親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙にて、「『親だからこそ、こんなに心配してやってるんだ。』というふうに言われると、自己嫌悪がひどくなる」というようなことを述べたのですが……。


いったい、なんでそうなるのか、について、「『心配』のカラクリ」ということで、こんなふうに書いてある文を、ネットで見つけました。

 

子どもに心配ばかりするということは
暗黙のメッセージとして

 

「あなたにはやる力も、判断する力も、乗り切る力もない」
「あなたは危険なこの世界でやっていく力を持っていない」
「あなたを支えるような存在はこの世界にはない」

 

と言っていることになります。

 

無力で、脆弱で、翻弄されて、
そのままではダメになって死んでしまう存在。

 

そういう存在として、子どもを定義していることになります。

 

その子自身の力を信頼できないのです。
その子を支える世界の力を信頼できないのです。

 

期待も心配も「愛」ではない | 自分にOKを出して前に進む!

 

なるほど! こんな「暗黙のメッセージ」なのだったら、自己嫌悪に陥るのは、至極当然の反応だった、ってことですよね!? 

だとしたら、「心配ばかりする」のって、昨日のお手紙に書いたように、「すごく見せびらかしながら恩着せがましく」するようなことでもないような気がしてきますが……。


まあ、なにはともあれ、今日はこの辺で。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に「否定」と「心配」とが出てきて、「ハッキリ言って同じ」なんて言ってしまいましたが、考えてみたらこの両者は、使われ方において、けっこうな違いが見受けられますよね。


まず「否定」については、こんなのあからさまにやったりしないですよ普通。あとになって振り返って、気づくって感じで。

でも「心配」の方はというと、すごく見せびらかしながら恩着せがましく使われますよね。

「親だからこそ、こんなに心配してやってるんだ。誰々ちゃんちのお母さんなんか、心配してくれへんに。」とかなんとか。


だけど、そういうふうに言われると、決まって自己嫌悪がひどくなっちゃうんです。

そして、なんか追いつめられるっていうか、逃げ場がなくなりますよね……。


さて、この続きは、また次回以降に。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙では、少しずつわかりかけているようなことを書きましたが、そうはいっても、わたしにとってはけっこう難しいことではあるので、今日は違った言い方での記述を紹介することにします。

 

この親は”子どものため”だとか、”子どもが心配”とかいいながら、結局自分が”親としてお前のことを心配してやってるんだ”、という、”親として機能している私を認めろ”という自分の承認欲求を満たしたいだけなのではないか
…(中略)…
「私はお前たちのことをこんなに心配しているのに」というニュアンスのことを言ってきたら、まず間違いなく親自身が承認欲求に飢えているか、あるいは親としての自分にコンプレックスを抱いていると考えてOKでしょう。

 

親の皆様へ。子どものことを心配しないで信頼して下さい。|未経験から始めるIT・Webマーケティング

 

上記の文では、「否定」ではなく「心配」となってますが、ハッキリ言って同じことですよね。

「心配」っていうのも、その心配している対象を否定的にみているがゆえに、不安だったり落ち着かなかったりする、って感じですもの。


では、今日はこの辺で。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の流れからすると、要するに、「誰かが否定ばかりしてくるのは、そうすることが、その誰かにとって都合がいいから」ってことになるんでしょうかね。


もっとも、その、否定ばかりしてくる誰か本人としては、そんなこと絶対に認めないことでしょうけど。だってもし認めちゃったら、そうとうみっともない・きまり悪いことになりますもの。


それもあるから、でしょうけど、なんてわかりにくいんでしょうね!? 

じっくり考えないことには、混乱してきちゃう。

でも、考えていくうちに、だんだん、『自分ばかりが悪いと思ってたけど、そんなことはないのかも……? 』って、少しずつ、霧が晴れるように思えてくる予感がするようです。


それでは、また。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙では、ちょっと話が脱線してしまったようなので、話を戻しまして……。

 

6月9日のお手紙に、こんなふうに書いていたんですよね。

 

わたしの幼少時に周りにいた、親をはじめとする大人たちって、わざわざ「否定」ばっかりしていたってことなのかなあ、と思えてくるんです。

まるで、そうすることが、教育上ずばり望ましいことなんだ、とでも言わんばかりに。

 

これって、なんでだろう? と思っていたのですが、可能性のひとつではないか? と思われる記述を見つけたので、紹介しますね。

 

否定ばかりする原因のひとつとして、親の自尊心が関係しています。

 

子どもを否定するということは、子どもはダメだ、まだまだだと思っている状態。
それを続けているのは、こどもがダメであり続けることで親の何かが埋められている可能性を

考える事が出来ます。

 

その何かが、親の自尊心です。
この子は私が居なくてはダメだと思うことで、親子関係の中に存在意義を見出せていたり、
自分の方が優れていると感じられることで自尊心を高めているケースがあります。

 

否定ばかりする親の原因と影響

 

もし、この通りなら、「そんな親の都合なんて知ったことか! 」て感じですよね。

それだっていうのに、自分はずっと「自分が否定されるのは、教育上ずばり望ましいことなんだから……。」って思い込んでいたなんて。

なんか、けなげだったんだなー。

 

それでは、今日はこのへんで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより