世の中いろんな人がいる。
よちよち歩きの頃から毎日ピアノ弾いてる人もいれば、ゲームとYouTube三昧の人も、お風呂以外はずっとサッカーボール蹴ってる人もいる。
子どもの生育環境って親の違いでめちゃくちゃかわる。
もしもウチの子にフィギュアスケートの天賦の才があったとしても、残念ながらその才能は埋もれたまま終わってしまった。だってスケート場に連れて行ったことさえない。
雪の冬山に行ったことがないからスキーやスノボの才能があったとしても気づけない。
ゴルフもバイオリンも触ったこともない。
平等なんてものはないよね。
どんなところに生まれるのか選べないもんね。
自給自足を目指し、志をおなじくする人間で理想郷を作ってそこで生きよう!という人もいる。
このコミックエッセイは、そんな共同体の中で生まれそだった著者の記録だ。
なんとなくこの理念?みたいなの知ってるなあと思ったら、子どもの頃ニュースで見た組織(ヤマ⚪︎シ)の中の人だったらしい。
市場の一画に販売に来ていたこともあったような気がする。
新鮮無農薬の野菜とか卵とか販売してる意識高い系の割には安いのでけっこう売れていた。子どもながらにおいしそうに見えて近寄ろうとしたら母親に強い力で反対方向に引っ張られた記憶がある。
大人になって過去を振り返って、こんな生活をしていたよ、と著者が語る。
聞き手である夫がその異常な生活に「それって……」「洗脳?」と小さくツッコミのような反応をしたり「お腹いっぱい食べて!」「(今が幸せなら)よかった」と優しくフォローする、という構成。
著者は一貫として「大変だったけどけっこう楽しかった」「辛いこともあったけどまあまあ幸せだった」というスタンスで話す。
親兄弟とは別の場所での生活。
世話係からの体罰。
情報の制限。
子どもに課せられるには重い労働。
教育機会の制限。
いつもお腹を空かせていた子どもだった、お腹が空くのがつらかった。
幼い頃は親と離されるのもつらかった。
村で動物を育てたり、働いたり、同年代の子どもがいっぱいいていっしょに大きなお風呂に入ったりすることがぜんぶ嫌だったわけではない。面白いと思うことも楽しいと思うこともあった。
あの村での生活が不幸だったとは思わない。
そう語る。
そうなんだろうと思う。
けれども「ええ〜……」と小さくドン引きしている夫。
その夫を描いているのも著者なのだ。
天然でぼんやりしていてほんわかしている主人公(著者)と、一般的な社会人の夫、コミックエッセイのキャラクターのふたり。
どちらも著者が描いている。
そういう描き方をしている。