親愛なる先生へ

えー、昨日のお手紙での「宿題」ですが。

結論としては、なんというか、「割り切りが肝心では」と考えたんです。

だってですよ。
昨日のお手紙によると、「それが絶対に本当か」なんて、限りある人間の身にはわかる術が無いんですよね。だったら、本当かどうか気にするなんてムダかも。それより嘘でも気分いい考え方の方がマシだ、となるのでは? なんて。

大体、4月13日のお手紙のとおり、自分は「コミュニケーション能力は完全に破壊され」ていて、
ただでさえ、様々なことがらに、自信ってものが持てっこないでいるのだから、ね。

では、今日のところは、これで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ


このところのお手紙の流れは、なんだか哲学的かもですが、「嘘」とは? とか「本当」とは? とかになっちゃってるんですよね。

 

そこで思い出したのですが、そういえば、つぎのような記事があったのでした。

 

5分でいい気分になれる講座◎★バイロン・ケイティのワーク「苦しみの終わり」


この中にでてくる、

「それが絶対に本当だと、あなたに分かるのでしょうか。」

という一文。

コレ、つくづくすごいと思うんですよ。

どうみても本当でしょ! と思われるようなことがらでも、「絶対に本当? 」と畳み掛けられると、とたんに自信がなくなってくるんだもの。


だったら、どうすればいいのか? 

例によって、次回までの宿題にしますね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ

昨日のお手紙で、「『嘘』ならば、何を考えたってOKなはず」と書いたのですが、この「嘘」ってこと、そういえば4月1日のお手紙とかにも書いてたんですよね。

そのときの論調は、「嘘」なのは「これまで言われたり教わったりしてきたものの方」なのではないか……というふうでした。
そして、つぎに4月4日のお手紙では、「頼みになるのは、自分の心」だ、と。

それだっていうのに、昨日のお手紙では、その「自分の心」について、ほんとのところを打ち明けようとするには、前置きとして、「嘘なんだから」としなきゃ、と。

これって、もうすっかり、何が「嘘」で、何が「本当」なのか、混線しちゃってる状態なのだったりして!?

ちょっと次回までに、考えてみることにしますね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ


えー、このところのお手紙、いちいちこんなフレーズがでてきちゃってるんですよね。

「模範的っつーか、褒められた話ってのではない」


コレ、なんかどーも気になっちゃってたんですが、それを解消できるかもしれないような考え方があったんです。


それが、こちらのブログ記事。


なんでも全て無意味! だからなんでも全てOK! | 自分全肯定!幸せエクササイズ・Luminareo

 

この記事の中に、「Wikipedia にもちゃんと書かれてる」ってくだりがあるのが、信憑性があっていいなあ、と。

(だけど、そのWikipedia に書かれてること、ヒジョーにわかりにくいのだけれど。)


それはさておき。

このブログ記事の内容を、このところのお手紙にあてはめるとすると、このところ出てきている「理屈じゃない」ってやつは、すなわち、いわば「嘘」だ、ってことが前提となっているわけだから、その上でならば、何を考えたってOKなはずだ、と。

だったら、そんなに「模範的っつーか、褒められた話ってのではない」なんて気にすることはないのかもな……なーんて。


それでは。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ


昨日のお手紙に書いたようなことを用いれば、4月8日のお手紙の、「『心のなかで』っていうのは、なんとも頼りない」ってやつへの、対処法になるんじゃないかなー、と思うんです。


そりゃまあ確かに、「心のなかで」っていうのは、なんとも頼りないし、どうしても、現実に負けちゃう。
だからといって、あきらめちゃうってのは、昨日のお手紙で述べたとおり、「いちじるしくバランスを欠いてしまう」んだから、「理屈じゃな」く、堂々と、「心のなかで」いいから、やっちゃえ! ……と。
(どうしても、模範的っつーか褒められた話ってのではないってのは否めないのですが、もちろん。)

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより