昨日、11月14日の日本経済新聞の1面のほとんどを使って、「マネーのまなび:多様化するお墓の費用の目安」という記事があった。
あるサイトを通じて購入した方が対象の調査結果で、日本全員の結果とは必ずしも一致しないと思うが、2014年には、一般墓の購入者が85%近くいた、今から5~6年前だ。2019年は一般墓の購入者は30%弱、1位は樹木葬の40%、納骨堂が30%弱、その他はおそらく海洋散骨や、手元供養ということだろう。
ある方は、「ペットと一緒に入れるから」と樹木葬を選び、「長年供養してもらえるから」と納骨堂を選ぶ、「お墓はお金のかかる厄介なもの」と考える人がここまで急速に増えているのに危機感さえ覚える。
私も、犬を飼っていたし、今は猫を2匹飼っていて家族のようにかわいがっているが、墓を一緒にしてはいけない。
飼い主と一緒に樹木葬にするなら(本人が”上”に上がれないので絶対良くないが)まだいいけれども、先祖の墓には絶対入れないでほしい。
ペットの供養以上に、親や先祖の供養をしっかりしないといけない。
供養の意味も分かっていない、お坊さんが事務的に、定期的にお経を何百人何千人の遺骨の前で上げることは本来の意味で供養になるだろうか?よっぽど本人が、毎日自分でお経をあげていてその意味まで理解しているのであればいいかもしれない。
本当の供養は、遺族や子孫が、亡くなった人のことを偲ぶ事
定期的に亡くなった人の人生(生き方)をリスペクトし、今の自分たちの存在を感謝する。それが年忌法要の本当の意味だ。
3回忌したから、7回忌はいいか?
7回忌したから、13回忌はいいか?(もしくは忘れる)
これではいけない。
供養が無ければ、自分で”上”に上がれない人が圧倒的に多い
以前も何回もこのブログで書いたが、亡くなった人にとって遺族の供養は必須だ、色々な困難は、”上”の声なきアピールと考えなくてはいけない。墓を見る人がいなくて、しょうがなく納骨堂に入る、(遺族がいないので)
誰にも供養されない、いつまでも”上”に上がれない。
お墓は、あの世との唯一の入り口、”聖地”だ。
だから私が推奨する墓相学の墓は、土になっていて自然にも還ることができる。かといって樹木葬は正式な墓ではないので、極端にはその辺の森に遺骨を埋めるのと大差がない。
昔は家の近くにお墓があって、おじいちゃんや、お祖母ちゃんが先祖についての苦労話をし、毎日仏壇に手を合わせ、定期的にお墓参りに行っていた。(生活の一部で、自然と供養になっていた)
だから、先祖も子孫を要求し、墓を守る人が常にいて”家”が続いていたが、故郷から遠く離れ、墓や仏壇は、古臭いダサいものになってしまった。いよいよ自分が入る段になって初めてお墓について考えるのだが、明らかに手遅れ、若いうちにお墓、先祖のとかかわりに気づき、先祖の力も受けながら生きて行かないと、しんどい。
おそらく、スポーツや文化、経済的に成功している人の多くは、(本人が熱心に供養しているか別にして)先祖の力を受けている。
そして亡くなった時も、先祖が”上”に引き上げてくれる。
私はそう信じている。