親愛なる先生へ


昨日のお手紙のラストのところに、「ちょっと意外だった」と書いたのですが、なんでだったのか、ちょっと検証してみます。


まず思い付くのは、昨日のお手紙の中にあった「開拓」って言葉について。

だってこれって、なんかエネルギー有り余ってて溢れんばかりになってるって印象じゃないですか? (いや、そうとも限らないのかな? それはまあ、置いといて……。)

だけど、こちらの実感だと、まるで逆なもんだから。


つまり、こちらの場合といったら、ですね。

「みんなと同じに」なろうとしたあげく、くたびれ果てちゃった、って感じなんですよ。

それで、『こうまでして「みんなと同じに」なろうとする価値あるのか? 』って思うようになっちゃったのかも。


……アレ? となるとこれってじつは、「みんなと同じになりたくない」ってことにならなくなっちゃうのかしら? 

ちょっとわかんなくなってきたので、少し時間をおいて考えてみることにしますね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ


昨日のお手紙に書いたような、「みんなと同じになりた」 いか否か、というようなことを考えていたところ、つぎのようなブログ記事をネットで見つけました。


「人と同じがいい人」と「人と異なるほうがいい人」がいる理由。それは人類の維持と発展のためである。 - ジブンライフ

 

この記事のなかには、こんなふうにあるんですよね。

 

外向型を社会維持型、内向型を境地開拓型

…(中略)…

社会維持型は「人と同じがいい人」、境地開拓型は「人と異なるほうがいい人」

 

これによると、わたしみたいなのは「人と異なるほうがいい人」なわけだから、「境地開拓型」すなわち「内向型」となるんですよ。


たしかに、わたしずっと、自分が内向的だと自認してたんですけど、それにしても、「内向・開拓・人と異なりたい」というのが、言葉は異なるけれど指している対象は同じだったなんて! 

ちょっと意外だったりします。


さて、この続きは、また次回以降に。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に唯一無二性」 なんて言葉を持ち出したのですが、あらためてみてみたらコレ、漢字ばっかりで堅苦しいですかね!? 


なので、昨日のお手紙の中で引用した部分のうち、今回はつぎのくだりに着目することにします。


先生というのは、
「みんなと同じになりたい人間」
の前には決して姿を現さない

 

【よぶこえ】第981号「思いこみの誤解」2014・8・4 - よぶこえ(中村清志オフィシャルサイト)

 

思うにわたし、「みんなと同じになりた」くないんです。

世間で話題となっていることとかを、どうしても醒めたまなざしでみてしまう、っていうか……。


一方で、親とかはきっと、「みんなと同じ」であってほしかったんでしょうね。

そのことについては、これまでのお手紙でも、例えば「社宅住まいだったから(6月1日)」「一応教育関係者だったから(6月9日)」などと、考えられる要因をあげてきましたけど。


きっと、こういう

「みんなと同じはイヤ」→←「みんなと同じになれ」

みたいな構図も、堂々巡りの一因になっていたのかもしれないですよね。


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に書いた「堂々巡りの構図」に対して、どうするか、ということですが。

ここらでちょっと、原点回帰といいますか、1月3日(お手紙形式にする直前)に書いた、「下敷きにしている書籍」に、ヒントがある気がするんです。

ちょっと引用しますね。

 

  私たちが学ぶのは、
  万人向けの有用な知識や技術を習得するためではありません。
  自分がこの世界でただひとりの、
  かけがえのない存在であるという事実を確認するために、
  私たちは学ぶのです。

  私たちが先生を敬愛するのは、
  先生が私の唯一無二性の保証人であるからです。


  …(中略)…


  先生というのは、
  「みんなと同じになりたい人間」
  の前には決して姿を現さないからです。

  先生は、
   私がこの世に生まれたのは、
   私にしかできない仕事、
   私以外の誰によっても、
   代替できないような責務を果たすためではないか・・・。
  と思った人の前だけに姿を現します。

 

【よぶこえ】第981号「思いこみの誤解」2014・8・4 - よぶこえ(中村清志オフィシャルサイト)

 

このなかで、とくに注目したいのが、 「唯一無二性」 というところだったりします。

というのは、昨日のお手紙のような、「にっちもさっちもいかなくなってる」状態ってのは、はたからみると全くなんにもしてないのと同じだ、っていうのが、なんともイヤだったんですけど、そこにこの 唯一無二性」 という発想を持ち込んだら、なにか新たな可能性がひらけて、希望のようなものが持てるのかな……なんて。


まあ、なにはともあれ、続きはまた次回以降に。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「根が深い問題になってるような気がしてきちゃった」と書いたわけは、なんだかはっきりいって、またいつもの堂々巡り状態が出現しそうな予感がしたからなんですよね……。


なので、現時点で編み出せる、「堂々巡りの構図」的なものを、ここでいったん押さえておこうと思うのです。


その構図とは、端的に言って、つぎのふたつが互いに矛盾を起こして、その結果にっちもさっちもいかなくなってる、てことじゃないかしら。


(1) 「お姉さんなんだから」などと気持ちを否定される→憎しみ・キライという感情

(※ 書かれたお手紙は、例えば2月4日のもの)


(2) なにもわからない(モデルがないので)→コワイという感情・周りのいいなりになるしかない

(※ 書かれたお手紙は、例えば7月23日のもの)


で、これらに対してどうするか、という考えも、ある程度は思いついてはいるのですが。

それについては、また次回以降にすることにします。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ