鴨志田が政治家になった理由とこれまで | 前目黒区議会議員 鴨志田リエ オフィシャルブログPowered by Ameba

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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

祐天寺で除夜の鐘を聞きながら、新年を迎えました。
急に強い木枯らしが吹き始め、地元の烏森神社へ移動し参拝しました。



私が政治家にならなければ、ブログを書くことは無かったので、先ずは、私が政治家になったきっかけを年初に書かせて頂きます。

高校時代から私の周りは政治家の子弟が多く、ファミリー付き合いをしていた大物政治家一家を見て「政治家の妻にな絶対にならない」
と思っていたので、42歳まで自分が政治家になるとは想像していませんでした。

ウエディング会社で海外ウエディングのマーケティングをしていた私に「目黒区議会議員の補欠選挙に出馬しませんか?」
と、当時、民主党都議会議員だった青木英二氏(現目黒区長)の友人を通じて声が掛かりました。(青木氏の縁で私は民主党に所属しました)
政治家が大変なのは見ていたので、勿論断りました。
たぶん良い候補者が見つからなかったのでしょう、数ヶ月後に「出馬しませんか?」と再度の要請がありました。

私はサラリーマンタイプではないので、美容かアートかウエディングで独立する予定でした。
区議会議員になることも独立と同じ、母は出馬に大賛成、父は反対でしたが、生まれ育った目黒に尽くそうと決意しました。

朝の駅頭演説をして会社へ出勤し、私の後任が見つからず、選挙の1ヶ月前まで会社勤めしていたので、それはそれはハードな日々でした。
ポスターを剥がされる嫌がらせや、謂れのない噂が立ったりと、選挙の醜い部分も経験しつつ、2002年10月に民主党公認で初当選しました。

半年後の翌03年4月の本選挙で2期目当選。
04年3月の本会議中に、薬師寺前目黒区長が自殺。
04年4月の目黒区長選挙で青木英二氏が自民・公明が推す候補を破り初当選しました。
青木氏を推したのは民主党だけだったので、私が所属していた民主党系会派・目黒区民会議は少数与党ということで、政治的に色々とありました。

そして、目黒ショックと言われた区議会の政務調査費問題が連日テレビで取上げられ、議会として、いかに説明責任を果たし改革するかで奔走しました。
この間の政治経験はとても濃く勉強になりました。

青木英二氏が区長に転身したため、目黒の民主党都議が空席となり、私は都議選に手を挙げましたが、手塚よしお衆議院の元秘書で当時、目黒区議だった伊藤さんが選ばれました。

07年4月に3期目当選。
この4年間の任期中に副議長1年と目黒区監査委員を2年間務めました。

11年4月に4期目当選。この2ヶ月前に母が急逝しました。
1年目は民主党系会派・刷新めぐろの幹事長を、2年目は4度目の目黒区監査委員を務めました。
監査委員は目黒区が年間に使う約1350億円のお金の流れをチェックする他、各施設や団体も監査するため、目黒区が持つ施設は全部回りました。
4年間の監査委員経験で地方自治や法令、役所の仕事とお金の流れを学んだ事は貴重な経験でした。

13年6月に東京都議会議員選挙に「女子の出番」挑戦しました。
都議に、という亡くなった母の願いと、父が大賛成でした。
当初、無所属の予定でしたが、憲政史上初めて女性が作った政党「みどりの風」から強い要請があり、みどりの風公認で出馬しました。
無謀だ、との声も十分承知でしたが、過去2回の都議選で出馬の手を挙げつつも断念した経緯もあり、挑戦しないことで悔いは残したくない。
年齢的に今でしょ!挑戦なくして成長なし!
結果は落選でしたが、自分の決断ですから挑戦に後悔はなく、前向きに進むのみ。
この落選のお疲れ様会は5ヶ月間続きました。
温かい支援者の方々に心よりの感謝を申し上げます。

その年の夏は15年ぶりぐらいにゆっくりし英気を養いました。

そして、10月に37年来の友人とアデッソデザイン合同会社を設立し私が代表に就きました。
私は美容と不動産コンサル部門、友人の副代表は商業内装・リフォームの大ベテランで、昨年14年11月に別会社を設立し、友人が代表取締役、私が専務取締役に就き、建築業の許可を取得しました。
といっても零細企業なので一人何役もこなしています。

さて、昨年の私の重大ニュースは根室市長選挙の挑戦でした。

根室という美しきまちの民主主義を求めた旅だった。
が、心情ですが、この市の民主主義には魔物が住みつき、市長選挙に対し根室市選挙管理委員会に異議申出をしたので、民主主義を求めた旅は続いています。

異議申出の棄却後、北海道選挙管理委員会に「根室市長選挙における選挙の効力に関する」審査申立をし、この申立に対し根室市選管が弁明書を提出。
この弁明書に対する反論書を、この暮れから正月に書き上げ、昨日、北海道選管に郵送しました。
結論は今月には出ると思います。

根室市長選挙の経緯については次回のブログで報告します。



横浜市青葉台の鴨志田本家に父と新年の挨拶に行きました。
親族が集まる正月2日は、雨に降られた記憶が無く、今日も晴天で富士山がくっきりと見えました。
写真は、父と本家を継いだ従兄の長男とその子らと。
いとこの孫は従姪孫(じゅうてっそん)と呼ぶのですね。
7人の従姪孫を交えた笑顔が溢れる新年会でした。