親愛なる先生へ

今日は、昨日のお手紙で予告した、「かかせないよな、と思ってることがら」について書いてみます。

それは、何かにつけて頭をもたげてきてしまう「かわいがってほしかった」という気持ちのこと。
先生のような、(わたしからすれば)ほんとうに幸せな(ようにみえる)ひととだったら、これを、なんとかできるのではないか、と思えてならないのです。

もっとも、幼少時にわたしの周りにいた年長者たちにしてみれば、「かわいがっていたにきまってる」って言い分があることでしょうね。
だけど、真に「かわいが」られていたのならば、今の状態のように、ここまで「自分が悪い」なんて思いつめたりしなかったのでは……と思えるのです。
大体、心から幸せであるひとでないと、「かわいがって」るつもりでも、無意識のうちに「嫉妬」や「うっぷん晴らし」になってたりするのでは……なーんて。

次回以降では、こういうことについて、もう少し詳しくみていくことにしますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ

昨日のお手紙に「心」「宝物」といった用語が出てきましたが、いったいこれらが何を指しているのか?

これまでを振り返って、ぱっと思いつくのは……。
・ 1月26日のお手紙などに出てきた“ほんとの話”
・ 3月10日のお手紙に出てきた「わがまま」
といったところでしょうかね。
(もっとあったりして!? だったらすみません。)

いずれも、ずっと自分には無縁だったがゆえに超ニガテな分野。
無縁っていうか、とにかくムリヤリ押さえつけてた、って感じだろうけど。
だから、先生と一緒に、徐々にみていけたらな、と。

ところで、先生と一緒にいられる(言うまでもなく心のなかで、ですが)となると、かかせないよな、と思ってることがらがあります。
とはいえ、その続きは、また次回以降に。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「『いい意味で空気を読まない』って、詳しくはどういうこと? 」というのを“宿題”としてたんですけど……そんなの、すぐになんて、導き出せっこありませんよね(汗)。

 

なので、今日のところは、ちょっとでもヒントになりそうな言葉の紹介をば。

 

「お前の心があるところに、お前の宝物が見つかる、ということを憶えておくがよい。そこにたどり着くまでに学んだすべてのことが意味を持つために、おまえは宝物を見つけなければならないのだ」
 
 
この、「心があるところに、宝物が見つかる」という箇所に、「ほんとそれ」と感じているところだったりするのです。
だって、昨日までのお手紙から、「他のひとのいってることは、あてにならない」ってなっちゃったんですよ?
てことは、外部からの知識全般からして、同様でしょ?
だったらもう、頼みになるのは、自分の心くらい、ってことになっちゃうじゃないですか。
 
さて、このつづきは、また次回以降にしますね。
 
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
 
親愛なる先生へ

なんか、このところ書いているお手紙のことを考えるにつけ、他のひとのいってることは、ほんと、あてにしちゃダメなんだなあ、と思ってしまいます。

まあ、小さい頃は、どうしても、あてにするより仕方がなかったんだけど。
でもそれって、振り返ってみれば、けっこう無謀な行為だった、ってことなんですね。

だから、これからは、言ってみれば、「いい意味で空気を読まない」みたいなことが、重要になってくる、って感じでしょうか。
ちなみにソレ、先生は、ごく自然に出来てらしたように思うのです。

とはいえ、それって、詳しくはどういうことをさすのでしょうね!?
これを考えるのを、次回までの宿題、ってことにするようにしましょう。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「これまで言われたり教わったりしてきたものの方が、間違っていた、すなわちウソ。」だったのではないか、と書きました。

 

むろん、そんなこと言い切っちゃうと、これまで自分に対して様々なことを言ってきたり教えてきたりしたひとたちを否定することになり、失礼だ、ってことはわかってます。

 

もっとも、なんか主観的にすぎないですが、とおーい記憶に、なんかこんなようなことがあったんじゃないかなー、というエピソードがあるんです。

例えばですね、以前はわたしは自分のことをいわば善だと思ってた、というか、欲しいものを持っている、っていうか、そういう気分だったんです。

それなのに、なぜかそれをことごとく否定された。否定されるいわれは全く思い当たらなかったというのに。

 

それって、以下に引用するような文に似た状況なのかもしれないな、と思うのです。(ちょっと分かりにくい引用ですみません。)

 

明白なのに、そこを敢えてというからには、私の理解ではまだ及ばない、確たる根拠がそこにあるということ?
…(中略)…
きっぱりと言い切る表情、口調、声等の態度と、それを聞いている人たちの間に何ら不協和が見受けられなかったこと、そういった「それ…(中略)…を当然とする場の雰囲気」

 

違和感のもと|矛盾の発見

 

思うに、何かが「無い」のが明らかなのを、ひとから「無い」と指摘されたとしても、それは“ふつう”なんです。とくに何とも感じずに済む。

だけど、何かが「有る」とはっきりしているのに、それを「無い」と指摘されるのだったら? めっちゃ混乱しちゃうんじゃないでしょうか?

わたしが、ずっと悩んでいたのは、もしかするとこういう背景があったのではないのかなー、なんて。
 

それでは、また。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより