横浜市「こどもの国」の歴史と鴨志田家 | 前目黒区議会議員 鴨志田リエ オフィシャルブログPowered by Ameba

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 戦後70年の今日、横浜市青葉区奈良の本家の墓参りの道すがら、86歳の父は戦中・戦後を語った。
 終戦の日はひどく暑かった。天皇陛下の玉音放送は、おんぼろラジオから途切れ途切れにしか聞こえなかったが、戦争が終わったことは理解できた。日本が負けるとは思っていなかった。
 軍国は恐ろしい。獲れた作物は国が召し上げ、食べる物が無かった。物資不足を補う金属類回収令で鉄砲3丁も刀も召し上げた。寺の鐘も召し上げられた。
 現在の「こどもの国」に江戸時代以前から鴨志田の本家があったが、昭和14年に強制的に軍に接収され、その土地は弾薬製造工場となった。
 標的である軍需工場めがけた爆撃は多く、戦後は米国の不発弾の処理に苦労した。敗戦後は田奈弾薬庫として米軍が接収し、弾薬は米軍が列車に積み込み廃棄した。
 
 この土地は昭和34年、皇太子殿下(現天皇陛下)のご成婚を記念し、日本に返還され「こどもの国」になった。
 私が子供の頃の「こどもの国」には防空壕があちらこちらにあったが、今はどうなっているのか。

 親族で墓参りの後、本家の居間で戦争映画を見ていると、姪の子どもが「どうして血が出ているの?」とテレビ画面を指した。
「今日は戦争が終わった日なのよ」と私が答えたが、5歳児には戦争が理解できない。

 終戦から70年。平和を当たり前と思っている世代が大半だが、戦争を知らない私達も「負の歴史」と謙虚に向き合い、平和国家として歩み続けなければならない。



甥っ子・姪っ子の子供達。
ドイツの教科書には負の歴史が詳細に記されている。
日本は歴史教科書を見直し、今ある平和の尊さを学ばせるべきではないでしょうか。



子供の笑顔が溢れる本家が経営する奈良幼稚園のプール。
本家で戦中を知るのは父だけとなった。