親愛なる先生へ


昨日のお手紙の最後の方で、「イイコにするというのは、迎合では? 」というようなことを書きました。


ここで思ったんですが、こんなふうな“イイコ”というのは、どうも下心ありありというか、動機が不純というか……。

ともかく、相手側にとっては、あまり心地のよい態度ではありえなさそうですよね。


それだけならまだしも、ひょっとしたら、こんなこともいえるのかも。

“イイコ”にする、というのは、じつは相手を見下す行為なのではないか、と。

つまり、「相手はこちらの至らなさに寛容になってくれるような懐の深い人物ではない」と言ってるようなものだもの。

……なんかこんなふうに書いていると、恐ろしくなってきちゃったりして。


とりあえず、この続きは、また次回以降ということにします。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ


昨日のお手紙での論調は、たしかこんな感じになってたんですよね。

「『気エネルギー』とか、『生き生き』とかは、善悪とか、正誤とかいった基準みたいなものとは相性が悪い」というような。


思うにわたし、どーしてもこの「善悪とか、正誤とかいった基準みたいなもの」を無視(?)することが、なんていうか、コワいみたい。

まあ確かに、例えば3月16日のお手紙に、「規範意識」について書いたりしていたくらいですものねえ。


で、またちょっと、思い付いたのですが。

例えば4月6日のお手紙や、4月23日のお手紙なんかに、「かわいがられなかった→愛されなかった」、っていうようなことを書きましたでしょ。

「善悪とか、正誤とか云々」にこだわってしまうのは、そのせいなんじゃないか? なんて。

いわば、『普通にしてたら愛されないんだから、せめてイイコにしてたら愛されるはず。』

とかなんとかいう心の動きがあったりしたのかも。

だけどそういうのって、3月4日のお手紙にも書いた「迎合」にあたるといえそう……。


まあとにかく、今回はこの辺で。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、こんなふうなことを書いたのでした。

「例えば『気エネルギー』とか、『生き生き』とか、そういったものが自分の気持ちの中にわいてくるのかどうか、という感覚で判断する」、と。


だけどコレ、こういっちゃあなんだけど、「言うは易く行うは難し」、なんですよねえ。

だいたい、「気エネルギー」とか、「生き生き」とかって、ハッキリいって想像の中で体験(?)してばっかりなんだもの……。


もっとも、現時点でパッと思い付く事柄レベルで述べるとなると。

この気エネルギー」とか、「生き生き」とかってやつはきっと、いわば善悪とか、正誤とか、そういった基準みたいなものばっかりみていたりしては、遠ざかっていっちゃうんじゃないかなー、と。


まあ、もうちょっと、考えてみることにしますかね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「他の感覚」なんて書きましたけど、それ、まだ説明してなかったですね!? 


まあ、昨日のお手紙には、「目に見えない以上、他の感覚で判断するしかないのでは? 」などと書いていたのですが、じつをいうと、「目に見えない」どころか、いわゆる五感にあたる他の感覚にだって、感じ取れやしないんですよ。


じゃあ、いったいどうやって判断するのか? 

例によって仮説ですが、思い付いたことがあります。

それは、今まで書いてきたものでいうと、例えば7月12日のお手紙の「気エネルギー」とか、7月15日のお手紙の「生き生き」とか、そういったものが自分の気持ちの中にわいてくるのかどうか、という感覚で判断する、ということ。


なんかまだ、わかりにくいですかね? 

でも、この続きは、また次回以降ということで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、こんなふうな問題提起をしました。

「『もっとひろく大きくて、何ていうか高次元の共同体』って、とにかくパッと見には、目に見えないんだし、わかりづらい。

そのへんのところを、どうしたらいいのか? 」と。


で、考えたところ、現時点でいえるのは、「目に見えない以上、他の感覚で判断するしかないのでは? 」ということです。


この、「他の感覚」を説明する前に。

わたしずっとどうやら、自分の存在そのものが、なんか間違いなんじゃないかと思ってきたみたいなんですよね。

自分を根本的に変えないことには、そもそも誰かから受け入れられっこないんだ、と。

だから、常に気が抜けなくって。それで、すぐにくたびれちゃう。


だけど、もっとひろく大きくて、何ていうか高次元の共同体」にいる場合だったら、そんなふうになることが一切無いんじゃないか。

どんな自分であろうと、もう思いっきり全肯定! っていうふうなんじゃないか。

というような気がするのです。


ではでは。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ