『カルト村で生まれました』の続編、第二弾。
思春期から村を出るまでの期間の記録です。
著者の時代のこの共同体では、子どもたちは義務教育までは外の学校(いわゆる一般人が通う小学校・中学校)に通いながら村の仕事をし、それ以降は村専業になるか、或いは村から出て外の世界で進学するかになります。
村から出る気のなかった著者は中卒で村に留まります。
中卒年齢になると居住地の変更が行われます。
著者は‘本部’に転居しました。
‘本部’には大理石の大きなお風呂だとか華美で贅沢な施設があったようです。本部には潤沢な食料品もあり、支部にいた頃のように飢えることもなくなりました。
お金を不要とし貧富の差を無くそうという理念のわりに、支部と本部に差がついているという矛盾。
「こんなにうまくやってると(世間に)アピールする必要があるから(だから悪いことではない)」と著者は言います。
カルト村の暗部を描きながら‘でも、わたしは悪いとは思ってなかった’とエクスキュースを続ける。
この描き方にはどんな意味があるのだろう?
村から出ても‘視られ’ているのか?
幼少期から成人までほぼ全ての知り合いや関係者が村関係者という兼ね合いがあるのだろうか?
中卒からは村の中でオクラの収穫をしたり、鶏の解体作業をしたり。肉体労働の厳しさとやったらやっただけ成果が目に見えるやり甲斐があった充実感を感じました。
この組織は世界中に支部があったらしく、世界中の支部からの特産品?が送られて(交換があった)ようです。
閉鎖的で不自由で不気味ななかに、惹きつける魅力があったのも事実なんでしょうね。
村のシステムで不快感があったのは歪んだ男尊女卑長幼の序。
ごはんをよそうのは女子、掃除をするのも女子、40代の男性と20代女性の‘調整婚’という制度。
村に残るのが自然な流れだとしばらく生活していたけれども、自分の本当の望み、本当の考え……成長していくにつれ、違和感を感じるようになってきました。
それも当然だったような気がします。
ことあるごとに村の謎ルールで学校を休まされ、授業をまともに受けられず、落ちこぼれだった著者。
勉強嫌いになったのは、村の変なルールのせいだったと思う。
本は大好きだった著者が隠れて読んだたくさんの本のタイトルを見ると、本来ならもっと勉強ができた人だと思う。まっとうに授業を受けられたら、普通に学校に通えたなら、高校はもちろん大学にも通えたかもしれない。そんな知性を感じました。
村から押し付けられた洗脳のような考えに自分の頭で「はて?」と考えることができたなら、その違和感は拭えないものになるのでしょう。
そして著者は村を出ました。
ちょうど‘オウム真理教’が事件を起こし、カルトや新興宗教や閉鎖された共同生活などが問題視され、世間の注目を浴びるようになってきた頃でした。
無所有やお金の無所持などのルールも緩和され、休日やお小遣いがもらえるようになり、村の規模を縮小していこうという流れがあったので、著者(と著者の親兄弟も)は一般の世間に出られたようです。
小さい頃から無給無休で働いていたので、外の世界の労働はずいぶんラクに感じられたようです。
中卒でも最低時給は貰えるし休憩も休日もあるので比較したらかなり労働条件が良くなったんでしょう。
夫との出会いがさらりと描かれていましたが、なんと出会い系サイトでした。急に最先端(当時)。
異性と知り合いたいけどなんとなく怖いという理由でなぜか上に年齢をサバ読みし、それでかなり年上の夫と出会ったらしい。
‘調整婚’じゃないけど、結局かなり年上の人と、なんだなあ……