えーっと、ハッキリ言って意味不明だったんじゃないかと思われる、昨日のお手紙の説明をしてみますね。
まず、これまではですね、とくに幼少時とかは、もっぱら親とか周りの大人たちの言動にもとづいた“善”“悪”だったわけですよ。
ところが、それこそ7月17日のお手紙によると、どうやらそれは逆転しちゃってる恐れあり、となったんですよね。
で、現時点で、パッと思い付くものについて、ちょっと述べてみますと。
これまで、さんざんされてきた、「否定」っていうのは、完全に、「何かが足りないとか、欠乏しているとか、限りがあるとか、そういう要素」。
すなわち“悪”ということにした方にあてはまっちゃう、てことですよね。
つまり、そんなのに、従わなくっていい、むしろ従うべからず、てことになる、と……。
さて、次回以降も、この続きをやろうと思います。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
昨日のお手紙で書いてしまった、「逆転していない善と悪の基準を確立すればいい」、なーんていう、無謀(?)なコト。
『そんなの、一朝一夕でなんてできっこないじゃん! 』と思いつつも、少しだけ考えてみました。
えーと、これは「一例を挙げれば」ってことですが。
5月1日のお手紙に書いたこういう仮説。「何かが足りないとか、欠乏しているとか、限りがあるとか、そういう要素」。
これを“悪”という基準にする。
そして、5月2日のお手紙に書いた、「時間もお金も体力も、もうありとあらゆるものが無限にあって、どれだけでも好きなだけ使える」。
こういうのを“善”という基準にする。
……とかっていうのは、いかがかな? と。
まあ、これっぽっちじゃ、ぜんぜん意味不明なことでしょうから、次回以降に続きますね。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
昨日のお手紙では、なんかまたいちゃもんつけてしまって、そろそろこんなパターンから抜け出したい……というようなことを書いたんですよね。
とはいえ。
「いちゃもんつけ」については、確か2月15日のお手紙でも考察してたと思うのだけど、手っ取り早く言っちゃうと、わたし、「いちゃもんつけが“善”であると無意識に思い込んでる」ってことなんじゃないかしら。
ちょうど、
It's not your fault: 虐待を生み続ける「善と悪の逆転」
で述べているみたいに……。
(もっとも、わたしの場合は、ここまでハッキリとした、いわゆる虐待を受けてたわけではないと思うのだけど。)
てことは。
もういい加減「こんなパターンから抜け出したい」のであれば、逆転していない善と悪の基準を確立すればいい、てことなのかな?
ちょっと、考えてみることにしますね。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより
昨日のお手紙で書いたことについて、最後の方で「異議あり(?)」なんて付け加えちゃったんですけど。
なんのことはない、ただの嫉妬みたいなもんなのかも。
というのは、ご多分にもれず、「生き生きする」っていうのが、やろうとしてもうまくできないから、なんです。
そりゃそうですよね、ずっと我慢させられてばっか、否定されてばっかだったんだし。
我慢や否定って、もしかして「生き生き」の対義語!? ってくらい、相容れないんじゃないかしら。
それにしても……。
どんないいコト書いたとしても、いちゃもんつけまくってしまう、というこのパターン、そろそろなんとかして抜け出したいもんなんですがねぇ。