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「家族の木Ⅱ」2023/9/21のブログ

3月9日

海岸散歩道を今日も歩きます。

私はこの集落から出て暮らしたことはありません。

祖父母、両親と引き継いだ、三代目の百姓が生業です。

海岸堤防に腰を降ろして、70世帯余の家々の暮らした人々が

私にはまだ生きています。並んだ家々で暮らしてたじいちゃんばぁちゃん、おっちゃん、おばちゃん、おさな馴染みの顔を思い出します。海岸堤防から見ると、幼いころの私に出会います。

年下の弟がわたしを追っかけて田んぼ道を走ってきます。

もう誰も住んでない空き家が毎年増えていきます。

 本日の歩行カウントは、4711歩、3.11キロ、37分

主治医の学会出席で、一週間の休薬延長です。

来週は3か月毎のパドセブ治療で、9回目のCT検査です。

がんエーリアンとの闘い、どこまで続くのでしょうか?

 今日は息子の50歳の誕生日です。

読書好きな息子にナンシー・ウッドの「今日の日は贈りもの」から、「三月・灰の月・家族の木1」でお祝いしましょう。

海岸散歩道は、子供と釣り糸をたらした日々を懐かしみます。

  家族の木 1」 ナンシー・ウッド  

わたしたちの村に古い古い木が一本立っている。

その枝は人々の魂の避難場所

日賭けと慰めを与え、葉の囁きを聞かせ

二十世代を神秘的に生きた神聖さを讃えている。

ずつと昔、祖父は自分をわたしたち家族の木の根の間に

自分を埋めて、そこを彼らの叡智の住まいとした。

彼は雨や太陽や仲間から力を吸収した。

こうして彼は成長した。

父は私たち家族の木の幹神聖な輪の内側で拡がり

そこで彼の知識は始まった。

その樹皮には忍耐の色が見える。

こうして彼は成長した。

子どもたちはあらゆる方向に伸びる枝としてやってきた。

強いものも弱いものもいたが

誰もがわたしたちの祖先の神聖な活力に結ばれていた。

こうして彼らは成長した。

孫たちはみずみずしい緑の葉として現れ

これ以上にないしっかりと枝につき

しかし落ちるべきときが来れば手を放した。

こうして彼らは成長した。

ながい時が過ぎた、

そしておじいさんが土の下の住処から孫たちに話しかけた。

毎秋、おまえたちを枝からもぎ取る風について何を学んだ?

孫たちは答えた。過大な期待をしないことの大切さを。

次におじいさんは子供たちに、すなわち冬には裸、

夏にはいっぱいに繁る枝たちに大声で言った。

子どもたちよ、そこで雨に打たれ、すべてのものにさからつて

おまえたちは何を学んだ?

子どもたちは答えた。来年を待つことの大切さを。

次に祖父は話しかけた、

拡がり方があまりゆっくりなので誰もその成長を気づかない父に

息子よ、同じところに何年も何年も立ち続けて

おまえは何を学んだ?

父は答えた。忍耐の大切さを。

こうしたことをすべて学んだ後に、わたしたちの村の木は

一段と大きく美しくなった。人々は何マイルも離れた四方八方から木を見に来てはそのさまざまな声に聞き入った。

人々は言った。この木がなかったら個々の風景は静かだろう。

これら見知らぬ人々は木陰と塵と花粉とに気づき始めた。

彼らは行く世代も聞いたことのない言葉を話した。

これら見知らぬ人々はわたしたちの家族のようになった。

こうしてわたしたちは成長した。P34-37引用

  「今日という日は贈りもの」ナンシー・ウッドから

 

●堤防下の遊水地脇の田んぼを私は引き継ぎました。

遊水地で遊んでいた息子は、ネッシーを見たと叫びました。

幼い息子には遊水地は大きな湖で、ネス湖でした。

コサギ、アオサギ、カモ・・息子のネス湖で食事中です。

月末は夫婦で帰省のしらせです。

一緒に花見して50歳の息子に、よく頑張りましたと言います。

こちらもシブトク頑張ると、言ってやります。

 

拙文お読みいただき感謝します

誤字脱字にはご容赦ください