ケニア旅行から2年して長女を授かり、その1年後に年子の次女を授かった。

仕事をしながらの年子の育児は大変で、いつか子どもと一緒にもう一度ケニアにゆきたいという夢は、思い出す余裕もなかった。

 

子育ての奮闘記はこちらで↓、

 

はじめてのケニア旅行についてはこちらです↓。

 

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長女が小学校1年生、次女が幼稚園年長組のとき、夫の米国転勤に伴い会社を退職し、いくばくかの退職金を手にした。

いざという時のために退職金には手をつけないようにしていたけれど、帰国して再就職したとき、そうだこのお金でケニアに行こう、と思った。

 

長女が5年生、次女が4年生の夏休みのことだった。

 

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2回目のケニアで痛感したのは体力の衰えだった。

 

私たち家族4人だけのツアーだった。ドバイ経由でナイロビに入るルートだったが、エンジントラブルか何かで予定の飛行機が欠航になり、ドバイの空港で一夜を過ごす羽目になった。

欠航が告げられたとき、空港には怒号が飛び交った。呆然としていたら、お前たちも怒らんかいとアフリカ人にどやされた。

 

ナイロビからマサイマラ国立保護区までは、四輪駆動の車も動かなくなるような荒れ果てた道を半日かけて進む。

ホテルに着いたころにはもうへとへとだった。

 

一方子どもたちと子どものような夫はずっと元気一杯で、都心を出てすぐの辺りから道を横切るゾウやキリンに夢中になっていた。

 

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特に動物好きの次女はずっと目をきらきらさせて幸せそうだった。

サファリカーの席に立ったまま、ルーフトップから景色や動物を眺め続けていた。

次女のゆれるポニーテールに私が手を添えたら、ライオンが反応した。

現地ガイドのブライアンに、気ヲツケテ、ライオンモチョットアブナーイ、と、のどかなトーンで怒られた。

 

 

リゾートのテントに着いたとき、子どもたちのテンションはマックスになった。

カーキ色の大きなテントの前にはデッキチェアやテーブルが据えられ、公園内が見渡せるようになっていた。一歩中に入るとそこはまるで高級なホテルの一室だった。ふかふかのベッドで飛び跳ねた。

 

 

 

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バルーンサファリの日の明け方、テントから首を出すと、赤く染まりはじめた空に2頭のキリンのシルエットが浮かんで見えた。

あまりの美しさに子どもたちと声を失って見とれた。

 

 バルーンサファリでは夫と次女が上空から地上の動物たちにヨダレを垂らして命中させようとして私に怒られた。

 

バルーンはカゴの側面から着陸し、茂みにぶつかって助かった。サバンナでの朝食時に回って来たゲストブックに次女が、”Nice landing!”って書いていた。

 

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長女から、ママみたいな綺麗なツメにして欲しいとリクエストがあったので、マニキュアを沢山持って行っていた。

前日から楽しみにしていた子どもたちに、テント前のデッキで、ひとりずつマニキュアを塗ってやった。楊枝でお花の模様を描いたらとても嬉しそうだった。

 

テント前の砂地にアリンコだかフンコロガシだかがいて、マニキュアを塗ったばかりの手で早速お砂遊びをはじめた。

案の定マニキュアはすぐにボロボロになった。

 

 

 

 

 

子どもたちとのケニアの旅は、仕事と育児に忙殺されていた日々を取り戻すような幸せな時間だった。

 

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ケニア旅行で私の10数年の退職金はあっと言う間に消えて無くなったけれど、感受性が豊かな年頃の子どもたちを連れてゆけて本当に良かったと思っている。

家族が4人揃っていたときだったことも良かった。

 

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唯一残念だったのは、飼い猫のちーのことだ。

ちーはこの旅行の1週間前、長女の同級生のオトノくんの家からわが家にやってきた。既に旅行が決まっていたので、旅行の間は一旦オトノくんの家に里帰りさせて頂いた。

親兄弟と再会したちーは、10日間のびのびと過ごしたらしい。

 

旅行前は手のひらに乗るぐらい小さかったちーは、帰宅後迎えにゆくとかなりデカくなってしまっていた。

可愛い時期を見逃してしまった。

 

ちーが家にきたときのはなしはこちらです↓。

 

 

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