動には半日以上、車などでは1日掛かりの距離にあった。

子供のころや、学生の頃は母の実家が商売をしていたこともありそれを手伝うので

夏休みや冬休みは帰省し、墓参りもしていた。

 

社会人になれば、仕事も忙しく中々帰省の機会も減り2~3年に1回墓参りに行けるかどうか?

というぐらい墓参りの回数が減ってしまった。(父親は1年に1~2回は墓参りしていた。)

 

祖父は私が社会人になったころ亡くなり、祖母が墓から1時間かからない叔母のところにいたので

定期的に墓の世話をしていただいたりお寺様との付き合いをしてもらっていた。

後でわかったことだが、写経を108枚書いて墓に入れてくれていた。

 

祖母がある手術を境に(麻酔か何かの影響)ひどい認知症になってしまい。

お墓の世話が以前のように出来なくなりお墓のことは父も私も気になっていた。

 

認知症でも別に病気でもガンでもなかったのにある日突然祖母は亡くなった。

 

当然仕事を休み、祖母の葬儀に田舎へと向かった。祖母が亡くなったそのタイミングが

後になれば絶妙だったと思う。私を墓守として田舎へ戻るきっかけとなったからだ。

 

当時、子供がまだ幼稚園と保育園だったこと、私のいた業界が不況だったので

年齢が上の先輩たちがリストラにあっていた為、定年まで勤めれるのか?不安だったこと。

墓が離れたところにあったこと。

 

祖母の葬儀や法事に遠い親戚(それまでほとんど面識のなかった)と出会った。

その親戚は墓からは高速道路で3時間ぐらい離れたこれまた田舎で潰れそうな零細企業を

経営していた。後継者がおらず、数回しかあったことの無い私に会社を継いでほしいということになった。

 

最初は聞き流していた、その気もなかったのだが、観光もかねて法事の後遠い親戚を訪問することになり

先ほど書いたようなこともあり、都会で購入したマンションも売却して会社も辞めて零細企業を継ぐことになった。

 

丁度、上の子が小学校に入学するタイミング、祖母が元気で子供が学校などに行っていたら

おそらくこちらには来ていなかったと思う。

 

墓から30分ぐらいのところに祖母の生家があり、ちょっとした旅館のような造りに改造され

御客を泊めてもいいような手続きも行い、父が定年退職したのを機に私の両親がそこへ住み

毎日ではないがお客に料理を出したり、泊まってもらったりペンションのようなことをするようになった。

母方の祖父が100歳を超え、母はその世話、私がこちらに来ていた事もあり両親は関西とを行き来するようになった。

 

墓から離れているとあまり影響を受けないのだが、近くにあると影響を受ける。

父はこちらに来てすぐに体調を崩し、1時間以上かかる大学病院に担ぎ込まれることがあり

祖母の面倒を見ていた叔母が心配して結果として墓相学を指導していただくことになる方に

「兄の家(実家)の墓を見てほしい」と頼み、見ていただいた。

 

その方は叔母の仕事上の知り合いで生前の祖母や、祖母と親交のあったお坊さんとも知り合いだった。

 

以前お墓は、お寺の境内の中で1番か2番目に大きく石垣で全体に高くしてあり、階段を数段のぼり

お参りするような見上げる墓だった。その石垣の部分に骨壺で納骨していたのだが祖母の納骨で一杯

一部の子供の小さな骨壺が上に乗っかっているような感じで、「父の時はどうしよう?棚でも作る?」

上から納骨するのが石をどけないとできないので「石垣に観音扉を付けて横から納骨しようか?」

なんて父と話していた。幸い父は命のかかわるような所まではいかず、数日後に退院しその方とお会いし

墓を見ていただいた結果を聞いた。

 

「見上げるような墓は良くない、墓はやり替えるべきだ」との助言を受け

「関西ではなく次の墓守である息子(私)のところに墓相学の墓にして移すべきだ」

との話でせっかちなのか?ピンと来たのか?その方を信じたのか?

ほどなく私のところに「そちらに墓を移したいんだけどどうかな?」

母方の祖父が亡くなり、父が貸していたまとまったお金も遺産分与で戻ってきて

そのお金で行いたいという提案だった。お墓についてはどうすればいいかの明確な考えもなく

ほぼ二つ返事で「やろうか?」と答えた。

 

その後、墓相学について勉強したり、その方からいろいろと教わったり、墓地を探すことになったが

後で聞くと私たちのように「二つ返事で直ぐ墓に取り組むのは珍しい」とその方は話していた。

 

大概のひとは、お金もかかるし、墓相学についての認識も低く前に進めないのだそうだ。

15年、子犬の時から可愛がっていた愛犬が先日亡くなった。

呼吸がおかしいと動物病院に連れて行って調べたら”ガン”だった。

複数の臓器がガンに侵され、「良くて半年の余命、段々出来ることが出来なくなります。」

と言われて1か月もたなかった。

 

数年前から高齢のため散歩に行きたがらず、室内犬で1日の大半を寝て過ごすことが多かったが

1週間前までエサも食べ、庭に出て用を足したり、家の中を歩いたりしていた。

 

私と妻にとっては少し急な感じだった。

 

夜仕事から帰ると、息が苦しそうな感じで数日前からエサや水さえも受け付けず

その日が山だろうと思っていたが、翌朝起きると一晩中寄り添っていた妻から

夜中のうちに息を引き取ったと聞いた。

 

ペットの火葬業者をネットで探した。

車で30分から1時間ぐらいのところには複数あったのだが

火葬の後どうするかも決まらず、火葬の設備を積んだ自動車で来てくれて

現地で火葬してくれるところに電話したところ昼であれば可能ということで

そこに頼み、昼過ぎに来てもらい、仲の良い妻の友達なども来てくれて

愛犬を見送り、近くのグラウンドの駐車場で火葬して1時間強の後

骨壺に入った人間と変わらない様な(人間の子供と言われたらわからない)

遺骨を受け取った。(私は仕事があったので妻が受け取った)

 

今、火葬して遺骨を受け取らず帰る人や、骨を拾わない遺族がいない人もいる中

可愛がっていた愛犬とはいえ、人間と変わらないような遺骨の扱いにびっくりした。

愛犬とはいえ、家族同様にしていたので人間同様でも構わないのだが

 

私はあることに心配になった。

妻が仏壇に愛犬の遺骨を置かないかどうかだ。

さすがに私の考えを理解していた妻はそういうことはしなかったが

骨壺に入って、きれいなお包みなら仏壇に置きたくなってもおかしくはない。

 

先祖代々の仏壇に決して先祖以外の遺骨などは置いてはいけない。

動物の遺骨などはもってのほかだ。

 

今は最近まで日中のほとんどを過ごしていたソファーに

ペット用の布団に遺骨を置き水とエサをお供えしている。

 

ペット用の仏壇も売っているどうしても家でペットの供養したいのなら

そういったものでするか?ということで人と同じようにしてはいけない

先祖の仏壇から離さなくてはならない。ほかの部屋にしなくてはならない。

 

勿論納骨を先祖の墓にしてはいけない。

墓からも離す必要がある。

 

うちの愛犬は墓までは作らない予定だが

どこかに埋葬しようと思うが、妻は先祖の墓の見えるところに埋葬しようと

言うが、人間の墓地なのでもちろんだめだ。

 

ペット専用霊園などもある。

 

自宅に埋めるのも良くない。

 

先祖の遺骨以上の扱いをペットの遺骨でしてはいけない。

ペットの供養以上に先祖の供養をしなくてはいけない。

 

人は死後のことはわからない。

今の日本は、交通事故死の人よりも自殺者の方が何倍も多い。

 

良く遺書などには「死んで楽になります、ごめんなさい」

のようなことを書く。(私はドラマで見るぐらいですが)

 

生きていると様々な困難がやってくる。

困難がやってこない人は一人もいないといっても過言ではない。

 

人間関係、経済苦、事故、災難、病気

それは人それぞれだし

困難の大きい小さいは勿論ある。

 

場合によっては一瞬で命がなくなる事故や災難もある。

 

良く「死ぬ気でがんばれ」とか「命を懸けてがんばる」

「一生懸命」(一生命を懸けるぐらい)などという。

 

苦しいからと言って

現状から逃れたいからと言って

決して自ら命を絶ってはいけない。

 

自ら命を絶つと「死んで楽になるどころか、余計苦しむことになる。」

以前信頼のおける霊能者が言っていた。

「自殺して亡くなった人の100%が後悔する」と

死んで無にならないからだ。

 

生きていさえすれば

話し合ったり、遠くに逃げたり、新薬や新治療方法が発見されたり

法律やルールが変わって問題なくなったり、本人も努力したり

時間がたてば状況が改善することもあるが

無くなってしまえば努力しようも、遠くに逃げようもできない。

 

ただ苦しい気持ちだけが長い時間残る。

天国などの明るい華やかなところではない薄暗い気味悪いようなところに

苦しいまま居続けなくてはならない。

 

人は誰でも役割を持って生まれてくる。

勿論生まれてすぐに病気で亡くなるということで生まれる命もあるが

それも上の世界では役割がある。

 

その役割を果たさずに自ら命を絶つのはやめて

寿命まで生きよう。

寿命はその人のこの世の中での役割が終わることを意味する。

 

困難を乗り超えることがこの世でのその人の役割のことも多い。

 

インディアンの有名な言葉で

「生まれてくるときは赤ちゃんは泣いているが、周りは笑っている。

死ぬときは本人は笑っているが、周りは泣いている」このようになるように生きよう。

 

長男長女の結婚、別に珍しい事ではない。

二人とも一人っ子の場合も多い。

 
奥様のご両親が亡くなった場合
娘一人しかいない場合、葬儀は勿論、亡くなった後
位牌を引き取ることになる。
 
仏壇がない家も多いが
ご主人の家の仏壇しかない場合
仕方なく奥様の家の位牌をその仏壇に入れるかもしれない。
 
しかしこれは絶対にやめていただきたい。
 
どうしても置かないといけない場合でも
部屋を分けてほしい。
 
狭いから、部屋がないから仕方なくはやめてほしい。
 
出来ればご主人側の位牌が家の中でも上座、正面から見て右(奥)
勿論ケースバイケースで一概には言えないが、こちらのほうが条件がいいだろう
という方にご主人側を置いてほしい。
 
明確な理由はない、手を合わした時にどちらに手を合わしているか?
わからないということもあるが、過去に問題のある方の家に行ってみると
妻側とご主人側の位牌が一緒に置かれていたり、
ペットの位牌が家の方の位牌と一緒だったり、
妻側の位牌しかなくご主人側の位牌がなかったり、粗末に扱われたり
ということがある。
 
奥様にとっては大事なご両親(実家)の位牌だから
大事にしたいというのは勿論わかるし、大事にしてほしいが
本来1つの家に複数の家の位牌はしない方がいい。
 
出来るだけ離していただきたいとしか言いようがない。
明確な理由はありません。
 
妻側のみ大事にするのもやめていただきたい。
 
逆に問題が多い場合、特にご主人や直系の男子に何かあるときに
仏壇に複数の位牌がないか?確認してほしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

今週、近親者が亡くなり通夜、告別式と初七日に参列してきた。

私は喪主ではなかったのであまり口出しすることもなく

微力ながらお手伝いさせていただいた。

 
その家は浄土真宗大谷派だった
檀家のお寺のお坊さんと喪主が相談し戒名が決まった。
私は決まった後に聞いた。
浄土真宗の戒名の頭には必ず”釋”の字が付く
その人の戒名は”釋”の字を入れて3文字だった。
 
ごく普通だと思うが今回はアドバイスができなかった。
現在その方のお墓には、亡くなった方のご両親と
病弱で結婚出来ずにお亡くなりになられた今回の方のお兄様
が既に墓に入っている。
 
良く長い戒名のほうが位が高くていいとか?
お坊さんも長い戒名を勧めるとか?
言われているが、長ければいいものでもない。
戒名と言わずに法名ともいう。
 
今回、既に墓に入っているご両親は二人とも5文字
若くして亡くなったお兄様は、可哀そうだということで
7文字もの長い戒名を付けてしまっている。
 
今回の方が3文字、非常にバランスが悪い。
 
長くてもいいのはすでに入っている方がみんな長い場合は
長い戒名でも構わない。
 
勿論、みんな短ければいくら生前ものすごく成果残し、活躍した人でも
合わせて同じ文字数が望ましい。
 
親よりも長い戒名にするのは良くない。
仮にものすごく偉大な方でその人だけ長い戒名にしてしまった場合
その子孫はもうこの人を超えることが難しくなってしまうし
あの世で自分だけ長いことで居心地が悪いはずだ。
 
今回の近親者の場合、親よりも短いが(その点はいいが)
同じ兄弟さんとのバランスが良くない。
だからこうしたらいいというのが私にも判断がつかなった。
極力、先祖がつけている同じ文字数にしたい。
 
戒名はあの世での名前なので俗名のままではこの世との縁が切れず上に登れない。
戒名を付けないというのは論外だが
戒名は得度したお坊さんしか付けることができない。
 
宗派により色々なルールがあり宗派により普通の長さの戒名でも長い短いがあるが
先祖とのバランスを重視してほしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

先ほど、またNHKでお墓を軽んじた内容の番組を見た。

 
時代やライフスタイルに合わせて弔いの姿は変わってもいいという内容だ
 
確かに本当に墓守の人がいないのであれば墓じまいも仕方ないだろう
しかし、子供に負担をかけたくないと遺骨を川に流したり、木の下に埋めたり、宇宙に飛ばしたり最後にはスマホ・・・なんと言っていいかわからない。
 
本当のお墓がお医者さんだとしたら、ニセ医者ではなくお医者さんごっこのようなお遊びだ。
 
いつも言うように亡くなっても無にはならない、上の世界に行って一から修業しなくてはならない。よほどの人でないと修行の結果上には上がれない。普通の人は本当に苦労する、悪い事をした人や犯罪者、強い恨みや自殺した人などは亡くなってからのほうが生きていた時よりも何十倍も苦しい。それを応援し、下から支え上げるのが子孫による先祖供養なのだ。
 
ときどき思い出してくれれば墓はなくても遺骨もどうなってもいい
というのであれば上に上がってからの修行が本当に困難になる。
上に上がれなければ苦しい、どうにかしてほしいと子孫にすがる。
子孫がいない人はずっと苦しい。
 
逆に上に上がった先祖は子孫の応援団になってくれる。
家運が上向き、子孫を要求する。結果家が続くことになる。
 
日本の国営放送があのようなことを紹介してはいけないと思う。
あまりにも間違ったことが正しいように見た人は思う。
 
今まで先祖は戦争や、飢饉、病気や事故、天災など様々な困難を乗り越え今の皆さんのために家を絶やさずに頑張ってきた。
 
墓じまいとはその先祖のご苦労をすべて終わりにする重みのあることだ
そうなる前(若いころ)から先祖に感謝し、家を継続することを考えるべきだ。
 
子供に負担をかけたくないではなく、最後ぐらい負担をかけてもいいではないか?苦労して育ててくれたのが親なのだ、親に感謝する気持ちがあれば負担をかけられてもお墓ぐらいの負担は大した負担ではなく
先祖が経験してきた苦労にしてみればたいしたことではない。