天国と地獄 | りえきーんのブログ

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こんにちは


今日は天国と地獄とは



神意識と地獄意識を分けるもの

についてのお話


簡単に地獄ってあるんですかに答えると

ありますが皆さんが思っているようなものではないかもしれません

なぜならこの今生きている空間にも
天国も地獄も存在します



そして地獄とは神さまが怖いところに私を閉じ込める訳ではありません


じゃー何?


簡単に言うと

地獄は固定観念からくる罪悪感でできています
自分で自分を縛りそこから出れなくなっている状態です



神さまはそれを見ていることしかできません
自分で出てくるしかないんです


それはひとえに思い込みを捨てその呪縛から自分を解放するしかありません

自分で自分を縛っていることに気づくしかないんです
それを助けてくれるのが神さまのメッセージなんです



例えば


仕事終わり疲れてラーメン屋に入ったとします




しょっぱいラーメンが出てきました

しょっぱいラーメンを塩辛いなぁと仕方なくなく食べる
塩分体に悪いんだよなぁとイヤイヤ食べる
これは地獄意識です

まず塩分が体に悪い
これは社会的固定観念です
それでもそれを信じるなら
スープを残せばいい

そこで残すのは悪いんだと言うのも又固定観念

神意識への移行の道を自分で絶ってしまいます

そして最後には作った亭主が悪いんだと怒りに変わり
もう地獄意識一直線です


そこで
しょっぱいラーメンが出てきた
もしかしたら亭主が疲れている私を見て敢えて塩分を多めにしてくれてのかなぁと捉えることが出来れば
これは神意識です



しょっぱいことより愛を受けとっている状態です

 
要はしょっぱいラーメンが出てきたこれは同じでも
それをどんな視点で見て捉えるかです

否定的な思考に囚われそこから出られない
これが地獄の状態です




恋愛でも相手が好きだよと素直に行っているのを

ありがとうと受け取れば神意識
そんなことわざわざいうなんて浮気でもしてるんじゃない?少なくとも元彼がそうだったとよくない固定観念で受け取れない状態になるのが地獄意識


天国も地獄も同じ空間に存在します

どちらの世界を見て生きるか
これがどちらに行くかなんです

固定観念は物事の本質を教えるものではありません
物事の一面を写すだけです
相手や状況が違えば必ず変わります



ひとつの概念に縛られるということは
地獄に縛られるリスクが大きいということです


人は罪悪感を持っています
自分の道を進むとき自分を信じていないと必ず湧いてくる感情です


空腹の人に飴をあげても勝手にあげては良くなかったかなぁと思えばそれさえ罪のように思ってしまいます

けれどその飴を愛を待って渡したのだ、あと食べるか食べないかは相手次第だしねと言い切れると罪悪感は湧いてきません



自分の行いの理由が愛であると自信をもち
自分の行いに自信を持つ
そして固定観念を柔軟に捉えることができれば
そもそも地獄意識を持つことはありません



地獄は自分が作っています
悪いことすると地獄に送られることはありません
そんなジャッジを神様はしてません


じゃ悪いことした人は?という人がおられますが
それは又別の因果の法則で全て例外なく本人に帰ってきます


そしてそのことで地獄を作り出すかどうかは本人次第ということになります
宇宙の真理は単純です




誰でも自由という美しい天国を飛び回ることができます



そんな事実をもっともっと皆様に知ってほしいというブログでした☘️



本日もお越しいただきありがとうございます☘️